ロッシの隠れ家

Jet2005-08-19

忙しい。すごく忙しい。お盆休み?何ですかそれ。海?ああ地上にはそんな場所もあるらしいですね。
わかっていて身を投じたどツボとはいえ、ここのエントリを書く時間すらロクにとれない日が続き、終わりの見えない余裕のなさにだんだん妄想気味になってくる。
……パトラッシュ、僕もう疲れたよ。そうだ、どこか遠くへ行って、小さなサンドイッチ屋を開こう。たくさんの種類のパンに、温冷とりまぜた具材。おいしいコーヒーも出すんだ。そうだ、店にはGPライダーの名前をつけよう。“カフェ・マッシミリアーノ”、“リストランテ・セテ”……壁にはライダーの肖像を飾り、店の隅にしつらえたモニターにはいつもWGPの映像が流れ──。
待てよ。僕ははっと飛び起きた。そんな店あったぞ、確か!
検索すること数分、果たして僕の目の前にはその店のWebサイトが現れた。さっそく家を飛び出して、車で北上すること小一時間。やってきたのは、埼玉県新座市にあるレストラン「ダイニング・ロッシ」だ。
店に近づくなり、#46のゼッケンが光るぴかぴかのCBR600F4iが佇んでいるのが目に入る。見たところ、ホンダから発売していたナストロ・アズーロカラーの限定車に、さらに綿密なステッカーチューンが加わっているようだ。
それだけでわくわくしながら店内に入ると、清潔感ある落ち着いた店内のあちこちに、ロッシやGP関連のポスター、バイクのミニチュアなどが飾られている。壁にはこの店を訪れた人たちのサインや写真も控えめに飾られていて、見れば加藤大治郎宇川徹、そしてヴァレンティーノ・ロッシ本人もいるじゃないか!
メニューの中心は、やはりと言うべきかイタリア料理。さっそくあれこれ注文して宴の開始だ。オーナーには大変申し訳ないが、これまでのいくつかの経験から正直、味にはあまり期待していなかった。しかし!どれもこれもめっぽううまい。特にオリーブオイルとニンニクで煮たシャンピニオンなどは絶品で、いくらでも酒が進む進む(笑)。勝手な想像がまったく申し訳なくなる。
酒といえば感激したことに、さも当然のようにドリンクリストに「Nastro Azzurroが並んでいる。さっそく注文して初体験。想像していた通りさっぱりしたライトビールで、気取らず瓶から直接飲みたくなるような軽快な味わいだ。なにより、ラベルが黄色くなかったのが驚きである。*1
食べながら妻とGP話に花を咲かせるうち、二人ともセテの本名が思い出せずに苦しみはじめる*2。せっかくこんな店なのだからと、不躾にもウェイターに「セテの本名ってなんでしたっけ?」とか聞いて困らせている僕たちのところに、カウンターの奥からそれを聞きつけたオーナーがやってきた。


聞けば、彼がこの店を開いたのは2000年。ロッシが500ccにステップアップした年だ。相当のロッシマニアックなのかと思っていると、ロッシだけと言うよりも子供の時からWGPファンなのだという。店を開く時に、語感の良さと、当時からひたすら上り調子だった彼にあやかろうとこの名前をつけたのだとか。
しかしこの店の立地は、ホンダファンの聖地(?)、HRCのある朝霞研究所のお膝元だ。事情を知らないものからしてみれば、ロッシの名を冠した店をこの立地で開くのはそれなりに意図があるのかと思ってしまうが、それも偶然なのだと言う。このあたりで店を開く物件を探したのは、たまたま地方の実家を出てこの志木・朝霞周辺に住んでいたからで、HRCが近くにあることも店を開く直前に知ったとか。
やがてこの店がホンダやGP関係者の“隠れ家”的なスポットになっていったのも、たまたま朝霞研究所の関係者が店の前を通りかかったのがきっかけという“偶然”だが、それがついにはロッシ本人(例の親友、ウーチョさんらと3人で来たらしい)を始め岡田忠之青木治親清成龍一などのホンダ契約ライダーも来店するGPファン垂涎の店になったのだから、なんともうらやましい巡り合わせである。
先日の鈴鹿8耐の祝勝会もここで行われたなどと聞くと、なんとも楽しくなってしまう。オーナーが清成龍一はすごい飲む」と強調していたので、相当な盛り上がりぶりだったのだろうか*3。そんな、雑誌などではわからない素顔のライダーの話が聞けるのもいい。
さらに、ライダー本人もさることながら、チームメカニックの人たちの来店が多いようだ。特にオフシーズンの2〜3月などはマシンのテストなどで朝研を訪れた人たちが集まり、店内は外国語であふれるとか。イタリア語やスペイン語を勉強してオフシーズンにこの店で耳をそばだてれば、貴重な来期の情報が手に入るかもしれない(!)。
NHK時代のようにGPがほぼ生放送で見れなくなった今では、店の大型プロジェクターを利用した観戦デーもあまり盛り上がらなくなったというが、来月の日本GPの時は店を閉めてもてぎに行くという。商売よりGPをとるオーナーの心意気に共感しながら、僕たちは礼を言って店を後にした。

