名車の予感

Jet2004-08-31

忙中バイクあり
空から降ってきたニシンの群のように唐突で圧倒的な忙しさに追われて、ろくに走行距離が延びない。CBR1000RRの納車からすでに1か月近くが経とうとしているのに、現時点で600Kmと少し。慣らしを終えるにはまだ数百キロの延べ走行が必要だ。
500Kmを越えたのを機会に一度オイルまわりを交換し、そして再びカバーの下で眠らせる日々が続いている。とはいえ、これまでワインディングに持ち込んでいないわけじゃない。そしてその体験は、僕にこれまでにないほどの衝撃とホンダさんへの称賛をもたらしたのである。
ある金曜日の夜、中学・高校時代の旧友から「明日、浅間山付近へ行こう」とツーリングの誘いが入る。彼らの計画はいつも唐突だ。そこまで行ってなぜ万座ハイウェイに足を伸ばさないのか、と苦笑しつつも、すぐに慣らし中であることを理由に断りを入れた。
──とはいうものの、実は胸が騒ぐ。それだけ走れば相当距離を稼げるし、“手加減”してもらえば慣らし中でもついていくことはできるだろう。それに何より、バイクに乗りたい(笑)!
そんな風に揺らぎ始めていた矢先、「明日は慣らしにはぴったりだよ!」というこちらの心中を読んだかのような一文が送られてきて、僕はあっさり白旗を揚げたのだった。


ライセンス・キラー
翌日早朝、関越自動車道東松山で降り、集合場所へ向かう。ディーラーと相談し、回転数の上限は5000rpmと決めている。実際は今時の4気筒に慣らし中の回転数制限など設ける必要はなく、それよりも重要なのは急加速・急発進などで回転を一気に上げないことなのだという。
しかし気は心、一応レッドゾーンまでの半分を上限と決めて、あとはパワーカーブに合わせてスロットルを優しく開けていく走り方を心がける。1000ccの大排気量は、それでも高速道路で他車の流れについていくに充分なパワーを出してくれる。
実際のところ、こいつのパワーの出方は「楽ちん」の一言に尽きる。2000回転まではある程度薄さを感じるが、3000回転を越えたところから「スーッ」とスピードが乗っていく。その加速感はまるで、水の流れが自然と速くなっていくかのようにスムーズで、なんの唐突感もない。これはかなり気持ちのいい体験である。
一般には「エキサイティングさに欠ける」などと批判されることの多いこの1000Rのフラットトルクだが、僕は嫌いではない。というよりむしろ好みの範疇に入るかもしれない。しかしそれは別として、街乗りではかえって気を使う面もある。
自分がごく普通に走っているつもりでも、ふとバックミラーを見るとさっきまで後を走っていたはずのクルマやバイクが跡形もなくなっていることがよくあるのだ。そこでスピードメーターを見ると、あっと思うようなスピードが出ている。後続が遅いのではなく、自分がずんずん先へ行っただけなのだ。感覚が警報を鳴らしてくれない分、気をつけないとこいつは免許キラーにもなりかねないマシン、というわけだ。
集合場所に着くと、ドゥカティの900SSが二台、CBR1100XX、GSX1300Rとおなじみのメンバーが集まっている。諸々の事情でスケジュールが遅れたため浅間方面はあきらめ、上武道路赤城山へ。集団は休日の観光客で渋滞する赤木の北面・南面は避け、山の裾野をぐるりと一回りするコースへ進路を向けた。

