再開


I am the grand prix racer and I know just where I stand
Another motorbike freak and another born shooter
Today I am the champion, I may have owned the racetrack
But I know the game, you'll forget my name,
And I won't be here in another season
If I don't stay on the podium
I am the grand prix racer, the idol of my age
I make all kinds of money when I go on the track
You see me in the TVs, I've been in the magazines
But if I go cold, I won't get run
I get put in a page in the old almanac
Like another odds and sods riders
僕はGPライダーなんだ でも身の程は知ってるつもりさ
ただのバイク馬鹿で、かっ飛ばすのが好きなだけ
僕はチャンピオンだし、今の僕にかなう奴はいない
でもわかってる ちょっと表彰台にご無沙汰したら
すぐに忘れられる 次のシーズンにはもういないのさ
僕はGPライダー みんな僕に心酔してる
レースを走れば 使い切れないほどの金が入る
テレビにも引っ張りだこ 雑誌にも出ずっぱりさ
でもちょっと調子が悪ければ もうシートはない
他の無名のライダーたちと同じように
古いグランプリ年鑑の1ページになってしまうのさ


ごぶさたしておりました。Jetです。しばらくプライベートモードでのんびりデザインテンプレートなどいじっておりましたが、ようよう再開いたします。知らないうちになんだかはてなダイアリー市民ですらなくなっていて、ちょっと寂しかったです(笑)。
上のはホンのいたずら。Billy Joel『The Entertainer』の替え歌です(歌ってみると字余りだったりするのはご愛嬌)。いよいよセパン・テストも終わり、依然としてわれらがマックス・ビアッジアレックス・バロスらの消息はとんと聞かれない中、ダニエル・ペドロサマルコ・メランドリがトップタイムをさらっていたりするのを見ると、ふとこんな替え歌が浮かんできたりします。まあロッシには当てはまらない歌ですが(笑)。
しばらくエントリを書いていなかった期間の私的最大トピックといえば、トップのバナーにもあるようにこっそりとCBR1000RRから'06型の600RR(パールファイアーオレンジ)に乗り換えたことなのですが、これについてはこれからいろいろ書いていきたいと思います。
それでは皆さん、忙しい師走に入っていきますが、どうかよろしくお付き合い下さい。


Jet拝

 マイナス46

Jet2005-10-25

アナタノムネン、ハラシマス──二年前、亡き加藤大治郎のゼッケンをまとって神懸かり的なシーズンを過ごしたセテ・ジベルナウは、今度は9月初旬の負傷以来欠場を続けているトロイ・ベイリスの意趣を受け継いだつもりなのだろうか?
XPDブーツのチタン製トゥスライダーを真新しい路面にこすりつけ、派手な火花をまき散らしながらコーナーに飛び込んでいくセテ・ジベルナウを見ていると、そんな皮肉めいた感想が頭をよぎる。
トルコGP前半、2ndグリッドからすばやくホールショットを奪ったマルコ・メランドリを追撃する32歳のスペイン人は、その悲惨な2005シーズンに一輪の花を咲かせようと、懸命に若き250ccチャンピオンに食らいつき続ける。依然としてBMWアワードではトップに位置し続けるこの“予選番長”が、今度こそトップでチェッカーを受けてその真価を証明してみせるときが来るのだろうか?そんな想像も胸を去来する。
PowerBookをつないだリビングのテレビで画面を周回するトップライダー達にくぎづけになっているうち、妻がいそいそとクローゼットから#15のキャップをもち出してきて、それを被りながら観戦を始めた──どうやら今回は本気でこのカタルニア人に期待しているらしい。
“左回りの男”ニッキー・ヘイデンと、後方からじわりじわりと順位を上げてきたロッシを背後に従え、2台の“ザ・モビスターズ”がレースをリードする。イエローのアクセントを強調した新しいカラーリングが、イスタンブールの乾いた空気に似つかわしくない輝線となって、見るものの目を射る。ホンダ勢の中で事実上ベストの実力を持つこの青いスポンサーカラーが来シーズンにはレーストラックから消えてしまうのかと思うと、一抹の寂しさを感じざるを得ないのは確かだ。
はっきりとメランドリの尻をつつき続けていたジベルナウは4周目、3連続左コーナーの終端、ターン9でついにメランドリをパスする。少しずつギャップを拡げながら逃げを打つかのように見えたジベルナウに、カタールの二の舞いだけはごめんだぞ、とハラハラせずにはいられない。
異国情緒溢れるアーチ型のファサードをもつパドックの前を、ライダー達が最高速で駆け抜ける。意地の悪いタイトなターン1から急激な左の下り、そのまま高速の登り右ターン、そして再び下りに転じる前のレフト・ハンダー、ターン4──そこまでやってきたわれらがジベルナウは、気の散った犬のように急に進路を変え、グラベルトラップへと飛び込んでいった。
観客の口から漏れるのは悲痛な絶叫か、ため息か──この瞬間6位まで順位を落としたジベルナウは、コースに戻って必死の追撃を開始する。だが、トップグループとの悲しいほどの差と、そして彼がこのギャップを覆すことはない──彼はロッシではないのだ──ことは、もはや誰の目にも明らかだった。
気がつくと、妻が帽子を部屋の隅に放り投げていた。