表に停めてある600Fには、マフラーのサイレンサーにPoliniのステッカーが光る。どうやってこれを手に入れたのかとオーナーに聞くと、NSRに貼られていたのと同じ“本物”を関係者にもらったのだといううらやましい答え。その他MANPOWERなど純正にはないステッカー類もすべて実物だとか。
いやはや、まさにGPファンの天国だ。バイク好き、GP好きがマイナー扱いされず、話が通じる店なんてのはそう多くはない。最後は閉店時間になってしまったので店内の展示物などをじっくり見れなかったのが残念だが、なによりも食事が美味しかったことに深く満足しながら、僕たちはまたここに来ることを誓った。
バイクで来るのもいい。酒が飲めないのが残念だが(笑)、ツーリングの帰りに一息入れたり、GPの録画中継をやっている日にふらりと来てレース談義をするのも楽しいだろう。このあたりに地縁のある人は、ぜひ一度訪れてみることをお勧めする。“僕はここに居てもいいんだ”(笑)なんて妙な心地よさにひたれることうけあいだ。

*1:後で調べたら、ナストロ・アズーロとは「ブルー・リボン」の意だとか。するとGPでのスポンサーカラーが黄色なのは何故なんだろう?

*2:結局オーナーと頭をひねってもわからなかったが、その後店を出る前に思い出して自己解決。「マニュエル・ジベルナウ」だ。確か“セテ”はおじさんの名前だっけ。
http://de.wikipedia.org/wiki/Sete_Gibernau

*3:しかも祝勝会は清成選手のおごりだったらしいですよ奥さん!

 ボートレース

レーストラックを映し出すカメラのレンズを雨滴が覆い、まるで昔の吹きガラスの窓越しに見るように、風景のあちこちがゆがんでいる。イングランド中部の重たい空から落ちる雨の中をGPマシンが水しぶきをあげて駆け抜けていく様は、二週間前の晴れ渡ったカリフォルニアの空とはあまりにも対照的だ。そしてそのカラフルな先頭集団を率いているのは、キャメルイエローの一台のマシン。
“ステディ・アレックス”──消耗戦となった序盤を生き抜いたアレックス・バロスは、往年のエディ・ローソンをもじってそうとでも呼びたくなるほど、危なげなく土砂降りのドニントンを滑走していく。通算250戦、あらゆるコンディションやシチュエーションをくぐり抜けてきただろうこのベテランライダーは、その雨の巧者ぶりをたっぷりと見せつけつつ、4周目からしっかりと1分50秒台でトップをキープし続けていた。しかし一人の若き天才と、もう一人の“天才の息子”が、この厳しいコンディションの中ですらただステディであるだけでは勝利を手にすることはできないということを、彼に見せつけることになる。
One down, Two down──1周目から、まるで見えない狙撃手に撃たれるように、マシンとライダーが水をたたえた路面にたたきつけられていく。マックス・ビアッジはドニントンの難所である序盤の連続する下りコーナーに足下をすくわれ、金色のゼッケンを輝かせたルーベン・チャウスも泥にまみれてレースを離れる。トロイ・ベイリスが最終コーナーでマルコ・メランドリと運命を共にする。
HRCの希望を背負っていたはずのニッキー・ヘイデンが斃れ、雨のグリッドで一人上機嫌だった“レインマスター”セテ・ジベルナウがトップ走行中に転倒してお得意の大げさなジェスチャーを見せた時(コーニョ!)、「これは意外なレースになるぞ」という予感が全身を駆け抜ける。そして、その予感はすぐ目の前に形をとって現れた。
ジベルナウの転倒でトップに躍り出たヴァレンティーノ・ロッシの背後、雨に煙るアスファルトの向こうから、白いスズキが二台、亡霊のように現れたのだ──。


