死んだ峠

Jet2004-06-02

ライダー天国
目論見を間違えた?……そんな筈はない。確かに前回、平日に休みをとって走りに来てから4日ほどしか経ってないこともあって渇望感が足らず、起床はいつもより遅れてしまった。しかし、奥多摩入りしたのがゲートオープンの30分後。いつも朝練組のバイクがすでにいるとはいえ、少なくともクリアラップ(笑)がとれないなんてことはない時間だ。
しかし、この日の奥多摩周遊道路はまさにライダーズ・ヘブン。朝の8時台だというのにぶんぶんと他のバイクとすれ違い、少し飛ばせば前を行く車両に追いつくこともある。ここ2週間ほど雨にたたられた後の晴れた週末となれば、皆考えることは同じなのだ。
ここのところの僕のライディングの課題は、ちょっと精神的なテーマだ。それは「バイクを自分の支配下に置く」という意識。バイクのスピードだけでなくサスのストローク量、トラクションをかけた時のチェーンの張り具合などを逐一自分が感じ取り、コントロールしているという「意識」をもつということだ。バイクに「勝手な挙動は許さないぞ」と宣言する(笑)。しかしそのかわり、自分も全神経をとぎすませて600RRと“対話”しなくてはならない。
もちろん、そんなことすんなりできるわけがない(できたらそれこそプロのライダーだ)が、そう自分で思い込む効果はある。例えばこれまで扱いかねていた、高回転で発生する強いエンジンブレーキだ。考えてみればエンブレと言うのは前後ブレーキと違い、自分では全く制御できない。しかし、荒れ狂うバックトルクのご機嫌を伺って「このへんでひとつ」とか遠慮しながらマニュアルブレーキを加えていたんでは、当然ながら思い通りのコーナー進入などできないではないか。
そう考えると「エンブレ許せん」となる(笑)。とにかくエンブレを殺すことに情熱を傾けるようになる。するとこれまで進入初期にわずかにエンブレが担っていた分までの減速も自分でやらなければならないから、いきおいブレーキ操作に集中し、これまでより強く、素早く操作しなければならない。するとあら不思議、コーナー進入がこれまでよりずっと楽でコントローラブルになり、また進入速度もぐんと上がっていく──。
こんなことは当たり前のことだろうが、僕程度のライダーにはそれをやるための精神的なアプローチもけっこう効くということだろう。チェーンの張りを意識することだって、本当にそれができているかどうかなんてわからない。ただ、リーンしてからスロットルを開けるときに漫然と操作しないための意識改革なのだ(なんとなくスロットルをひねるだけだと自分が何をやっているのかわからず、それは恐怖心につながる)


バイクがあるなら、走るがいい
とても“乗れて”いる──今日はそんな日なのかもしれない。つじつかさ大先生のいう通り「一般道では誰もタイムなど計ってはくれない」のだが、それでも後から攻め立ててくるEunos Roadsterに道を譲った後で結局追いついてしまったり、ぴたりとつけてきたCBR954RRを細かいコーナーで引き離したりと、大人げないながらもそうした現象で自分のペースを測り、少しばかり悦に浸る(もちろん僕を抜いていったバイクもたくさんいるが(苦笑))
ここしばらく、思いきったハングオフなどの「大きな動作」を控えるようしているのだが、あきらかにその方がペースが速くなっている。バイクと一体化し、左右ステップへの荷重移動に集中して600RRの旋回力を邪魔しないことを優先するのだ。「う〜ん、もっと強いハングオフの方がよく曲がれたな」というコーナーもあるが、全体としてはこちらの方が以前よりも速い。僕の体重、あるいはこの奥多摩周遊道路というレイアウトと600RRの性質には、この乗り方が合っているのかもしれない*1
驚いたことに、9時半にはかなりの一般車が出始めた。バイクの数も目に見えて多くなり、まったり進むバイクに突っかかって後続がノロノロ運転、という現象すら出始める。しかし、不思議と腹は立たない。乗れ乗れ〜、ライダーたちよ、と僕はヘルメットの中で変にニヤニヤしていた。朝からこんなに山を求めて出てくるライダーがいること自体が嬉しいではないか。バイクは乗ってナンボのものだ。飾ったり理屈をこねたりしているより、自分のペースでいい、とにかく乗るのだ、走るのだ。バイク文化なんてモノは、結局その先にしかない。
10時を過ぎると、もはやどこを走っても一般車に突っかかるようになる。もう引き上げ時だな、と思いつつ、あと少し、あと少しと周回を続ける。すると今度はあちこちで事故が起き始めた。幸い軽い自損事故ばかりで相手のある人身事故は無いようでホッとするが、それでも二三ヶ所に乗り手のいないバイクが放置され始め、やがて回収にきたトランポとすれ違うようになった。もっともライディングの激しい“小僧区間”では、2スト小僧の一人がさっそく駐車場入り口でオイルをまき散らしたらしい。仲間が手際よく砂をかけて処理し、ガムテープで危険な路面エリアを区切り、他車の誘導を開始している。
もはや完全に引き時だ。皆さん、たまの晴れ、久方ぶりにバイクを引っ張り出して飛ばすのはいいが、ペースは自分と相談してくれよ、と思いながら周遊道路を後にする。目標は高く、しかし進むのは一度に少しづつ、だ。

