ドラゴン・スレイヤー



僕は「どこそこには魔物が棲んでいる」という言い草があまり好きではない。いかなる結果もチームやライダーの努力(あるいはミス)の積み重ねというモータースポーツのビターな側面が、そんな一言でなんだかキレイに片づけられてしまうような気がするからだ*1
しかし、この日のモンメロにはその魔物とやらがいたのだと言われても納得せざるを得ないだろう。しかも、それは何者かに目を射られた怪物だったのだから──。
視力を失ってもがきながらやみくもに暴れる怪物の巨大な尾が最初に弾き飛ばしたのは、スタートしたばかりのセテ・ジベルナウだった。地元のレーストラックでほとんどいい目を見ないこのカタルーニャ人ライダーは200Km/h近いスピードで頭から路面に叩きつけられ、かつて経験したことのないレベルのインパクト・データをアライの本社スタッフに渡すことになる。
苦しむ怪物が振り回した長い尾は、ひき続いてロリス・カピロッシマルコ・メランドリダニ・ペドロサ、ジョン・ホプキンス、ランディ・ド・ピュニエをまとめてなぎ払い、ランキング1、3、4位のライダーをことごとくトラックの外へ押しやった。
なんてこった、ワールドカップなんかくそくらえだ──。僕はあわてて振られる赤旗によってもたらされたリスタートのせいで、10時のクロアチア戦のキックオフは目撃できないな、と一瞬考える(9時から公式サイトのライブビデオで観戦していたのだ)。しかし、誰もがそうだったように、頭の中はグラベルに伏して動かないメランドリのことで一杯だ。2003年フィリップアイランドでのトロイ・ベイリスが思い浮かぶ一方で、もちろんあの忌まわしき同年の鈴鹿が頭を去来する。
落ち着かない気分の中、30分遅れて始まった2度目のスタートは再び不吉な力によって中断された。クリス・ザ・Vが青いマシンをグリッド脇に停め、冷めかける料理にあわてて蓋をするように、各チームのピットクルーがスターターを引っ張ってマシンに駆け寄っていく。そして切られた3度目のスタート後、色とりどりのGPマシンが1コーナーを無事に駆け抜けたとき、レース序盤に似付かわしくない大きなため息をついたのは僕だけではないだろう。


ケーシー・ストーナーはある意味、かつての2スト時代を懐かしむ観客のヒーローだ。先住民アボリジニの言葉で「一番」を表す名前の町からやってきたこのオーストラリア人ライダーは、並み居るベテランを従えて複雑なカタルーニャのレーストラックを疾走する。今シーズンじわじわ株を上げたホッパー(およびGSV-R)と、じわじわと人々を失望させつつあるニッキー・ヘイデンがそれを追う。
しかし魔物は仕事を忘れていない。中野真矢を黒旗によってトラックから追い出し*2、ド・ピュニエもグラベルへ向かわせることによってライムグリーンのチームから全てのチャンスを奪った。まだレースは7週目。コース上にはもう14台のマシンしかいない──つまり、ついにホセ・ルイス・カルドソツキが廻ってきたのだ。
9週目の1コーナーでヴァレンティーノ・ロッシに抜かれた我らがKCは、期待にたがわずマシンをプッシュした揚句、ほどなく第4区間の入口でポテリと倒れ、レースから去る。勝つか、転倒か(勝ってないけど)──彼はまさに、失われた時代のヒーローなのだ。
10週目、傷ついた怪物の尾はまだコース上を薙ぐ。トニ・エリアスが退場し、続く11週目にダニ・ペドロサがフロントを失って火山岩の混じったグラベルに這いつくばる。オープニング1コーナーの惨劇の時と同様、それでもあくまでマシンを起こしコースへ復帰しようとする若きライダーの懸命な姿は、抑えきれない闘志の現れなのか、それともすでに計画されたチャンピオンへの“ロードマップ”が崩れるのを避けようとする秀才の足掻きなのか。
すでにコースを駆け抜けるマシンは11台──ホセ・ルイス・カルドソはついにやったのだ。

ヒーローは遅れてやってくる。暴れる魔物にとどめを刺そうと現れたドラゴン・スレイヤーは、やはりヴァレンティーノ・ロッシだった。9週目にストーナーをかわして以降、2位のヘイデンを0.3〜0.5秒離してトップに立ち続けるロッシは、そのままレースが終るまで魔物をぴたりとおとなしくさせてしまった。
煮え切らないヘイデンに愛想を尽かしたカメラは、ダルマ落としのように表彰台のチャンスに近づいたケニー・ロバーツJr.とホッパーの3位争いを映し続ける。05年のドニントンを見た者なら、こうした互角の戦いになったときにロバーツは冷静に勝ちにかかるライダーであることを思いだすだろう。
はたして、19ラップ目にホッパーに抜かされた(抜かさせた?)ロバーツは、大きく後ろを振り返ると作戦を変更する。21週目のストレートエンドで、セカンドマシンという不利を抱えた若いアメリカン・ライダーをかわすと、あとはスロットルを大きく捻るだけで(ホンダパワー!)ロバーツは父親のチームにMotoGPクラス初の表彰台をもたらした。
──終ってみれば、冒頭の大クラッシュとその後のサバイバルレースが、ポール・トゥ・ウィンの歓びを爆発させるロッシからレースの焦点を奪う。次々続報が入り、スタートできなかったライダーたちはみな最悪の事態は免れているとわかってはいるものの、どこか落ち着かない気分だ。それになにより、リザルトの3番目にある「KR211V」の文字に、まるでテレビゲームで自分が命名した架空のマシンであるかのような非現実感に襲われる。
やっぱり魔物はいるのかもしれないな──、と僕は表彰台で胸を張るロッシを見ながら思う。こんなアクシデントが3週間もレースが連続するこの時期に起き、ポイント・スタンディングの上位陣が軒並み巻き込まれ、そして一回でもヘイデンがリタイアするようなことがあれば、ロッシがチャンピオンを完全に射程内に収めるといった事実は、つくづくレースをめぐる運や不運について考えざるをえない。
もっとも、わずかな“アドバイス”で万年下位のマシンを表彰台に上らせるホンダのスタッフこそ、本当の魔物かもしれないのだが──。*3

*1:85年8耐の平/ロバーツ組を除く…

*2:僕は、この「ピットサイン見落とし」がどうのといいうペナルティには多少うんざりしている。レーシングマシンのスピードは年々上がり続けているが、ピットボードは大昔から大して変わらない。どだい、300Km/hで走る乗り物に伏せながら、視界の済にある数十センチの数字や文字を読み取れというのはスポーツのレギュレーションとしておかしいのではないだろうか。そろそろ、黒旗や黄旗といったサインに関してはピットとの通信を許可してもいい時代なのではないかと思う。

*3:僕は、中国GPの後でチーム・ロバーツがもらった「アドバイス」とはパーツ、おそらく電子系のパーツのことなのではないかと勝手に勘ぐっている──だって、信じらんない!