ハンドリングマシン・CBR600RR

行かねばならぬ時がある
「4月1日、自分がこの一年間どうありたいのか考える日だ」と言ったのはマーク・トゥウェインだが、良くも悪くも一つの大きな区切りである新年度が始まった。自分が今年どうしたいかなんてつまんない話だから書かないが、街を見回せばたいていのものが希望に溢れているように見えるのは、急に暖かくなったこの陽気のせいなのかもしれない。そしてついにバイクのオンシーズンがはじまることへの期待感が胸を満たす。
窓を開け、目の前の路面と遙か遠くに見える奥多摩の峰々を交互に眺める僕を見て、妻が「貴方はまた行ってしまうのね…」というようなことを冗談半分に言う。そう、僕は行く(笑)。毎日のように天気予報に目を光らせ、週末が雨か否かで一喜一憂する季節がまたやってきたのだ。
昨年のCBR600RR納車以来、長雨と周遊道路の閉鎖という極ライダー的な不幸に祟られて頭を平手で押さえつけられているような気分だったが、もうそれもおしまいだ。我がホームコース奥多摩周遊道路が、8ヶ月以上の修復期間を経て遂に2日正午、開通した*1
新しい舗装状態を事前に偵察していた勇気あるネット上の諸氏によれば、赤い減速用舗装は付加されているものの、心配されていた横帯状の減速帯やカマボコ路面追加はなく、レコード盤と呼ばれる縦溝やセンターポールなども一部撤去されているというから、ありがたいというか不気味というか*2
奥多摩走り初めには休みを待たなくてはいけないが、だからといってこの陽気ではじっとしてはいられない。所用を済ませるついでに600RRを駆り出し、せめてもの気分とタイトなコーナーが続く狭い旧街道を走らせる。自制心を養っておく意味もあって常識的な速度を心がけ、前をふさぐ一般車があれば「低速域できちんとセルフステアを意識する」という最近の課題を練習して平常心を保つ。


フロント旋回の快楽
とはいえ、心はより高荷重域(笑)。狭い一般道の中で少しでも素早いリーンを心がけて楽しむと、思わず顔がニヤける。法定速度+αで走っていても、この600RRのコーナリングには胸がざわざわするほどの快感を覚えるから不思議である。
フロントに意識を集中し、力を抜いてポジションを確認する。ネモケン教の一信者としては心許ないが、リアはわざと意識からはずす。コーナー進入の時だけ一瞬スロットルを開けてブレーキングのきっかけを作っておき、ブレーキリリースと同時に「いいのかよ」と心配になるほどの感じでフロントへ荷重する。この速度域では、抜重を意識する暇もなくコーナーの出口を見ただけでマシンが「スッ」と倒れ込んでいく。この時感じる、フロントから自分の体にかけての一体感がゾクゾクするほど気持ちいい。
リーン後半、初めてリアのことを意識する。でもポジションとしては依然としてフロントにぶら下がっているような感覚で、違和感がある。しかしこれがオフロードマシンを参考にしたと言われる600RRの正式ポジション、そしてリアサスのストローク感もタイヤの接地感も希薄だと言われるユニットプロリンクの特質なのだ!(と雑誌で読んだぞ)と自分に言い聞かせ、かまわずリアへ荷重を続ける。
僕はこの旋回終了後にスロットルを開けるのがどうしても遅く、「いやー倒れてる倒れてるー」なんて楽しんでいるうちに立ち上がりのきっかけを失うという最悪のクセがある。リーンを最短で終わらせストレートスピードを稼ぐ、とかいうホンダさんの思想もこれじゃ形無し。スロットルをちゃんと開けてさらに強い旋回力を味わうのが、今期の大きな課題である。
最近『BiG MACHINE』誌2003年1月号での新垣敏之氏による各メーカーのタイヤテスト記事を読みなおしていたら、600RRが納車時に履いているDunlopのD208は、もとからフロント中心に旋回するような前後プロファイルを持っているらしい。接地感や“ツブレ”感は希薄でケースも堅く、高荷重域をかなり意識したタイヤだとか。路面のギャップを妙に拾いやすいのもそれを聞くと納得がいく。GS1200ssの時に履いていたMichelinパイロットスポーツは冗談かと思うほどリアがとんがっていて、後輪荷重するとすごい勢いで倒し込めたが、それとはまるで正反対というわけだ。奥が深い*3