レース展開だけみれば、それほど刺激に満ちた一戦というわけではない。しかし、マルコ・メランドリがトップでチェッカーを受けた後に残ったのは、例えようのないすがすがしい満足感だった。
互いに53秒台で周回を続けるロッシとメランドリ。ロッシは9〜10周目、あるいは17周目といった中盤のうちに何度か追い込みをかけるが、その差はわずかに縮まりこそすれ、いつものようにロッシがやすやすとオーバーテイクの機会をつかむ雰囲気はない。特に前半セクションでは、あきらかにメランドリが速い。
──調子が悪いわけではない。ロッシはメランドリに追いつけないのだ。
そう考えた途端、胸に熱いものが走る。これは、長いロッシ支配の時代がその衰亡期めがけてターンするきっかけなのだろうか?
ロッシが他のライダーの後塵を拝することがこれまでになかったわけではない(“今日のセテは速かったね”)。しかし、このイスタンブールでの戦いは、どこかこれまでと違うように思える。
今シーズン、これまで7回のフロントローと5回の表彰台を獲得してきたマルコ・メランドリが“確変”の時期を迎えているのは間違いない。同じようにニッキー・ヘイデンも4回の表彰台と1回の勝利をものにしているものの、日本GPでロッシを押さえつけた揚句にミスを犯させ、その後の負傷にも関わらずひどい戦績に堕ちることなく、カタールではロッシとアグレッシブな接戦を披露したこのイタリア人ライダーには別の“勢い”がある。その格が今シーズン後半でワンランク上がり始めていることは、誰の目にも明らかだろう。
「今日の表彰台に乗った3人は、MotoGPの未来の姿さ。来シーズンはエキサイティングな年になるよ」とロッシ自身もコメントしている*1。そこには、ジベルナウマックス・ビアッジといった“ベテラン”ではなく、未知数のポテンシャルをもつ若いライダーとバトルができるようになったうれしみがにじんでいるようにも感じられる。

ロッシがやはり来シーズンも王冠を手にし、伝説を確固たるものにしてレーストラックを離れるにせよ、ヘイデンやメランドリといった若手に僅差で破れ、幕引きを誰の目にも明らかな世代交代に置き換えて姿を消すにせよ、2002年のMotoGPクラス開設以来その代名詞となってきたこのチャンピオンの時代は、やがて終わるだろう(それが07年のフェラーリ転向であるにせよ、ないにせよ)。
『Cycle Sounds』誌12月号では、マイケル・スコットがその連載記事「GP PADDOCK」の中で、ロッシ去りし後のGPシーンについて具体的な想像を呼びかけている。
思い浮かべて欲しい。グリッドにはもう、カメラに向かって愛想を振りまく背の高いイタリア人の姿はないのだ。あらゆるサーキットのスタンドやフィールドから、そこを埋め尽くす黄色いカラーが忽然と消えるのだ。ウィニングランの最中にトラックになだれ込む陽気なファンクラブは、その活動の場を別のところに移してしまい、ピットロードから出るときに立ち上がったり、マシンにまたがる前にステップを握る仕草もやがて、それを知る者の間での符丁に過ぎなくなる──それはもう、なんだかMotoGPではないかのような違和感すら覚えるではないか。
しかし、そんな時代は確実に来るのだ。しかも、ほどなく。
それが二輪グランプリをよりエキサイティングで面白いものにするのか、マイケル・スコットの指摘するように「ロッシ以外の“二番格のライダー”によるチャンピオン争い」のような失意に満ちたものになってしまうのか、それはわからない。
しかし、そろそろ僕たちはその時代──“マイナス46の時代”──を迎える準備をしなくてはならない。それはひょっとしたら寂しいことかもしれないな──トルコGPの表彰台で歓喜に踊るヤングライダー達を見ながら、意外にもそんなことを感じずにはいられないのである。

 空飛ぶウォトカ

Jet2005-10-21

10月に入って春以来続いた仕事の修羅場もようよう終了したはずなのに、不思議なことに時間がない。いろいろあるにせよ、まあこういう状態が“いっちょまえの大人”なのだってことにしておこう。
というわけで、かくも長き不在、のABモータース。大変失礼をばいたしました。日本GP以来4戦も過ぎてしまった今、全くバイクには関係のない話でもつらつらとして、いつもながら復活の端緒とさせていただきましょう。
──いや、以下ほんとに単なる左党談義ですから(笑)。