多くのモンスターマシンがパワーコントロールに苦しむレインコンディションでフロントに躍り出ることは、すなわちそのマシンがピークパワーにおいて劣っていることの証明だ。しかし、条件つきであろうがまずは記録に残る結果を残すことが重要だということは、2002年をRGV-Γベースの車体で乗りきり、2003年から鳴かず飛ばずの新型エンジンを抱えて二年間の不遇をかこってきたチーム・スズキのクルー自身が一番痛感していたに違いない。
血気盛んなトレーニング・ジャンキー、ジョン・ホプキンスと、ファクトリー放出がまことしやかにささやかれ始めた“イエスタディズ・ヒーロー”、ケニー・ロバーツ(Jr.)が、その希望を具現化すべくトップグループに食い込む。しかし、経験と冷静さが問われるというフルウェットの路面で、その巧緻をもって生き残ったのはやはりロバーツの方だった。
5周目のメルボルン・コーナーでトップに躍り出たホプキンスは、9周目に視界の悪さからブレーキングのタイミングを誤りコースアウトを喫する。そのままピットインしてからコースに復帰し、完走することそのものが4ポイントをもたらすことになったこのサバイバルレースを走りきったのは、チームの戦略だったのか、それとも彼の闘志なのか。一方ロバーツはロッシをかわして周回を重ね、バロス、ロッシ、エドワーズを従えて11周目にはついにトップに立つ
再度バロスに先行を許すものの、12周目、他人の飛沫を浴びるのはもうたくさんだとばかりにペースを上げつつあったロッシがシケインでブレーキングミスし、いつしか再び背後に忍び寄っていたコーリン・エドワーズの後方にまで大きく順位を落としたことが、このスズキの元世界チャンピオンに信じがたい勝利のチャンスをもたらしたかに思われた。
──しかしこのミスが、若きイタリア人のポイントリーダーのスイッチを入れることになる。
ロッシは4位に落ちた後、まるで余っていた分をさりげなくポケットからとりだすかのように*1ラップタイムを縮めていく。それまでの50秒台からあっさりと47秒台後半までペースを上げ、翌周、ミスを犯したのと同じフォガティ・エッセズでパッシングを“やり直し”、ロバーツの大仰なコーナリングラインを尻目に軽々と2位まで浮上する。
信じたくないが、ロッシはロッシなのだ──番狂わせを期待する気持ちの隅から現実的な絶望が心に忍び寄る傍らで、ロッシはバロスの0.3秒ほど背後にぴたりとつけ、そのままじっと息を潜めた。
レースはようやく折り返し地点にさしかかろうとしていた。

