ボートレース

レーストラックを映し出すカメラのレンズを雨滴が覆い、まるで昔の吹きガラスの窓越しに見るように、風景のあちこちがゆがんでいる。イングランド中部の重たい空から落ちる雨の中をGPマシンが水しぶきをあげて駆け抜けていく様は、二週間前の晴れ渡ったカリフォルニアの空とはあまりにも対照的だ。そしてそのカラフルな先頭集団を率いているのは、キャメルイエローの一台のマシン。
“ステディ・アレックス”──消耗戦となった序盤を生き抜いたアレックス・バロスは、往年のエディ・ローソンをもじってそうとでも呼びたくなるほど、危なげなく土砂降りのドニントンを滑走していく。通算250戦、あらゆるコンディションやシチュエーションをくぐり抜けてきただろうこのベテランライダーは、その雨の巧者ぶりをたっぷりと見せつけつつ、4周目からしっかりと1分50秒台でトップをキープし続けていた。しかし一人の若き天才と、もう一人の“天才の息子”が、この厳しいコンディションの中ですらただステディであるだけでは勝利を手にすることはできないということを、彼に見せつけることになる。
One down, Two down──1周目から、まるで見えない狙撃手に撃たれるように、マシンとライダーが水をたたえた路面にたたきつけられていく。マックス・ビアッジはドニントンの難所である序盤の連続する下りコーナーに足下をすくわれ、金色のゼッケンを輝かせたルーベン・チャウスも泥にまみれてレースを離れる。トロイ・ベイリスが最終コーナーでマルコ・メランドリと運命を共にする。
HRCの希望を背負っていたはずのニッキー・ヘイデンが斃れ、雨のグリッドで一人上機嫌だった“レインマスター”セテ・ジベルナウがトップ走行中に転倒してお得意の大げさなジェスチャーを見せた時(コーニョ!)、「これは意外なレースになるぞ」という予感が全身を駆け抜ける。そして、その予感はすぐ目の前に形をとって現れた。
ジベルナウの転倒でトップに躍り出たヴァレンティーノ・ロッシの背後、雨に煙るアスファルトの向こうから、白いスズキが二台、亡霊のように現れたのだ──。


多くのモンスターマシンがパワーコントロールに苦しむレインコンディションでフロントに躍り出ることは、すなわちそのマシンがピークパワーにおいて劣っていることの証明だ。しかし、条件つきであろうがまずは記録に残る結果を残すことが重要だということは、2002年をRGV-Γベースの車体で乗りきり、2003年から鳴かず飛ばずの新型エンジンを抱えて二年間の不遇をかこってきたチーム・スズキのクルー自身が一番痛感していたに違いない。
血気盛んなトレーニング・ジャンキー、ジョン・ホプキンスと、ファクトリー放出がまことしやかにささやかれ始めた“イエスタディズ・ヒーロー”、ケニー・ロバーツ(Jr.)が、その希望を具現化すべくトップグループに食い込む。しかし、経験と冷静さが問われるというフルウェットの路面で、その巧緻をもって生き残ったのはやはりロバーツの方だった。
5周目のメルボルン・コーナーでトップに躍り出たホプキンスは、9周目に視界の悪さからブレーキングのタイミングを誤りコースアウトを喫する。そのままピットインしてからコースに復帰し、完走することそのものが4ポイントをもたらすことになったこのサバイバルレースを走りきったのは、チームの戦略だったのか、それとも彼の闘志なのか。一方ロバーツはロッシをかわして周回を重ね、バロス、ロッシ、エドワーズを従えて11周目にはついにトップに立つ
再度バロスに先行を許すものの、12周目、他人の飛沫を浴びるのはもうたくさんだとばかりにペースを上げつつあったロッシがシケインでブレーキングミスし、いつしか再び背後に忍び寄っていたコーリン・エドワーズの後方にまで大きく順位を落としたことが、このスズキの元世界チャンピオンに信じがたい勝利のチャンスをもたらしたかに思われた。
──しかしこのミスが、若きイタリア人のポイントリーダーのスイッチを入れることになる。
ロッシは4位に落ちた後、まるで余っていた分をさりげなくポケットからとりだすかのように*1ラップタイムを縮めていく。それまでの50秒台からあっさりと47秒台後半までペースを上げ、翌周、ミスを犯したのと同じフォガティ・エッセズでパッシングを“やり直し”、ロバーツの大仰なコーナリングラインを尻目に軽々と2位まで浮上する。
信じたくないが、ロッシはロッシなのだ──番狂わせを期待する気持ちの隅から現実的な絶望が心に忍び寄る傍らで、ロッシはバロスの0.3秒ほど背後にぴたりとつけ、そのままじっと息を潜めた。
レースはようやく折り返し地点にさしかかろうとしていた。

