道─tao

おまえは間違っている
またいつもの奥多摩。前回とは打って変わって冷え込んでいるが、寒いというほどではない。ブレーキリリース、リーン、旋回。今一つスムーズにつながらない。調子が悪い時は下りコーナーに恐怖心を感じるからすぐわかる。フォームが崩れて上半身をうまく支えられなくなり、腕が張っているのを感じる。
バックミラーに奇妙な縦目のバイクが見る見る近づいてきた。くたびれていた僕はすっと道を譲る。おお、MVアグスタ・ブルターレ。珍しい、こんなものが本当に走っているとは……。ブルターレのライダーは、力の抜けたリーンウィズでスッとコーナーに吸い込まれていく。僕も後を追う。
って、追いつけない!コーナー入口で尻についたように感じても、進入は向こうの方が速い。リーンスピードを上げようとしてこちらがムリクリに倒し込むと、フロントの切れ込みが深すぎてラインを途中で修正する羽目になり、その間にブルターレはコーナーを脱出している。
僕はふもとの駐車場でCBRを停めてすっかり考え込んだ。いや、考えるまでもない。目を三角にしてハングオフしている自分よりリーンウィズのライダーの方が速いとき、それが意味していることはただ一つ──お前のライディングは間違っている
空は澄み、空気はうまい──はずだが、気分はどんより、首の後ろの強張りがどっと体にのしかかる。こんな風光明媚なところに来ておきながら、風景も緑も楽しめず、一人自己のライディングを批判する(笑)。ライダーってのは、けったいな人種である(いや、僕が未熟者なだけなのだけれど)
あれこれ悩んだ時の解決策はただ一つ。ライテク本でパンパンになった頭を一旦空にして、ニーグリップに徹してみる。ハングオフも何も忘れ、ただ自分とバイクを一体にすることに集中する。これはこれでスムーズさを取り戻してくれ、少しホッとする。


宗旨替え
家に帰り着いた僕は、すでに一つの結論に達していた。こいつは、これまでと考え方を変えなければ走れない。自分はこのCBR600RRが走るのを“邪魔”している。コーナリングにまつわる諸々の“手順”ばかり気にして、バイクの声に耳を傾けていない。
僕は、その解決のヒントをまたもやライテクの“流派”に求めることにした(苦笑)。僕は近所の本屋の棚の上から、名著と言われるある本を引っ張り出し、レジへ連れていった。つじつかさ氏の『ベストライディングの探求』ISBN:490618989X
ネモケン氏のライテクが「後輪荷重」「抜重」がキーワードのリーンとするなら、つじつかさ氏は「ステップワーク」「内足荷重」の人だ。ネモケン氏の伝法にはステップへの足の乗せ方(荷重のかけ方)など一切出てこない。ハングオフの時に外足を使って体を移動する際にちょっと言及されるだけだ。しかもリーンにあたってイン側の足には一切力を加えてはいけない(反力で車体が起きるから)、とする*1。それに慣れた身からすれば、“内足でステップを踏み込んでリーンのきっかけを作る”というつじ氏の操法は、禁忌を破るに近い印象さえ受ける(笑)。
行き着くところは同じだし、どちらが良い悪いでもないのは分かっている。テクニックのある人ならどちらのやり方でも見事にコーナリングしてみせるだろう。しかし少なくとも僕において、アウト側のひざ頭とももを中心に体をホールドし、倒し込みでも“力を抜く”ことによる重心移動以外どこにも力を入れないネモケン流では、リアサスの感触が希薄でフロントだけがぐいぐい旋回していくように感じるこのCBR600RRを操る際、今ひとつマシンとの一体感を感じにくいのではという仮説に達したのだ。
平日の間徹底して座学し、休日を待って僕は再びワインディングへ。するとこの“つじ流”、実に上手くいく。コーナーに向かって“抜重の準備”で緊張することがなくなり、車体へのホールド感を保ったままリーンに入っていくことができる。また曲がりの強さも内足荷重の強さと荷重をシートに移すタイミングで調節できる。さらにハングオフのタイミングをブレーキングの前ではなくリーン直前に移したことで、コーナーの曲率を判断して体のオフセット量まで調節できるようになった。これらのことが全て、「安心感」を作り出してくれる。僕のように未熟なライダーにとっては、まずこれが大切なことなのだ。

おそるべき合理主義者
これまでよりずっとスムーズに、はるかに安心してコーナーを抜けていく。知らず知らずのうちにどんどんペースも上がる。これまでの自分の走りでは一番気持ちいいくらいだ。
……しかし、どうもおかしい。どこか「目の前にたくさんおかずがあるのに、江戸むらさきでぜんぶご飯を食べてしまった」ような落ち着きのなさを感じるのだ。何か自分はズレたことをしてるんじゃないか。必要なことを必要なようにやっていないのではないか──。
そのとき僕ははたりと気づいた。これだ!これがホンダなんだ!──と。よく、「操っている実感がある」とされるヤマハ車などに対し、ホンダ車は「バイクに乗せられている」ようだと言われる。バイクが要求する“ベストな走り方”が決まっていて、それを乗り手が引き出せればすばらしく速いが、それ以外は斬って捨てられる──。
僕なりにスムーズに走れて満足はしていても、コイツはしていないのだ。もっとリーンを鋭く!もっとコーナリングスピードを速く!「もっと行けるのに〜」とバイクが感じているのが、ライダーであるこちらにも伝わってくる。さらに「それは無駄だ」「そんなのは非効率だ」と自分のライディングにバイクがズバズバとケチをつけてくる。それに応えてやらない限り、バイクをうまく操った実感が、こちらにも訪れない。
もっと速く!もっと速く!──えー、そうなの?わかったよ、がんばるよ。そんな会話を続けながら僕はCBR600RRを走らせていた。これまで実感したことのなかった「ホンダらしさ」を突きつけられながら、それでも僕はこの要求の高い合理主義者がキライになるどこか、もっと好きになるのを感じていた。ようし、わかった。修業してやるよ。そのかわり、こっちのライディングがバッチリ決まった時は、連れてくトコにちゃんと連れてけよ、このヤロー──そんな風に自分を熱くさせてくれるこのマシンは、今の僕の目標にはぴったりなのだ。
……あ、“連れてくトコ”って天国じゃないからな、600RR(笑)。完璧なコーナリングを決めたライダーだけが知るという、あの遙かなるエクスタシーのことだよ。

*1:これは内足荷重と正反対の概念のようだが、結論は一緒だ。ステップを“踏め”ば確かに車体は起きてしまうし、“そこに荷重をかけ”れば内足荷重となる、それだけである。