ファースト・インパク
1000RRを初めて持ち込むワインディング。これまでの走行で乗り味が600RRとはかなり異なることは感じていたが、慣らし中だからと気を抜いて飛び込んだこれらの道で、僕は衝撃の体験をすることになる。
──信じられないほど軽々と曲がるのだ、こいつ。
ワインディングに入り、ツーリングスピードで走りながら「この低荷重でメリハリのある動きさせるの、辛いかなあ…」などと思いながらブレーキングを開始すると、まずこのブレーキが信じられないほどに効く。
よく高性能のブレーキを表現するのに「ブレーキディスクを指でつかんでいるようだ」という表現を聞くが、それが体感できたんじゃないかと思うほどだ。低荷重でもすぐ効力が立ち上がり、「むに〜」と引いた分だけしっかり効いていく。クリッピングの直前で一旦わずかに強め、少し緩めてからパッと離す。それら一つ一つの感覚が、信じられないほどにリニアに伝わってくる。
“まずい、これは『ブレーキングがうまくなった』と勘違いする!”と思う間もなく、次の驚きがやってくる。ブレーキリリースとともに、幅広で重いイメージがあった車体が信じられないほど気持ち良くリーンする。それは600RRのような「スパッ」という軽く鋭いリーンではなく、「ぐうんッ」という安心感のあるものだ。そしてその後は、レールの上に沿っているかのようにスムーズに軌跡を描いて曲がっていく。1000RRは「リーンの最中が気持ちいい」と書いていたインプレッションに、思いきり納得がいく。
ツーリング程度の速度にも関わらず、この楽しめ方はすごい。すっかり楽しくなってしまった僕は、わざとこの速度域では必要ないほどコーナーの奥にクリッピングをとり、鋭角的にマシンを倒しこんで遊ぶ(その結果前を走っている友人の脱出ラインに突っ込みそうになってあわてるのだが)
しかも、旋回中の安心感が高いので、リーンしている時間が長く感じる。必然的に、スロットルを開けるための余裕が生まれる。600RRのときは、希薄なリアの感覚と素早い挙動が相まって気が焦り、リーンしてからスロットルを開けるタイミングをミスしてしまうことがよくあった。しかし、こいつは「よし、今だ、これだけ開けよう」といった指令を余裕を持って下すことができる。
余裕。それがCBR600RRと一番テイストの異なるところだ。600RRは、車体と身体を一体化し、リアからの情報がいかに無かろうが無視して(笑)体ごとコーナーに突っ込み、ひたすらフロントだけを信頼して曲がりつづけることになる。旋回時間は極めて短く、ある意味おいしい場所はピンポイントだ。当然低荷重域では狙ったコーナリングにはなりにくく、のんびり走っているとマシンに尻を叩かれる車体でもあった。しかし、同じようにRCVからの派生を謳うこの1000Rには、ライダーをけしかけるような部分はどこにもない。
余裕といえば、車体全体にライダーの様々な動きを許容する“広さ”がある。身体をジョイスティックのようにあちこちに動かせるシートやタンクのレイアウトもさることながら、ステップも「足の外側にまだ一足分余裕があるんじゃないか」と思うくらい幅広に感じる。結果、腰の位置やステップの踏み位置を変えることで様々な荷重のかけ方を“本能的に”楽しめるのだ*1
そしてスムーズなエンジンの味付けが、それらコーナーアプローチ全体をある意味とても“のんびりした”ものにしている。全てにせき立てられていた600RRの時代からすれば、まるでこれまでが「しなくてもよかった苦労」のように思えてくるくらいだ(それはそれで全く違った楽しさなのだが)

解き放て
「からっ風街道」と、冬のことは想像もしたくないような名前のつけられた赤木南面の草深い農道を走りながら、僕はヘルメットの中でただただ感服していた。慣らし中でこれほど楽しめるんだから、ちゃんと高荷重をかけたらどれほどのものか。あるいは、もっとタイトなワインディングへ持ち込んだら……。
172psを誰にでも扱いやすく、というホンダの挑戦の本質は、慣らしが終わってきちんとパワーをかけてみなければわからない。あるいは、今は御しやすく感じている車体が、スロットルをもっと開けた瞬間に本当の姿を見せ、僕に牙をむく可能性は十分ある。
しかし、このマシンはとんでもないスポーツライディングの体験を与えてくれる──そんな予感はびしびしと感じる。降りてみれば、「190のリアなんて端まで使う自信ないなあ〜」なんて思っていたのが、もうほとんど使えてしまっているではないか…。
最高峰リッタースポーツでありながら、扱いやすい。疲れない。“上手くなった?”と思わせる──これはまるっきり新次元のレーサーレプリカだ。
ホンダのプロダクトの例に漏れず毀誉褒貶には事欠かないCBR1000RRだが、しかし、12時間以上もバイクにまたがっていた後で車体を停めたとき「またすぐにでも乗りたい」と思わせる快適さは、ライディングそのものを最大の楽しみとすべきスポーツバイクにとって決定的な「長所」ではないだろうか。
次なるワインディングへこいつを持ち込む日が、毎日待ち遠しくてたまらない。願わくばその時は、慣らしを終えてフルパワーで、といきたいものだ*2

*1:CBR1000RRのプロモーション映像で、開発ライダーの鎌田学氏がステップの先端に足の裏を突き刺すようにして無理ヒザ気味にコーナリングして見せていたのが印象に残っているが、あれが簡単にできてしまうんじゃないかと思うほどだ。

*2:後日談。その後しっかり奥多摩にも持ち込んだけれど、タイトなあの道路はコーナー出口でスロットルをがばっと開けられない慣らし中ではきつかった…。また今度、と帰ってきましたとさ。