待ちの時間──勝機は、先頭集団に生き残った唯一のRCVであり、まったく車体を揺らすことなくぴしりとインを抑え、すばやく立ち上がっていくブラジル人ライダーにあるのか?ロバーツはふたたび“上海の悲劇”に襲われることなく表彰台を獲得してくれるのか?ロッシの余力はどこまであるのか?さすがにこのコンディションではこれが限界なのか?その後7周は、ただただそんな疑問と不安を重ねながら、緑深い雨のレーストラックを駆け抜ける色鮮やかなモンスター・フィッシュたちを見守り続けることになる。
一番早く答えが出ることになのは、最後の疑問だった。残り11周、タイヤの消耗に見切りをつけたのかペースを上げるバロスにロッシ、ロバーツがすかさず追従する。盛り上がる中「続きはCMの後で!」とばかりに衛星放送の画像トラブルをクリアするために挟まれたコマーシャルがあけた時、目の前に映ったのは180°コーナーでバロスをパスした#46の姿だった。
さあ、絶望の時間だ。1.8秒、4.3秒、7.6秒──まるで自分より頭の悪い教師の授業から開放された優等生のように、ロッシはのびのびと後続との差を拡げていく。ついに8秒台中盤までアドバンテージを持った時、レースの中心はロバーツが、そしてスズキが数年ぶりの表彰台を獲得してくれるかどうかに移っていた。
戦闘力に劣るマシンで苦渋の日々を過ごす中、ロバーツはモチベーションもデターミネーションも失ってしまった──ここ数年GPファンを支配していたそんな見方からすれば、この元世界チャンピオンがこのままステディに走りきり、無事GSVーRをパルクフェルメに送り届けてくれるだけで十分だと思えたに違いない。しかし、伝え聞く噂ではこのレースウィーク中にスズキから来期の放出を通告されたともいうロバーツは、ポール・デニングが「2000年シーズンの再来だ」と称賛した走りを見せることになる。
最終ラップ──坂を昇りきったところにあるコーパス・コーナーを駆け抜けるロッシの向こうに小さく移るロバーツとバロスの姿が、先行するこのイタリア人の優勝が間違いないことを高らかに告げる。しかしその数秒後、背後でロバーツがすっと前に出ると、バロスのインを刺した。
彼のレースはまだ終わっていないのだ
ブレーキングを遅らせたロバーツはしかしラインがワイドになり、コンパクトにイン側をトレースしたバロスにこの長いコーナーの途中で抜き返される。だが、バロスがコーナー脱出のためにアウト側を目指した時、クリッピングポイントを思いきり奥に想定したロバーツは、すでに次の短いシールド・ストレートに向けてマシンを起こしていた──。
まごうかなたき、美しきクロスライン。コーナー出口でイン側を塞がれたバロスはびくっと車体を起こさざるを得ず、ロバーツはそのまま2002年リオGP以来の表彰台へ向けてスロットルを開けていった。

ようやくレースらしいレースをして結果を残すことができた往年の天才の長男はしかし、淡々とした口調で久しぶりの表彰台を語った。「自分のレースをするだけだった」というのはあまり面白みのあるコメントではないが、それもそのはず、彼が走り抜けたのは完走わずか11台という近来稀に見るハードなレースだったのだから。
「“残り20周”っていうサインボードを見て、もう後は終盤になるまで見ないように努力した」というロバーツ。「残り16周ってボードを見て、信じられないと思った」とロッシ。一瞬でもコンセントレーションを失うと地に這う結果になる“ボートレース”の中で、しかし際立つのはやはりロッシの信じがたいパフォーマンスだったといえるだろう
ユーロスポーツの記者トビー・ムーディは、2003年のフィリップアイランド*2、2004年のウェルコム*3とと並んで、今回のロッシを今後10年語り継がれる傑出したパフォーマンスだと絶賛している。
スタートに失敗して中団近くまで落ちながらすぐに先頭集団入りし、ミスで落とした順位もすぐさま回復し、何度となく横を向きそうになるマシンを信じがたいコントロールで立て直しながら、最終的に後続に3秒差をつけてトップでチェッカーを受けたイタリア人のリザルトの背後では、ロバーツの敢闘もかすんでしまうのも仕方がない(ムーディの“Suzuki had a good day too, but call us back when the result happens in the dry.”というのはあまりに冷たい言い方だとは思うが…)。
もうすぐシーズンも折り返そうとしている。ロッシが独走し、他のライダーが入れ替わり立ち替わりスポットライトを浴びては舞台袖に去っていく前半戦。はたして流れは変わるのだろうか。
……というか、もてぎの前にチャンピオンが決まりませんように!