もう一年半くらい、“全国の酒蔵から銘酒が送られてくる”って便利なプログラムに申し込んでいたのだが、先日「固定費の削減」を名目に終了(笑)。まあ実体は、あまりにもフルーティな純米大吟醸とかばかり送られてくるので、気がつくと“骨のある”酒を受けつけなくなっていてこりゃマズイ軌道修正しなきゃ、ってことなのだが。
感謝してもしたりない妻の家計的努力によって、わが冷蔵庫にラガービール*1の切れることは無いのだが、とはいえそればかりではいられない。一週間の疲れを癒す週末ともなれば、少し変わった酒でも聞こし召してみたくなる。それに、最近は蒸留酒系にとんとご無沙汰だ。
というわけで、僕は仕事帰りにふらりと酒屋に寄って、好物のウォッカを査収することにした。丁度家にあるFinlandiaがあと数滴しかないのだ。
ウォッカといえば大抵SMIRNOFFを思い浮かべる人が多いかも知れないが、僕がイチ押しするのはこのフィンランディアである。スムースで癖がないわりには香り高く、僕のようにカクテルベースにしない場合にもじつに味わい深い。ジェームス・ボンドマティーニのベースにする定番はスミノフだったのに、『Die Another Day』以降はこのフィンランディアに切り替わっているので知っているむきも多いだろう*2(おっと、なんかオッサンが得意げに語るウンチクみたいになってきた…)。
──と、驚いたことに立ち寄ったリカーショップではフィンランディアを置いていないではないか!失望のあまり帰ろうかと思った矢先、目に入ったのはそう、GPファン諸氏ならおなじみであろう「SKYY VODKA」である。
おお懐かしい、こいつは、2003年までは日本GPや豪GPをスポンサードしていたスカイ社の洒落たウォッカである。昔から興味はあったのだが、他と比べてちょっとばかり高めなので敬遠していたこの酒、味わってみるのも悪くはない。僕はブルーのすらっとした瓶をつかみ、ついでにGuinessを2缶ほどカゴに放り込むという贅沢をして(給料日前だというのにw)、家路を急いだ。

マイサンを風呂に入れるなど諸事を済ませた後、ようやく遅い夕食のテーブルにつく。クリーミィな泡をシズル感いっぱいに表現した車内広告にやられて買ってみたギネスまずを味わった後、カリフォルニアの空をイメージしたというこのアメリカ産ウォッカの美しいボトルのご開陳だ。
僕はウォッカをロックで飲むのを好む。2〜3年ほど前、疲れのあまりカクテルに凝り出して(酔うのが早いからw)、ベースのスピリッツから道具一式からシロップ類まで軒並みそろえたことがあるのだが、甘ったるい味わいのものはあまり性に合わず、体脂肪15%を維持するためにもちょっとシロップってのは抵抗があった(え?それならそもそも飲むなって?)。
しかし中でも結局性に合ったのが「ジン&ビター」 というやつ。グラスを水で湿らせ、そこにアロマティック・ビターを数滴振る。それをグラスの内側に指でさっと塗り、氷をざっと入れて、そこにジンを注ぐ。ビターの渋い香りと、ジンのピリッとした味わいが合わさってじつに芳醇で、それでいて男臭い(笑)。
以来、僕はウォッカにもこのビターばかり多用している。とはいえ外で飲むときはビターがあるとは限らないので、ロックにしてライムだけ添える、という感じだ*3
はてさて、GPファンとして初めてのスカイウォッカは──じつにストレート。4回蒸留して3回もろ過するという手間のかかる工程を経るのがこの酒の特徴らしいが、その凝った課程の示す通り、澄みきった味わいだ。クセがない、といえばそれで済んでしまうが、上品と言い換える方が適している気がする。ストレートやロックも悪くないが、ビターのみならずいろいろな味の組み合わせを楽しみたくなる。
すっ、と咽に入る味わい。続いて“胃の腑”からほんのりと立ち上がる温かさ。ビールや日本酒では得られない、蒸溜酒系ならではのこの済みきった感じが僕は好きだ。日本酒はつまみありきだが、こうした蒸留酒はアルコールと人間の根源的な関係をすごくはっきりと味あわせてくれる。
心地よい酔いに任せてトルコGPのFP結果を見れば──おっと、久しぶりのホンダ1-2-3!こいつは先が楽しみだ。というわけでみなさん、トルコが終わる頃に再び!