待ちの時間──勝機は、先頭集団に生き残った唯一のRCVであり、まったく車体を揺らすことなくぴしりとインを抑え、すばやく立ち上がっていくブラジル人ライダーにあるのか?ロバーツはふたたび“上海の悲劇”に襲われることなく表彰台を獲得してくれるのか?ロッシの余力はどこまであるのか?さすがにこのコンディションではこれが限界なのか?その後7周は、ただただそんな疑問と不安を重ねながら、緑深い雨のレーストラックを駆け抜ける色鮮やかなモンスター・フィッシュたちを見守り続けることになる。
一番早く答えが出ることになのは、最後の疑問だった。残り11周、タイヤの消耗に見切りをつけたのかペースを上げるバロスにロッシ、ロバーツがすかさず追従する。盛り上がる中「続きはCMの後で!」とばかりに衛星放送の画像トラブルをクリアするために挟まれたコマーシャルがあけた時、目の前に映ったのは180°コーナーでバロスをパスした#46の姿だった。
さあ、絶望の時間だ。1.8秒、4.3秒、7.6秒──まるで自分より頭の悪い教師の授業から開放された優等生のように、ロッシはのびのびと後続との差を拡げていく。ついに8秒台中盤までアドバンテージを持った時、レースの中心はロバーツが、そしてスズキが数年ぶりの表彰台を獲得してくれるかどうかに移っていた。
戦闘力に劣るマシンで苦渋の日々を過ごす中、ロバーツはモチベーションもデターミネーションも失ってしまった──ここ数年GPファンを支配していたそんな見方からすれば、この元世界チャンピオンがこのままステディに走りきり、無事GSVーRをパルクフェルメに送り届けてくれるだけで十分だと思えたに違いない。しかし、伝え聞く噂ではこのレースウィーク中にスズキから来期の放出を通告されたともいうロバーツは、ポール・デニングが「2000年シーズンの再来だ」と称賛した走りを見せることになる。
最終ラップ──坂を昇りきったところにあるコーパス・コーナーを駆け抜けるロッシの向こうに小さく移るロバーツとバロスの姿が、先行するこのイタリア人の優勝が間違いないことを高らかに告げる。しかしその数秒後、背後でロバーツがすっと前に出ると、バロスのインを刺した。
彼のレースはまだ終わっていないのだ
ブレーキングを遅らせたロバーツはしかしラインがワイドになり、コンパクトにイン側をトレースしたバロスにこの長いコーナーの途中で抜き返される。だが、バロスがコーナー脱出のためにアウト側を目指した時、クリッピングポイントを思いきり奥に想定したロバーツは、すでに次の短いシールド・ストレートに向けてマシンを起こしていた──。
まごうかなたき、美しきクロスライン。コーナー出口でイン側を塞がれたバロスはびくっと車体を起こさざるを得ず、ロバーツはそのまま2002年リオGP以来の表彰台へ向けてスロットルを開けていった。

ようやくレースらしいレースをして結果を残すことができた往年の天才の長男はしかし、淡々とした口調で久しぶりの表彰台を語った。「自分のレースをするだけだった」というのはあまり面白みのあるコメントではないが、それもそのはず、彼が走り抜けたのは完走わずか11台という近来稀に見るハードなレースだったのだから。
「“残り20周”っていうサインボードを見て、もう後は終盤になるまで見ないように努力した」というロバーツ。「残り16周ってボードを見て、信じられないと思った」とロッシ。一瞬でもコンセントレーションを失うと地に這う結果になる“ボートレース”の中で、しかし際立つのはやはりロッシの信じがたいパフォーマンスだったといえるだろう
ユーロスポーツの記者トビー・ムーディは、2003年のフィリップアイランド*2、2004年のウェルコム*3とと並んで、今回のロッシを今後10年語り継がれる傑出したパフォーマンスだと絶賛している。
スタートに失敗して中団近くまで落ちながらすぐに先頭集団入りし、ミスで落とした順位もすぐさま回復し、何度となく横を向きそうになるマシンを信じがたいコントロールで立て直しながら、最終的に後続に3秒差をつけてトップでチェッカーを受けたイタリア人のリザルトの背後では、ロバーツの敢闘もかすんでしまうのも仕方がない(ムーディの“Suzuki had a good day too, but call us back when the result happens in the dry.”というのはあまりに冷たい言い方だとは思うが…)。
もうすぐシーズンも折り返そうとしている。ロッシが独走し、他のライダーが入れ替わり立ち替わりスポットライトを浴びては舞台袖に去っていく前半戦。はたして流れは変わるのだろうか。
……というか、もてぎの前にチャンピオンが決まりませんように!

*1:某巨大掲示板の常連“スペイソ”氏は、ロッシのラップタイムをこう表現する。素敵な言い方なので思わず借用。

*2:黄旗無視の10秒ペナルティを科せられながら、5秒差をつけてカピロッシを下し優勝した

*3:説明不要のヤマハ移籍初勝利とM1ムギュ!のレース