*1:某巨大掲示板の常連“スペイソ”氏は、ロッシのラップタイムをこう表現する。素敵な言い方なので思わず借用。

*2:黄旗無視の10秒ペナルティを科せられながら、5秒差をつけてカピロッシを下し優勝した

*3:説明不要のヤマハ移籍初勝利とM1ムギュ!のレース

 Odds and Sods

ロッシ1.9倍、ヘイデン4倍、ジベルナウ5.5倍、メランドリエドワーズ10倍、ビアッジ18倍、ロベルト・ロルフォ400倍(!)──この数字は何かというと、“ジブラルタル系”オンライン・カジノ企業BetandWin.comにおけるイギリスGP公式予選結果のオッズである。この企業はGPのスポンサーとしても度々登場しているので、見知っている人も多いだろう。
GPファンがレース結果やチャンピオンシップの予想をする時、そこにはどうしても応援の気持ちや希望的観測、判官びいきなどの要素が入り込んでしまう。その点、こうしたブックメーカーのオッズは冷徹だ。「彼は予選番長だけど、今回こそ……」なんて思っていても、QPと本戦では平然と数10ポイントもオッズ変わっていたりして、「このライダーの実力を世界はどうみているのか」が客観的(?)にわかって、ちょっとがっかりするやら我に返るやら、だ。
それでも今回、あの興奮も記憶に新しいアメリカGPで悲願の初優勝を遂げたニッキー・ヘイデンがロッシに次ぐオッズに躍り出てきたのは、HRCの手厚い庇護(とプレッシャー)をうけるこの若いケンタッキー人がラグナ・セカでの結果を元に“確変”すると誰もが考えているということなのだろうか?
イギリスGP本戦のオッズを見ると、あながちそうとばかりも言えないようだ。Raceでのオッズは日本時間22日昼現在、ロッシ1.45、“ロッシ以外”2.30倍、ジベルナウ6倍──ヘイデンはそれに次ぎ、一気に10倍まで跳ね上がっている。ビアッジ18倍、バロス28倍とオッズは二桁台になったとたん高くなっていき、三桁台も珍しくない。
日本のファンとしては毎回心のどこかで表彰台獲りを期待してしまう中野真也は250倍!というあたり、やはり賭け事はシビアだ。しかし、そもそもロッシに100ドル賭けて145ドルになったとしても、ギャンブルとしてはたいして意味がないだろう。それより本戦でロルフォに10ドル突っ込み、彼以外が全員リタイアしたとすれば一気に70万円近いお金を手にすることができるというあたり夢がある(ないよ)。


世界中のハスラーたちが期待するように、はたしてニッキー・ヘイデンの強さは本物なのだろうか?レースから二週間、さまざまな論客たちが意見を交わしているが、答えは一つだ──わからない
アメリカGP、スタートから“火のついたアライグマ”*1のように飛び出していったヘイデンは、レース中二度とその背中を後続に見せることなくチェッカーを受けた。「いやあ、ヘイデンは速かったね、さすがだね。──でも、なんで?」そう、面白いのは、誰もが彼がそこまで圧倒的に勝利することができた理由を明確にあげられないということだ。
わかりやすく派手なブレーキング競争で追い上げたわけでもなく、エドワーズのように“秘策のライン”でライバルをかわした訳でもない。画面に映っていたのは、ただ淡々とと2秒の差をキープし*2、最初から最後まで一人旅でコーナーをすっ飛んでいく69番のマシンだけなのだ。
バンプの一つ一つまで知り尽くしたレイアウトが有利となったのか?あるいは地元ファンの歓声が彼を奮い立たせたのか?しかし、その恩恵は他のアメリカンライダーも同じだ。あるいは、ホンダワークスがついに最適なRCVのセットアップを見つけたのだろうか?だが、マックス・ビアッジは同じ結果を手にすることはできなかった。
やれラグナのレイアウトはリアタイヤの消耗が少ないからだとか、ミシュランがヘイデンスペシャルを作ったとか、圧倒的勝利の要因とする諸説はまだまだ転がっている。誰もがイギリスGPでその決着をつけようと、このレプソル・ホンダのセカンドライダー*3を見つめているに違いない。