*1:あ、これは「キリンラガー」ということではない。ウチはサントリー党である。工場も近くにあるし(笑)。

*2:もちろん強力なタイアップ戦略によってだけど。

*3:実はこうしたジンのストレート飲み、80年代の映画『St.Elmo's Fire』で若き日のデミ・ムーアがでかいグラスからぐいぐい飲んでいたのを「かっこいー!」と憧れて以来、というのは恥ずかしい秘密である

 サイン三昧

Jet2005-09-16

いよいよ日本GPウィークが始まり、内心「きゃふ−ん」とでも叫びたいほど落ち着かないのだが、そこは大人なのですました顔で「お世話になります」などとクライアントにメールを書いている。
とはいえ、いかに仕事が忙しかろうとも、憲法で健康で文化的な生活を保証された国民として、年に一度の楽しみを邪魔されるわけにはいかない!なんとか溜まった仕事を人におしつけ(え?)、僕も明日からZ席に陣取る予定である。
そんな興奮をさらにもり立てるかのように、先日の水曜日、ブリヂストンの小平工場にGPライダーたちがトークショーにやってきた*1
この工場、実は僕の住むところから自転車でさほどかからないところにあるのだが、同じ空の下どころかこんな近所にGPライダーが集まるとあっては、いても立ってもいられない。僕は妻とマイサンを連れて、酷暑の中TODAY館と呼ばれる工場併設の展示施設で行われたこのイベントに顔を連ねた(あれ?仕事は?)。
このTODAY館はこじんまりとしてはいるが快適なスペースで、さまざまなタイヤの種類や製造過程を学んだり、また摩擦係数や反発弾性、温度などによってゴムにどんな変化が生まれるのかを、実際に手で装置を動かしたりして体験できる。全体を回るのに小一時間もかからないが、F1マシンはもちろんのこと、ケニー・ロバーツ用のGSV-Rがさりげなく常設展示してあったりする、あなどれない施設なのである。
この日はそのGSV-Rに加え、ZX-RRとデスモセディチGP5が表に並べられ、強い日差しを浴びて輝いている。もうすぐこいつらが走るところを実際に目にできるのかと思うと、いやがおうにも盛り上がるではないか。


炎天下の中、姿を現したのは中野真矢アレックス・ホフマンロリス・カピロッシカルロス・チェカ、ジョン・ホプキンスの各ブリヂストンライダー。事前の告知通りケニー・ロバーツの姿はなく、一人だけチームメイトのいないホッパーは少し所在なさげだ。意外なことに一番オーラを放っていたのはチェカ様で、長身でジーンズにだらっと手を突っ込んだポーズもキマッていて、いかにも歴の長いスペインのスターっぷりを感じさせる。
テンションの高い女性司会者の進行でトークショーは進むが、タイヤつながりという微妙な関係だからか、皆どこか他のライダー達に気を使っているような物言い。ひとり威勢のいい発言で会場を沸かせるようなライダーはいない。
インタビューには通り一遍の答え──1)チームはいい仕事をしてくれるし、2)調子も上がってきているので、3)もてぎではきっといい結果を出せると思う──が繰り返され、それほど面白くはないのは仕方がないところか(このあたり、同じ複数チームのラインナップでも日本人ライダーだけのイベントなどとは明らかに違う)。
とはいえ、中野真矢だけは日本人ということもあってリップサービスで会場を盛り上げてくれる。さらに、ホッパーの「とにかく1コーナーを抜けることさえできれば大丈夫さ!」に笑いが沸き起こる。
ライダー達の立ち居振る舞いもそれぞれで面白い。中野とホフマンは始終クスクスと笑いあい、とても仲がよさそうだ。それに対し、身長差の大きさが際立つカピロッシとチェカはほとんど目も合わせず、ビジネスライクな関係という印象だ。
わからない日本語司会の間も愛想よく注意を向けているカピロッシやホフマン、こういう場所苦手だな〜という感じでガムを噛みながらポケットに手を突っ込み、いかにも若手ルーキーといった感じのホッパー(しかしすごい胸板だ!)、旅疲れでぼーっとしているのか、ちょっと面倒くさげなチェカ様など、5者5様といった感じである。

インタビューが済むと事前に配られていた券で抽選が行われ、Tシャツや帽子、使用済みニースライダー(!)などサイン入りのグッズが配られていく。「何か当たるかも…(なにせ家族三人分の抽選券があるしね)」なんて調子よく思っていたら、まさに手元の番号が呼ばれた。そしていただいたのはチェカ様のサイン入りブリヂストン帽子
これも嬉しいが、カピロッシやホッパーのサインも欲しかったかも…なんて罰当たりなことを考えていたら、驚いたことに最後にライダー全員によるサイン会が始まった。しかもブリヂストン側が色紙を用意し、流れ作業で5人全員がサインをしてくれるという大盤振る舞いだ。
GPライダーを間近で見れた上に大量サインまでゲットして、僕たちはほくほく顔で小平工場を後にした。家には宇川徹やマックおじさんのサインもあるし、なんだか年季の入った野球ファンの家みたいになってきたな、などと思いながらも、はや心はもてぎに飛んでいく。
あの山あいのすーっとした空気。道すがら、すべての車やバイクがもてぎに向かってるんじゃないかと思いたくなるあの高揚感。駐車場からコースに向かう途中、プレリュードのように聞こえてくる125ccのエグゾーストノートに走り出したくなる*2──そんなグランプリの昂奮は、もう目の前なのだ!