若き者たちの、夢の跡
帰り際、ふと思い立って久しぶりに数馬から南へ転じ、甲武トンネルを通って上野原へ抜けることにする。そこから甲州街道を使って大垂水峠を経由して八王子、立川あたりを通って帰ろうというのだ。
久しぶりに通った甲武トンネルのある峠(名前は何と言うのだろう?)は、あらためて見ると本当に目を覆うような有様だ。上下車線の境目に四輪のドリフトを防ぐ段差が設けられ、“カマボコ舗装”といわれる上下に大きく波打った減速帯があちこちに施されたこの峠は、その目的通り、溢れかえっていたドリフト族ローリング族をすっかり駆逐してしまった。
僕は往時を知らないが、確かにこの峠は攻めるには最適だっただろう。タイトなヘアピンが連なり、「頭文字D」の勝負の舞台として登場してもおかしくはないくらい“美味しい”レイアウトが続く。かつては(特に四輪の)腕自慢の連中でさぞかし賑わっただろうが、タイトでテクニカルである分事故も絶えなかったに違いない。最終的に、乱暴ともいえる路面の改造によって強制的に彼らを追い出してしまうしかなかったのもうなずける。
しかし悲しいのは、それによってこの峠が「だれも通らない道」になってしまったことだ。ここを“攻めて”楽しんでいた四輪や二輪は奥多摩周遊道路をはじめ他の道路へ流れていき、上野原のはずれと檜原村をつなぐこのささやかな道路は、所用があって通過するわずかな地元の車を除いてはほとんど通るもののない寂れた道となってしまった。
交通量が少ないため予算もあてられないのだろうか、カマボコ路面はあちこちで大きくひび割れ、すき間から雑草が顔をのぞかせている。設置されたセンターポールは黒ずんで劣化し、腐ったように折れたりねじ曲がったりしている。白線のペイントもみすぼらしくはげたままだ。
多くのライダーやドライバーで賑わっている奥多摩周遊道路とは別世界のように、この峠はひっそりと静まり返っている。見上げれば青い空がぽっかりと浮かび、聞こえてくるのは鳥のさえずりだけだ。
──どちらがいいのだろう?と僕は道に問いかけたくなる。危険を顧みない多くの若者をその上で走らせていたあの頃が、この峠の全盛期なのだろうか?今のように誰も来なくなった静かな姿が、この道の本来の姿なのか?

バイクがその最大の楽しみをコーナリングに求める乗り物である限り、ワインディングでスロットルを開ける人々は後を絶たないだろう。「飛ばすのはサーキットでやれ」といかにも分別あるように語る人もいるが、そんな正論は事実の前には何の役にも立たない。悲しいかなどうやっても事故はなくならないし、「ワインディングで気持ち良く飛ばしたい」というライダーの欲求も消え去ることはない。バイクが「危険を内包した乗り物」であるという宿命的な事実と、現実の中でそれを低減させようとする努力の追いかけっこは、終わることはないだろう。
その間を結ぶことのできる掛け橋はただ一つ──モーターサイクルがテクニックを要する乗り物であるということを理解し、自分の技量と真剣に向き合うこと──それだけだと僕は思っている(考えてみればこれは、スキーやスノーボードと同じことでしかないのだ)
非日常の快楽と、真摯なテクニック、強い自制心──バイクの“安全な”楽しみは、この3つが極めて細いエッジの上に集まったところにある。しかしすべてのライダーがそのもろい集合点に気づくわけではないし、他にも安全を向上させる不断の努力は必要不可欠だ。だが、これは決してその一部ではない──本当の「安全」ではない──僕はそう強く思いながら、この死んだ峠を後にしたのだった。

*1:今月発売の『Dream Bikes』Vol.10には、CBR1000RRと600RRの非常に明快な比較特集が組まれている。それを見ると、1000RRは体を大きく動かして、反面600RRは動きを抑えてバイクと一体化して乗る、と書いてあってやはりか、という感じである。