イギリスGPが目の前に迫ると、なんだか少し落ち着いた感じになるのは何故だろう?カリフォルニアの青い空、ヤマハ50周年のお祭り騒ぎ、250や125の不在、ブラッド・ピットマイケル・ジョーダン──USGPは何もかもがスペシャルだった。レーストラックの空気を左右するロッシやビアッジ、ジベルナウといったいつもの勢力がどこか“お客さん”のようで、そのかわりにアメリカンライダー達が大手を振って騒ぎ、ヘイデンの優勝と、ノーヘルの父親を乗せてのウィニング・ランがそれを最後の花火のように締めくくる。
3人のライダーが無邪気にお互いをたたえあう表彰台は、どこかに必ず一触即発の火種があったここ最近と比べると、まるでイベントレースのような雰囲気だ。それもそのはず、ポイント云々よりもまず優勝したことが大事件である若い男と、GPでの最高位を記録して喜ぶベテラン、そして、その二人に負けても痛くもかゆくもない──むしろ自らのチームのアニバーサリーのためにレースを手放した*4チャンピオン候補──誰もがお互いに利害関係のない表彰台なのだ。
「大相撲のハワイ巡業ね」と妻が言う。チャンピオンシップの大勢を動かすことのなかったこのレースの結果を考えれば、それも言い得て妙だろう。ヘイデンやエドワーズの笑顔を脳裏に残しながら、レースは再びヨーロッパへと戻っていく。どんよりと曇ったイギリスの空は、カリフォルニアとはあまりにも対照的だが、結果もそんなふうになるのだろうか。
架空のコインを手元において、さあ、誰に賭ける──?

*1:crash.net: Moody Blues 7/12付

*2:“スペイソたん”情報によれば、ヘイデンはピットサインでエドワーズと2秒差をキープするよう──つまり絶対にそれ以上飛ばさないよう──指示され続けていたのだというからちょっと微笑ましい。

*3:などと書いているうちに、発表されたダニエル・ペドロサHRC入り。ヘイデンは今シーズン始めに2年契約を交わしたと方々で公言しているから、ヘイデンはエースに昇格、追い出されるのは我らがマックス先生か…。とはいえ「ヘイデンにRCVプロジェクトを引っ張ることができるかは疑わしい」のは確かだだし、まだ予断は許されない。

*4:ロッシは最終ラップでエドワーズに仕掛けることを考えたが、“黄色いヤマハが2台グラベルに転がっているところを想像してゾッとして”3位で済ませることにした、とcrash.netの記事で語っている。

 滋養強壮グランプリ

Jet2005-07-08

今シーズン前半戦の白眉(と言っていいだろう)、USグランプリがもう目の前だ。あの80年代の数々の熱戦の舞台となったラグナ・セカ、そして“名物”コークスクリューを現代のGPマシンが駆けるのかと思うと、かつてと比べ物にならないモンスターマシンへの一抹の心配はあれど、興奮は高まる一方だ。
10年ぶりに世界グランプリが戻ってくるとあって、イベントとしての盛り上がりも他のレースより華やかなように見える。チケットは早々に売りきれたというし、USグランプリの公式サイトも立ち上がっている。ケニー・ロバーツニッキー・ヘイデン、ジョン・ホプキンス、コーリン・エドワーズら「アメリカン・ライダー」は俄然注目の的となり、みな勝てるのは自分だけだと言わんばかりにホームグランプリの抱負(と、延長された予選セッションへの不満)を語っている。
英人シェーン・バーンですら“ケニーのチーム”を走るということで「ここはホームのようなものだ」と言い出す始末。50周年記念で気合いの入るヤマハ*1ロッシ車に往年のストロボカラーを配してきて感涙ものだし、このUSグランプリ、どこかパドック全体が興奮気味であるように感じるのは単なるファン心理なのだろうか。