*1:僕は、これまで愚かにもここがGPタイヤ開発の中枢だとは知らずにいたのだ。正門の前を車で通り過ぎながら、「頼むぜ〜ブリヂストン!」「意味ないよ、ここはただの工場なんだから」なんて会話を繰り返していたのが悔やまれる。去年のリオやもてぎの翌日には、正門前にシャンパンでも供え、旗でも振るべきだった(迷惑だっつーの)。

*2:例年埼玉にある実家を拠点にしていることもあって、だいたいサーキットに着くのが9時前。というわけで125のWUP音なんである。しかし今年はそうはいかない。珍しくピットウォーク券など買ってしまったからだ。──起きれるのか?

 好き者たち

映画館離れが叫ばれ、利益構造がテレビ放映やDVDに移りつつあるとされて久しい。僕自身も(大学で映画を専攻しておきながら!)今や映画館に足を運ぶのは年に一、二度──しかも、それはヘタすれば子供の時に見たロボットアニメの再編集版というありさまだ(笑)*1
ジョージ・ルーカスWIREDのインタビューで、この時代の流れを認めつつ、「将来も人々は必ず映画館に足を運ぶだろう」と予言する。しかし、「それは人がいつの時代も社会体験を好むからだ。ただし、今ほど多くの人が映画館に行くことはないと思う」と続けている。
社会体験──そうなのだ。目の前に座った男の上背にスクリーンを半分ふさがれることもなく、親にセリフの意味を尋ねる子供の大声に邪魔されることもなく、後の人がこぼしたコーヒーが足下に流れてくることもない──そんな快適でぜいたくな自宅でのDVD鑑賞を捨ててまで映画館へやってくるのは、それが社会性をもつ行為だからだ。他人と言葉や体でコミュニケーションをとることばかりではなく、時間と目的を同じ密度で共有できる場へ出て行くことは、人間の根源的な社会的欲求を満たしてくれるのである。
……と、そんな堅苦しい話はさておき、共有体験という点で言えば、これほど密度の高い空間もそれほどなかっただろう──そう、9月10日、新宿。映画『FASTER』初日である。


先日のエントリのとおり一週間前に前売り券を手にしたことに安穏とし、新宿へ出張ったのは7時過ぎ。妻とゆるりと飯でも食べて……と思う前にテアトル新宿へ立ち寄ってびっくりした。
この映画館は単館上映中心なこともあり完全入替制で、場合によってはチケットに整理番号を打っておく必要があると聞いていたので念のためやってきたのだが、これが迂闊だった。開場一時間半前だと言うのに、捺されたスタンプは114番(!)。見ればすでにロビーには好事家たちが思い思いに場所を取りはじめているじゃないか。
とはいえ腹ごしらえをしなくては103分の長丁場は耐えられないだろうと、近場の雑居ビルで食事を済ませ、集合時間とされる9時すぎにテアトルへ戻って2度びっくり。劇場の外まで長蛇の列ができ、すでにロビーは人でごったがえしているのである。
少し焦ったのもつかの間、整理番号順に整然と入場させられ、確保した席は左翼の中心、まあ気にするほどでもない。振り返るとホールの後には立ち見の人たちも鈴なりになっていて、予想外の人気に驚くやら嬉しくなるやら、だ。
そう、今晩ここに集まった300人近くは、同じ“人種”──GPファンなのだ。そう考えるとワクワクしてくる。74という数字に多少なりとも思い入れを持ち、イタリアやスペインに通常の人よりも深い理解を示し、ナストロ・アズーロやWEST、テレフォニカ・モビスターといった一般人ならまず知らないようなブランドに脳味噌の一部を割き、「ぷんわ〜」というやかましいホーンの音を心地よいと感じる人たち──ここはそうした人たちの集まりなのだ(そうか?)と思うと、なんとも気持ちいいではないか。
そうこうしているうち、多少の二輪系CFの後、ユアン・マクレガーの抑えたナレーションとともに映画は幕を開けた。

