敵愾心

シールドの奥
MotoGPのようなロードレースには、他のスポーツにはない大きな特質がある。それは、ある「気にくわない相手」をやっつけてやりたいと思ったら、直接それを果たすチャンスがいくらでもあるということだ。
サッカーだったら、相手チームのある選手にとてもムカつく輩がいて、「いつか目にもの見せてやる」と思っても、自分がディフェンスで相手がキーパーだったらどうやっても直接手は出せない。野球でも、投手と打者の関係でない限り、ベンチからフィールドで守備につくいけ好かないヤローを睨みつけるのが関の山。個人技のスポーツだって、リーグやトーナメントの関係でいつも望む仇敵と争えるとは限らないだろう。
しかしGPでは、相手と同じ程度のポジションを争う実力と環境があれば、毎レース(つまり毎試合)その選手と直接対決をすることができる。今日のレースでやられた借りを、次のレースでさっそく個人的に返すことができるのだ。こんな、やろうと思えば特定の相手に憎悪も反感もぶつけ放題!のスポーツを、僕は他にあまり知らない。


だからこそ、GPライダー同士の因縁や宿怨は、ときとしてレースを観る一つのフィルターとなる。レーストラック上での出来事や、パドック裏を通して一般メディアに漏れ聞こえてくるそうした人間関係が実際のレースに反映されるのを、罪なGPファンは大いに楽しむのだ。
2001年の第4戦カタルーニャで、レース終了後ついに殴り合いにまで発展した自他共に認める“宿敵”ヴァレンティーノ・ロッシマックス・ビアッジの関係は言うまでもない*1。また'98年シーズン250cc最終戦アルゼンチンGPで、チャンピオン争いをしていた原田哲也をコース外に弾き飛ばしてチャンピオンを獲得した有名なカピロッシ・アタック”も、その後の2人の関係を語る時に常に影を落とす確執として語り継がれている。
チームメイト同士も例外ではない。'97年のインドネシアGPで、最終ラップまでの争いの末ついに王者ミック・ドゥーハンを下した岡田忠之に、ドゥーハンは祝福するどころかマスターベーションの仕草を送って物議をかもした。そのドゥーハン自身も、'96年の母国オーストラリアGPで何かと確執のあったアレックス・クリビーレに追突されて転倒し優勝を逃した後、ピットでクリビーレに紳士然と握手を求めたにもかかわらず無視されるという屈辱を受けている。
こうしたあからさまな“悪い”人間関係も(当事者の思惑とは裏腹に)ファンにとってはレースを観る格好のスパイスだ。件の選手たちが争う時、普段はヘルメットの奥に隠れて見えないレース中のライダーの感情を、その時ばかりは推し量れるような気がするからだ。

アメリカ人的関係
『Cycle Sounds』誌のマイケル・スコットと並ぶGP界のご意見番(だと僕が勝手に思っている)ジュリアン・ライダー氏が、『RIDERS CLUB』誌6月号で今シーズンのいくつかの興味深い人間関係を暴露している。
今ではすっかり気難しい男となったジョン・ホプキンスは、昨年の第4戦ムジェロでケニー・ロバーツJr.に激突されてリタイアして以来、ロバーツとはほとんど口をきいていないそうだ。ロバーツはもちろん弟カーティスに負けるわけには行かないと気張っているし、兄弟中一番気性の激しいカーティス本人の今後も見物だと言う。
'02年にあっさりホンダを馘になってそこら中に毒舌をまき散らしていた(そりゃそうだ、スーパーバイクのチャンピオンをとってやったのに、次はGPどころか『ごめん、きみクビ』と言われたんだから)コーリン・エドワーズは、復帰した今でもニッキー・ヘイデンのレプソル入りに対して不満を漏らしているらしい。今のコーリンの予選ポジションに「小僧、そのシートには俺が座るはずだったんだ」という感情が渦巻いているかと思うと、ニヤリとしてしまう。
エドワーズといえば前述のケニー・ロバーツJr.とはスーパーバイク時代からの問題を抱えているとか。かつて「アメリカ中でケニーの尻を蹴飛ばしたら、奴はGPに逃げて隠れた」というエドワーズは、実際にGPまで追いかけてきた。ロバーツはその尻を蹴り返せるのだろうか。
ライダー氏は「ニッキー・ヘイデンは一言も悪いことを言わずにデビューシーズンを耐えた」と書いているが、いやいや、ダートでラフプレイにもまれたとはいえ、彼だって人間だ。『Cycle Sounds』誌のインタビューで、先輩ライダーはみんないい人たちだとしながらも「ビアッジだけは別だ」と語っている(笑)*2。なんでも予選中にほとんどぶつからんばかりのところをパスされたとかで、「いつか同じことをやり返してやる」とニッキー。楽しみにしてますぜ。