エンジンは車体に仕えよ?
このウェブログによくコメントを書込んでくれるchihiro氏http://www.myprofile.ne.jp/2540002+blogがいよいよ600RRで走り出し、同じ車種乗りが増えるのが嬉しい限りだ。ところで、氏のファースト・インプレッションを読んでいてはたと気づいたことがあった。……そういえば僕は、この600RRの「エンジン」や「パワー」について全く気にしたことがなかったのである。
1200ccを二台乗り継いでの600ccへのダウンスケールだったので、トルク感やエンジンパワーについての期待を全くしていなかったせいかもしれない。実際乗ってみて、「手に負えないやこれ」といったような感じは全くしなかった(それよりなにより、スロットルを「開け切れる」という事実の方が嬉しかった)*4
もちろん「もうちょっと速くてもいいかな」と思ったこともある。スタート時の“駆け出し感”をもっと出そうと、前後スプロケの丁数変更をショップに相談したこともある。しかし、それはリッターマシンでスロットルをだらだらとひねっている時の、いわばトルクで走る「街乗りの速さ」を思い出しているだけだ、とすぐ考え直すことになった。僕はそうした排気量やトルクに頼る走りが嫌で、「速く走る」のではなく「速く走らせる」のだ!と600ccに目を移したのである。
巷で言われるような「盛り上がりのなさ」「スムーズ過ぎて拍子抜け」といった性格に関しても、特に何も感じなかった。それは、これまでに個性的なエンジンを経験してきたせいでお腹いっぱい、というのもあるのだろう。今の僕にとっては「振動」も「鼓動感」も、気持ちをもり立てる「トルクの谷」も、すべて目の前のコーナーへの集中を乱す外因、と感じられるようになってしまったのだ。昔はシングル好きだったのに、変われば変わるものである。
エンジンは高回転まで一気に吹け上がり、ライダーがどこをどう使ってもいいようにして欲しい。サスペンションのストロークや車体の挙動に感覚を集中できるよう、余計な振動もノイズも排除して欲しい。こちらが望んだだけのスピードで、望んだ位置へとスムーズにライダーを運んで欲しい。そこから始まるコーナリングという仕事にライダーがしっかり取りかかれるように──。
本格的なライテク修業を決意し、「個性的なエンジン」を不器用なライディングのいい訳にしたくないと思っていた僕にとって、CBRのエンジンは願ったりかなったりの「ライダーに奉仕する、静かで有能な働き手」だったのだ。
もちろん強烈なエンジンフィーリングに魅かれない訳じゃない。例えばVTR1000SP-2の「ダラララララーッ」という機関銃のようなエンジン音を聞くと、どうしようもなく胸騒ぎがする(絶対乗りこなせないけど)。しかし、そうした感覚が羨ましいなあ、などと思わないのは、エンジンフィールがくれるのと同じようなゾクゾク感を、僕はCBR600RRのハンドリングに感じているからだ。「エンジンのホンダ、ハンドリングのヤマハ」という古い例句とは裏腹に、僕にとってこのバイクは絶妙なコーナリングマシンなのである。

*1:まだしばらくは土砂崩落地点では片側相互通行が続くらしい。詳細は奥多摩観光協会のサイトでチェックすることができる。
http://www.okutama.gr.jp/

*2:横帯はともかく、カマボコ舗装は二輪や四輪の暴走を防ぐどころか、その道路に「完全な死」をもたらす。どんな低速で走ってもひどく不快なその路面はやがて通行者を遠ざけ、交通量の減った道路は整備の手も入らず、ずたずたにひび割れたアスファルトと好き放題に繁る草に覆われた廃道となってしまうからだ。上野原から奥多摩方面へ向かう甲武トンネル上川乗側の峠を通ったことがある人間なら、その惨状を身をもって知っているだろう。あれは円滑な道路交通保持という意味では本末転倒な対策である。

*3:それでも、OEMで最初から装着されているD208と、製品として買うD208はぜんぜん別物なんだとか。注文する時の価格表ではその2つはちゃんと別になっているとショップの人に聞いたから、どうやら本当なんだろう。なんか悔しい(笑)。

*4:「開け切れる」と「使い切れる」は違うので念のため(笑)。でもブレーキングが苦手な僕にとって、柏秀樹氏の言うような「スロットルをちゃんと開けられて初めて、ちゃんと止まることができる」という言葉は座右の銘に近く、怖がらずにスロットル全開状態を作り出すことは大きな課題だったのだ。小排気量車で修業してこなかったツケなんだけど。