映画そのものはあちこちでレビューも展開されているし、ネット上でも各所で適評を得ているので、とりたてて付け加えることもないだろう。僕の敬愛する映画評論家おすぎの言葉を借りれば*2、(GPファンなら)“もー、這ってでも観にいって頂戴!”である。
ストーリーは、2000年シーズンからのギャリー・マッコイの好調と、彼が度重なる故障によって第一線を退いていくまでの姿、“ケヴィン・シュワンツの再来”とされたジョン・ホプキンスの実像、そしてわれらがビアッジ先生とヴァレンティーノ・ロッシとの因縁が中心となり、一時間半以上をまったく飽きさせない。
往年の、そして現役のライダー達に加え、これまで記事しか目にしていなかったGP界のご意見番たち──マイケル・スコット、ジュリアン・ライダー、トビー・ムーディ──も次々とスクリーンに登場して自説を披露し、感激の極みだ。そして随所に王者ミック・ドゥーハンが顔を見せ、マッコイやビアッジら“詰めの甘い”ライダーをばっさばっさと切り捨てる(笑)。
これまで話には聞いているが実際に見たことのなかった映像、また目にしたことはあるが鮮明なバージョンは始めて、というようなクリップも満載だ。おなじみ99年のスペインGPでウィニングラン中にトイレに駆け込むロッシをはじめとして、02年日本GPでビアッジがロッシを肘でコース外へ押し出した“事件”、はたまた01年オフシーズンに一瞬だけテストされたレッドブルWCMの“空力重視”変態カウルをまじまじと目にすることができる。
極めつけは、01年カタルーニャGP、パドックでビアッジとロッシが殴り合った有名な事件直後のプレス・カンファレンス映像が、鮮明な画像で見られることだ*3
映像も実にスタイリッシュ、かつ編集もいい。01年カタルーニャ──ビアッジの劇的な敗北に向けて、細かく両者のカットバックを繰り返していく映像は、あたかも目の前でそのレースの結果を見守っているかのように迫力がある。
初日なこともあってか、場内は随所で大きな笑いや拍手につつまれ、“共有感覚”が観客たちをつつんでいた。未見の人も、百聞は一見に如かず。5週間という短い上映期間の間、なんとか新宿まで足を伸ばすのもいいし、DVDの発売を待ってもいい。とにかく見ておくべき良作だ。
特に、(僕のように)GPライダーやマシンに興奮しつつ、スポーツバイクで山を走り回る“愚か者”には必見である。映画の最後には、GPライダー達によるキツーい“お説教”が待っているのだから──。

*1:ええ、行きますとも、『恋人たち』にも。僕はもともとフォウの声が太すぎて好きでなかった(島津冴子さんは大好きでしたが>DPユリのせいで)ので、議論かまびすしい新声優陣にも抵抗ないので安心。

*2:僕が彼女(?)を映画評論家として評価しているのは、そのレビューがあくまで感情的かつ主観だからである。あるものをすばらしいと言うとき、それはぜったい理詰めでは伝わらない。人を動かすのは、結局は熱意や情感だからだ。理屈は人を感心させるが、感動はさせないのである。

*3:ここでは、「蚊に刺されただけさ」発言で“大人の対応”をして勝利を収めたとされるビアッジの姿を実際に目にすることができる。

 最速の遺伝子

Jet2005-09-02

忙しいのは相変わらずだが、どうも尻の下がムズムズして落ち着かない。最近急にDucatiが欲しくてたまらなくなった。しかも、乗りこなすのに相当な熟練が必要な996シリーズ、それか998なんていい(厳しければ厳しいほど燃えるのだ!)。そう思い始めて、Webサイトで中古市場を調べ始めた。
──おっと。経験豊かな僕は、こうした症状がどうして起こるか知っている(笑)。ここ半月以上まともにバイクに乗っていないからだ。週末にでも時間を作って一発ツーリングでもすれば、こんな気分は吹き飛ぶ。いつものことなのだ。
そんな気分になる理由は、わが愛車CBR1000RRの特質だ。このバイク、乗っていないとスタイルや挙動などにいろいろ不満を感じ始めるが、しかしひとたび乗り回すとどんな不満も胡散霧消するという、通常とは逆の不思議なマシンなのだ*1
とはいえ、間近に迫った日本GPの興奮もあり、なにか代償行為でもしないと落ち着かない。そう思った僕は、仕事場を抜け出して地下鉄に潜り込み、新宿へと向かった。目指すはテアトル新宿──そう、来週末から始まる映画『FASTER』の前売り券を手に入れようと思い立ったのだ。


海外では2003年に公開されたこの映画、これまでは英語の公式サイトでTRAILERを見て満足するしかなかったが(輸入DVDはあったけれど)、いよいよ字幕が入って日本公開だ。とはいえ、単館で、しかも9:20からのレイトショー1回のみという無体な扱い(笑)。5週間の限定公開なので、まあ日本GPのプロモーションといったところだろう。
それでも観れないよりはマシである。僕は頼み込んでマイサンを実妹に押しつけ、妻と一緒に初日に映画館へ乗り込むという目論見なのだ。子供を持って以来、ふたりで映画に来れる機会なぞまずなかったのだが、やっとつかんだその機会がGPのドキュメンタリーというのは何とも色気のない話だけれど(笑)。
というわけでテアトル新宿で前売りを所望すると、話には聞いていた特典の「大治郎バッヂ」とやらが大量にビニール袋に入ってどさりと供された。見ると何種類かあって、好きなものを選べという。
これがまた驚くほどパチもんくさいものばかり(笑)。正規ライセンス品なのだろうけれど、青と黄色という後年の大治郎の基本カラースキームなんて完全無視。赤いハートマークの上に74が描かれたものや、意味不明な偽モッズっぽい二重丸が配されたものなど、思わず失笑してしまう。
まあそれはそれで、比較的それっぽい物を2点査収して、僕はテアトルを後にした。

