病膏肓

Jet2005-04-26

土曜日、午前6時。昨シーズンの終わり以来4ヶ月ぶりとなる伊豆。一時間ほど前に夜が明けたばかりの辺りの空気は、まだ何も混じりけがなく澄みきっている。僕は料金所で500円を渡すと、CBRのスロットルをひと開けして箱根ターンパイクを駆け上がった。
シーズンが始まってから毎週走り回っていた奥多摩に一旦別れを告げ、僕は久しぶりに伊豆に足を伸ばした。同じ峠に何週間も連続で通えば少し飽きが来るのも当然だが、タイトな奥多摩とは対照的な広いワインディングが恋しくなったのと、今年は自分なりにもっと伊豆に通い、“世界屈指の名ワインディング”とも称されるこの場所の魅力をできるだけ開拓してみようという目標をもっているせいでもある。
箱根ターンパイクは、狭い峠道に慣れた身には信じられないほどの高速コースだ。いつもながら走り方を確立できず苦労する。“井の中の蛙”的に同じ峠を走り回っているツケなのだが、この「道幅から来る速度域の違い」に対応できないという未熟さのせいで、僕は後で痛い目を見ることになる。
大観山パーキングを過ぎ、別料金となる十国線を通って熱海峠へ。ここからが今日のメインディッシュ、伊豆スカイラインだ。さすがにこの時間ではバイクも車も皆無に近い。朝練かくあるべし(笑)。4時出発、5時半着。伊豆スカイラインから西伊豆スカイラインへ回り、9時過ぎには帰路につき、昼にはようやくブランチなどを食べている家族の元に涼しい顔で合流するという、理想的な妻子持ちライダーのプランというわけだ(笑)。
理想的な曲率と見通しの広さを持つ伊豆スカイラインは、まさにライテクの教科書に出てくるようなラインの試せる好コース。いつもよりきつめのブレーキングを試し、その荷重をそのまま倒し込みに結びつけることに集中する。貸し切り状態の安心感もあってペースも気持ち良く上がり、すいすいとコーナーをクリアしつづける。
最近の練習の目標は、“ステップワーク”だ。GPなどを見ていると、ライダーがコーナーの進入や立ち上がりでせわしなくステップを踏みかえて、少しもじっとしていないのがわかる。そんな光景を意識しながら、単にステップに加重するのではなく、つま先、土踏まず、踵──足のあらゆる個所を使い、ステップも根本から先端まで踏み分ける。すると、バイクは驚くほどその挙動を変え、コーナーの種類によって自在に曲がり方を調節することができるのだ。
今日は体調もよく、かつてないほど“乗れて”いる。コーナーをクリアする一連の動きが流れるようにつながり、路面のバンプで車体が振られてもまったく焦らず対処できる。メーターに目を落とせば、かつての「宇川組」と同じくらいのコーナリングスピードが出せているじゃないか!僕はまったく気分よく冷川までを走りきり、そこでUターンすると亀石PAまでの間を数往復して楽しんでから、いよいよ西伊豆スカイラインへと向った。


とはいえ、僕は走りながらある問題がずっと背後について回っているのを感じていた。どうも自分は1000RRの“旋回を止めている”ようなのだ。理由ははっきりしている。僕がCBRの旋回力を信頼できず、怖がっているのだ。
レールに乗ったように安定してぐいぐい曲がっていくリーンは、1000RRの真骨頂だ。しかしタイトな奥多摩よりもずっと幅広くてコーナーのRも大きい伊豆スカイラインでは、いきおい旋回している時間が長く、かつ速度域も速くなる。奥多摩では倒し込んで強く旋回すると次の瞬間にはもう立ち上がりなのだが、ここではべたっとリーンしたままの時間がかなり長いのだ。
そのために、「本当にこのスピードで曲がれるのか?はらむのでは?」という疑念がどこかで心の奥に残り(そんなわけないのだが)、思いきってコーナーに飛び込めず、体をマシンにあずけきれない。結果としてわずかにリーンの角度を抑えてしまい、かえって旋回力が弱まるという悪循環だ。もっと悪いのは、その緊張感からついコーナーのアウト側を見てしまい、出口に目をやるのが遅くなるということだ。
この日のライディングの憶測に潜んでいたこの“問題”に、僕は手痛いしっぺ返しを食らうことになる。