文部省推奨的GP
こうしたライダー個人間の軋轢は、その意趣返しがレーストラック上でのみ行われ、しかも正しく行われたレースの結果として現れる限りにおいて、レース観戦の楽しみをより豊かにする情報だと僕は思う。しかしながら、(もともとこういう情報は海外メディアを漁らないとあまり目にしないとはいえ)日本人ライダーや参戦状況を巡る個人的な感情は、ほとんど一般メディアでは公にされないのが残念なところだ。
しかも最近は、そうした争い事にライダーも妙に礼儀正しく反応し、メディアもオブラートにつつんだような報道の仕方をすることが多いような気がする。昨年のもてぎでの玉田誠の失格にしても、「決まったことは仕方がない。次を狙う」などという模範解答ではなく、本当はもっと直接的なコメントが聞きたかったものだ。もし彼がルーキーでなかったら、セテ・ジベルナウに「涙と鼻水で前が見えないなら、おとなしく家で寝てりゃいいんだ」くらいことは言ったかもしれない*3
他のライダーに関するコメントも、'03年もてぎプレイベントでの宇川徹が「ビアッジはどうか」と聞かれて「去年のチームメイトよりもぜんぜんいい人ですよ(笑)」とやんわり言ったりした程度で、かつて「ビアッジに負けたのではない、アプリリアに負けたのだ」と残した原田哲也ほどの直情さは、もうなかなかお目にかかれない。実は最近「名言」が生まれないなあ、と思っているのも、そのあたりの全体的なお行儀のよさに原因があるのかもしれない。悲しいかな、名言は憤怒の感情から生まれることが多いのである。
宇川徹と言えば、'03シーズンの最終戦中野真矢に追突されてあっさりと引退レースを終了させられておきながら、なんら感情的なコメントを公にしなかったのにも驚きだ。さらには礼儀正しい宇川のファンは、公式サイトの掲示板でも一切中野を追及せず、中野側のファンを驚かせた*4
こうしたことは、礼儀正しい日本人的メンタリティという単純かつアンティークな話なのだろうか?それとも日本人ライダーにとって、世界的二輪メーカーと最有力ワークスといった要素を合わせ持つ国内の「ムラ社会」では、誰かを批判すると思いもかけないところに余波がくるのだろうか?公式サイトで自分のチームの“とんでもメカニック”の姿をあしざまに(しかしどこか面白おかしく)言う関口太郎のようなライダーも、もしヤマハワークスにいったら黙ってしまうのだろうか*5

レースは表面に出る結果だけが面白いのではない。その裏にあるライダー個人の信念、そしてまたかつてのケニー・ロバーツフレディ・スペンサーウェイン・レイニーとケヴィン・シュワンツのように、好敵手同士が争い*6、ときに個人的な感情をぶつけあう姿もコンペティション・スポーツとしての醍醐味なのだ。それは誹謗や中傷と言った低次元なモラル話ではなく、“敵愾心”という、コンペティションには不可欠の燃料、エネルギーの一つなのだ。
GPはテーブルマナー教室ではない。お行儀良く互いを認め合うだけでなく、その裏に隠れたライダー同士の熱い“敵意”がもっと伝わってくれば、レース観戦はもっと熱くなる。そう思うのは僕だけだろうか。

*1:経緯は、レース終了後ローマの試合を観ようと急いでいたビアッジがロッシのマネージャー、カルロ・フィオラーニとぶつかったことから口論が始まり、援護に回ったロッシがビアッジに一撃、とされている。FIMはこの件で警告、次戦アッセンでは2人はカメラの前で強制的に握手させられた。たしかこのケンカ直後の映像、昔ネット上のどこかで転がってたな……。

*2:『Cycle Sounds』誌2003年8月号「最高峰に挑むMotoGPルーキー」

*3:昨年のもてぎプレイベントでのロッシに勝つ秘策「殴っちゃいましょうか」を初め、もてぎでの「転んでもいいやと思って行きました」、最近の「俺が勝ちます。俺以外全員コースアウト」発言など、玉田のコメントの今後にはかなり期待できるような気がする。

*4:個人的には、こうした文部省推奨的な宇川ファンの態度は、決して彼のレースにいい影響をもたらしてはいなかったのではないかという気がしてならない。彼をもっとも好きなGPライダーとする一人として(理由は彼が“ライダー”だから)、我々はもっとはっきり「勝てば最高に喜び、負ければブーイングを送る」ような態度でいるべきだったのではないかと思う。何があっても「仕方がない、あなたは全力を尽くした。おつかれさま。次こそ」なんて応援の仕方が、世界の最高峰で争うスポーツ選手のメンタリティにどういう意味を持つのかは、経験のない僕にはわからないけれど。

*5:関口のサイトs-taro.netの4月26日付BBS参照。CS誌の連載でも書いていたおかしなメカとの対立は、さらにすごいことになっている。
http://www.s-taro.net/

*6:レイニーとシュワンツの関係に関して、chihiro's cafeのchihiro氏が素晴らしい記事を発掘して下さっている。『Number』97年6/5号の高山文彦によるロングインタビュー記事「汝自身の夏」がどういうわけかネット上に全掲載されているのだ。その筆致もさることながら、かつてのライバルの熱い関係とレイニーの苦悩に息を飲む。必読である。
chihiro's cafe4/26付「過去を振り返る」
http://www.myprofile.ne.jp/blog/archive/2540002/335