黄色と赤という迫力ある色基調だった海外サイトと違い、日本公開版の公式サイトやチラシはセンスのあるグラフィックデザイナーを配していて、80年代のドキュメンタリータッチを今風に起こしたようなザクっとしたデザインで好感が持てる(前売り券なんて「白黒」なのだ!)。
楽しみつつチラシを眺めていると、「ライバルの遺伝子」と称して、ケニー・ロバーツ VS バリー・シーン、ケヴィン・シュワンツ VS ウェイン・レイニーと並んで、ヴァレンティーノ・ロッシ VS マックス・ビアッジの文字が並んでいて思わず号泣する。そう、この映画が対象としている2000年〜2002年シーズンは、そんな時代だったのだ(なにせメイン・フィーチャーはギャリー・マッコイなのだ!)。
ああビアッジ先生…。crash.netにもあった通り、先日のブルノでレースを通してラップタイムが2分台に落ちた回数が一番少ないのはあなたなのだ…*2!あんた最速だったんだよ先生!
小型になった新型RCVでチャターも解決して気を良くしているらしいそんなビアッジさんにわずかな期待をかけながらも、僕はレイトショー初日に思いをはせる。こんなマイナー映画の単館上映に初日からやって来る人たちは、よほどのフリークたちに違いない。スクリーンに向かって拍手喝采、試写会めいた盛り上がりが期待できるだろうか…?妻曰く、「ツナギで来る人はいないでしょうね…」。そいつはいい、興奮したライダーたちが深夜の靖国通りでバーンナウト合戦か?(捕まるっつーの)
そんなことを考えながら手元の前売りチケットを見たら、通し番号が2と3だった…orz。近郊のGPファン諸氏よ、大治郎バッヂも大量に余ってましたよ!ここは一つ、新宿へ出向いてはいかがでしょう?

*1:1000RRがオーナー以外のライダーの間で妙に評価が低いのも、さもありなんである。車重やユニットプロリンクの特性などツッコミどころは多いが、一度でも実車を駆けたことのあるライダーなら、その乗り味の好き嫌いでこいつを避けることはできても、決して否定は出来ないのではないかと思う。

*2:ロッシは初周と、ジベルナウの“様子見”をした16〜18周で2分台、対してビアッジは初周と21周目の2回しかない。そりゃ追い上げてくるわけだ。

 ビアッジさんに教えよう!

Jet2005-08-23

いきなり漫画の話で恐縮だが、80年代バイク漫画の金字塔バリバリ伝説の中で、僕が特に好きなシーンがある。第3部にあたるWGP編で、主人公・巨摩郡のライバルであるラルフ・アンダーソンが第4戦ポールリカールで巨摩に僅差で破れた後、本拠地であるヤマハモーター・ヨーロッパNVからこっそりYZR500を持ち出してアムステルダム近郊のハイウェイをかっ飛ばすところである。
スニーカーとジーンズにジャケット、サングラスという軽装でYZRを駆り、一般車の間を250Km/h超で駆け抜けたアンダーソンは、しばしの後マシンを休めて「レーシングマシンがこんなにも面白いものだということをしばらく忘れていたよ…」とつぶやく。
ラッキーストライクヤマハのエースであり、ケニー・ロバーツの秘蔵っ子と設定された彼が「本来なら最も注目されるルーキーだったはずの自分がまだ一勝もできていない」というフラストレーションから一気に回復する、印象的なシーンである。
パワー、スピード、運動性──コミックの中とはいえ、GPライダーであってもそのエネルギーの原点はこうした「バイクを操る楽しさ」なのだと感じさせてくれるこの挿話が僕はとても気に入っているのだが、僕も時折、そんな気分を気取ることがある(笑)。普段のプロテクションバリバリのレーシング装備を離れ、ジーンズにローカットのブーツ、半袖革ジャケット程度で、付近のバイパスやらを乗り回すのである。
もちろんGPライダーのエピソードと一般ライダーとで同じ気分なわけはないが、妻子持ちのえせローリング族(?)として「無事に帰るぞ!」的プレッシャーを離れ、ちょっぴり無責任な軽装備でスーパースポーツを飛ばすことは、それはそれでたいした気分転換ではある。
この日はその軽い気分に、さらに心躍らせるものが僕のライディングを彩っていた。──それは、この日CBRに装着したミシュランPilot Powerだ。