冷川ICを降りて県道12号線に入ったときから、自分がおかしいのはわかっていた。早朝とはいえ車の往来もそれなりにある一般道のこと、すぐにクールダウンしなくてはならないのは当然なのに、それまでの興奮状態と速度感を調整できずにいるのだ。
体と意識が伊豆スカイラインの高揚を引きずって、なかなか元に戻らない。あきらかにオーバーペースなのをわかっていても、体がいうことを聞かないのだ。走りながら頭の中でずっと警鐘が鳴り続けている。“やめろ、落とせ、乗り方を変えろ”ともう一人の自分が必死に呼びかけている。
やがて僕は修善寺市街を抜け、県道18号線に入る。ここは遊園地「虹の郷」をかすめて西伊豆スカイラインを目指す、これまでとはうってかわってタイトな低速コーナーの続く峠道だ。少しクールダウンしはじめた心が、目の前のワインディングを見て再び燃え上がってしまう。
だが、未熟な僕は狭い18号線のコーナーにすぐに体を合わせられない。コーナーの進入速度が高すぎるまま、慌ててきつくCBRを倒し込む。しかし件の“体をあずけきれない状態”が意識に残り、マシンはアウトめがけてはらむ。視線はおびえてコーナーの外側を凝視し、マシンは当然曲がること拒否する──そんな危なっかしいコーナリングをしばらく続けた後、ツケはやってきた。
低速の登りの左コーナー。オーバーペースでの進入。リーン開始のポイントは想定より奥にとるしかない。僕は少し焦りながらブレーキングを開始した。
──そのとき、一つ先の右コーナーから、白い軽トラックが顔を出した。
そして愚かにも、僕は突然現れたその対向車を“見た”。あろうことか、視界の隅でではなく、視点をしっかりとそちらに向けて。
それがどんな結果を生むか──スポーツバイク乗りの諸氏ならもう目を覆うだろう。対向車を凝視したコンマ数秒の間、当然ながら体は固まる。イン側への荷重を失ったCBRは“直進”する。そして、その致命的なタイミングの遅れに焦った僕は、無意識にフロントブレーキを強めた。
何が起こったかわからないうちに、僕はイヤな破砕音とともに左側面から路面に叩きつけられていた。路面を滑る体がセンターラインを少し越えたところで止まった時、1mほど先に、急停車したさきの軽トラックの鼻先があった。

愚かで、あまりにも典型的なフロントロック──いや、“握りゴケ”。ドライバーに平謝りした後で(CBRが衝突したフロントバンパー隅の傷を不問にしてくれたのは感謝してもしきれない)トラックが走り去ると、僕はCBRを起こしてからジョン・ホプキンスよろしくツナギ姿のままコブシを振り回した。
──悔しい、悔しすぎる。原因も状況もわかっている自分のミスで転倒する悔しさは、かつて経験したことのないものだった。
状況に合わせてペースダウンできない自制心のなさ、バイクの挙動に関して鋭敏であれと心がけながら、急な変化に対応できないテクニックのなさ、そしてコーナーの出口以外に目をやるという、基本中の基本を忘れた未熟さ──。すべてが自分の愚かさが原因だ。
一歩間違えば……という一般道での危険も相まって、あらためてバイクの難しさを思い知らされる。しかも、それによって最高に調子がいいように見えたツーリングを開始早々にダメにしてしまったことも、悔恨の念に拍車をかけた。
幸い、体は左肩を強打していたくらいで、打ち身が一週間ほど残るだろうという程度。あらためてレーシング装備のありがたみが身にしみる。*1
CBRは対向車線まで滑っていった後で軽トラックに軽く“轢かれ”ていたが、クラッチレバーが中央の切り込み線から律義にぽっきりと折れた他は、操作系もエンジンも問題はない。僕はその短いクラッチレバーでマシンを操り、さんざん自分に悪態をつきながらUターンして帰途についた。*2

僕は帰るとすぐに、いきつけのショップにCBRを放り込んだ。クラッチレバーはじめ、破砕したミドルカウルや曲がったギアのリンクロッドは交換だが、削れた左アンダーカウルとアッパーカウルは自分への戒め(と、歴史)としてそのままにする。すべて修理すると10万ジャスト程度。直せない額ではないが、なぜかこの転倒を“なかったこと”にする気にはなれなかったのだ。
峠で左側面がずたずたになったCBRを引き起こした時、不思議なことに僕の頭には“大切なバイクが傷物に”という意識が全くなかった。とにかく脳裏は「マシンがまだ動く」こと、そして「必要な部品だけ交換し、すぐにでもまた走りに行く」こと、そしてなによりこのCBRを「乗りこなしてやれず申し訳ない」という気持ちでいっぱいだった。
削れたカウルは格好いいものじゃないが、こいつは飾り物じゃない。道具──最高の道具なのだ。走れること、乗りこなすこと、こいつで“上手く”なること──それが何よりも僕にとって大切なのだ。
やれやれ、そんな風に思うなんて、いよいよ病膏肓というヤツか、と僕は自分にあきれていた。こいつは100万以上する、一般人からしたら信じられないほど高価なバイクなんだぜ?そんな感覚になるなんて、どっかイッちゃってるよなあ──そう思いながら帰宅して、妻に転倒を報告する。
しかし痛々しく傷ついたマシンを見て戻ってきた妻は、残念がるでもなく「ホンダのバイクがボロボロになるのは(GPで)見慣れてるからなんとも思わないわ」と豪気に笑っていたのだった*3

*1:SIDIのブーツに包まれた左足は、左ステップのヒールガードが内側に折れ曲がって使い物にならなくなるほどマシンと路面の間に挟まれたのに、なんの影響もないのだ。

*2:“想定通りに”折れたクラッチレバーは、あれはあれでまともに操作できるのが驚きだった。帰り際の伊豆スカイラインで、悔し紛れにそれなりに攻めることができたくらいだ。本当に純正というのはよく考えられているものである。

*3:まあ家族に心配をかけるのはライダーとして一番の問題で、反省すること限りなしである。それを避けるためにも、心身両面で上達したいと心から思う。