金を払う時はちょっと気が重いが、ひとたび走り出した途端に自分の出費が正しかったことに叫び出したくなる(笑)──いつもながら、バイクのタイヤをリプレイスするとそんな気持ちに浸ることになる。
7000キロとかなりもってくれた上、この夏に繰り返した八ケ岳攻略ツアーでついに寿命の尽きたOEMBT-014を換えるにあたって、僕は同じブリヂストンを想定していた。理由は単純、峠で会うのがネコも杓子もPilot Powerなので、ちょっと面白くなくなったのである。あまり走りには“熱心”でない友人のCBR乗りすらPPを装着するにいたって僕の天の邪鬼は頂点に達し、「それならこっちはブリヂストンBT-012SSだ!」と決めて行きつけのディーラーに連絡した。元から履いている014からの違いも分かりやすいので勉強になるだろうと思ったのだ。
しかし、人間単純なものである。夏にミシュランのキャンペーンがあったらしく、BT-012SSよりも、メッツラーのレンスポルト*1よりも安い値段でPilot Powerが買えると教えられ、僕は瞬時にミシュラン党へ宗旨替えすることになった(笑)。
店の人が出してきてくれたPPを触ると、もう腰を抜かすぐらい柔らかい。掌で軽く押して「ぶにょ〜ん」と全体がたわむのである。比較として出したダンロップのD208は、その点びくともしない。「こんなので大丈夫なのか(もつのか)?」とわざとらしく不安がりながら、僕は交換が終わるのを待ってCBRを街へ駆り出した。
変化はすぐに感じ取れた。交差点一つ曲がる時でも、接地感が、安心感が全く違う。以前履いたことのあるPilot Sportsは荷重移動の仕方によっては切れ込みが激し過ぎる感があったが(それはそれで楽しかったが)、PPはなんの不自然さもない。右左折の最中でくいっと「曲がり直す」なんてことも何の不安もなくできるのだ。
何よりも驚いたのは、前輪の圧倒的な安心感だ。入力したブレーキングがそのまま前輪に伝わっているようで、急激な“解釈の変化”がほとんどない。最初は空気圧が低いんじゃないかと疑ったほどだ。最近の014がかなりヘタッっていたことを差し引いても、これはすごい違いだ。
実際街を流していて、装具を直している一瞬のよそ見の間に前走車が急に左折し「うわぉっ!」とフロントを強くかけるシーンがあったのだが、これまでならフロントがロックしてつんのめりそうになる状況なのに、PPは「うにゅ〜」と柔らかく(しかし一瞬の間に)それを吸収し、CBRはすっと車体を止めたのである(まあ、僕のブレーキングが上手くなったわけじゃないだろうからw)。
──ブレーキングが楽しくなるタイヤなんて初めてだ!僕は先日の12ヶ月点検での清掃以来効きが鋭くなったために弱めていたブレーキレバーの遊びを2から1に戻し、タイトなレバー入力をしっかり受け止めるPPの反応を楽しみながら、夕暮れの国道をただあてどなくCBRを走らせた。

タイヤ一つで、マシンを乗り換えたように挙動が、気分が変わる。最近、某巨大掲示板「バイクにタイヤが付いてるのではない。タイヤにバイクが付いているのだ」という至言を目にしたが、まさにその通りだ。
一般ライダーでこれなのだから、いわんやGPにおいておや、だ。各チームやライダーがタイヤとのマッチングやセッティングに四苦八苦するは当然なのだと、あらためて思い知らされる。「いやあ、いいなあこのタイヤ。チャターに悩むビアッジさんにも教えてあげよう!」なんてバカな冗談が頭をよぎる(がんばれ先生!)。
これで峠道なんぞにもっていったら、こいつはどんな挙動を見せてくれるのだろう?期待は高まるばかりだ。“タイヤの皮むき”として、コンパウンドを揉んで発熱させることを前提とした加減速重視で走らせているので、バンク中にトラクションをかけたときの挙動はまだ分からない*2。でも、こいつならきっと自分が上手くなったような気分でこの夏を締めくくってくれるに違いない。
──って、台風接近ですかそうですか。お願いです週末にはかからないでネ。

*1:海外のCBR乗りのコミュニティを見ていると、メッツラー率が妙に高いように感じる。なぜなんだろう?値段?

*2:この“皮むき”というやつ、“現代車に上限回転数を指定した慣らし運転は必要か?”って話と同じくらい議論かまびすしい。僕の単純な疑問は「じゃあ何で新車納車の時は皮むきの話題がないの?」ってこと。ショップに確認すると、新車のタイヤは車両の出し入れで動かしてるから、という答え。
その程度で終わる皮むきなら、やはり何十キロ、何百キロ走れ、というのはおかしい。さらに、「徐々に寝かせていって…」というのも、接地していないのならそこはワックスがとれていないことになるのだから、使ったら滑る、という理屈になる。
要するに僕の今のところの結論は、慣らし運転と同じく「急激なパワーかけるな」ということと、「きちんと暖めてグリップ力を確立してから使え」ということ。この二点を普段よりも慎重に心がければ、“皮むき”は距離の問題ではなく、自然に済むのではないかと思っている。まあ、こうすると忍耐力の無い自分には丁度いいルールなのだけれど。