というわけで、このグランプリのスポンサーであり、鳴かず飛ばずのGSV-Rをやっとワークス以外のカラーで覆ってくれた飲料メーカー「RedBull」に敬意を表し、このマイナーなドリンクを飲んでみることにした──と言えばいかにも忠実なファンだが、実は仕事でこのメーカーとからむ“可能性”があり、リサーチに出掛けたというわけである。
やってきたのは首都圏を中心に展開する「HUB」というイングリッシュバー。RedBullはフツーには市販していないので、こうした場所で並行輸入のものを手に入れるしかない。
というのも、この飲料はパッケージのカラーや様々なスポーツへのスポンサー活動から一見ソフトドリンクと思われがちだが、実は日本で言う「リポビタンD」や「アリナミンV」と同じような滋養強壮飲料なのである。調べると、タウリンなど有効成分の含有量はまさにリポDとほぼ同じ数値。となれば日本では「医薬部外品」の指定を受けることになり、薬事法の適用対象となる。となれば、そうそう簡単に日本市場に参入してこれないのもうなずけるというわけだ。
タイの肉体労働者層向けとして始まったこのエネルギー・ドリンクがいかにしてオーストリアのメーカーに変身し、はたまたなぜ物騒なことに一部の国では「禁止薬物」扱いなのか、などはウィキペディアの解説に詳しいが*2、ともあれ僕は仕事場のスタッフと一緒に開店まもないこのバーに乗り込み、シャツのボタンもかけていないバーテンに意気揚々とRedBullを注文したのである。
HUBではこのドリンクをそのまま供しているわけではない。ウォッカとまぜた「ウォッカ・ブル」、ダブルウォッカりんご酢、ビールを加えてRedBullと合わせた「ストロング・ブル」(!)などエナジーカクテル”と称する飲み物のベースとして使うのである。
そこへあやしげな一団がやってきてレッドブルだけストレートでよこせ」*3というのだからバーテンも面食らったとは思うが、エナジーカクテルは人気がないのか、なんと在庫は2本のみ。とりあえず申し訳にビールなどを傍らにおいて、なけなしの2缶を皆で小分けに注いで「レッドブル・パーティー」が始まった。
飲む前から味についてはいろいろ脅かされていたし、いわゆるリポD系と同じ風味と考えればあまりわくわくするものではない(学生時代、巨大なオロナミンCである『ライフガード』の一気飲みが“罰ゲーム”だったことを思い出す)。
ところが飲んでみると、これが思ったほど悪くない。味はそのまんま、そのへんの強壮飲料だ。そこに、シャープな酸味と甘味が加わっている。ちょっと後を引くくどさを持つその甘味は、JellyBellyラズベリーを噛んだ後口に来るのと同じ種類だ。
まったくもってこいつはアルコールと合う味だ──と、ストレートで飲むことを惜しみつつみんなぐいぐい飲み干してしまう。ナイトシーンに詳しい(笑)スタッフの一人などは「この甘さはクラブで受けるはずだ」と深くうなずいている。

いかにもうまそうに水滴を浮かべたままの250ccのボトルを見つめながら、頭は仕事半分、GP半分だ(笑)。
レッドブルはUSグランプリの後もスズキをサポートしてくれるのか?3,610mと相当に短いが、グランプリ中屈指の高低差を持ち、あらゆる性格のコーナーを内包するというラグナ・セカを制するのは誰なのか?かつてのようにウィリーしながらコークスクリューを切り返すMotoGPマシンが見れるのか?──というか、ホプキンスがグリッドでちゅうちゅう飲んでいるレッドブル印のボトルには、本当にこいつが詰まっているのか?(さすがにそれはないと思った)*4
そんなことを考えながらビールをチェイサーに(?)飲むレッドブルで、いつしか体がポカポカしてくる。この強力な滋養強壮飲料が効いているのか、単なる気のせいか。とにかく、社会人諸氏、月曜日半休の申請はすませただろうか(笑)。注目の大レースは、もうすぐだ!
──ちなみに本来、RedBullとアルコールを合わせることは公式には推奨されていない(!)。

*1:そう言えば僕は、G+の解説・宮城光氏の「ヤマハ」のイントネーションが英語風(ヤ〜マハ、と発音した時のような)に下降気味なのがすごく気になっている(笑)。あれは関西出身の人だからなのだろうか?同じく関西出身の妻は「そんなことない」と言うのだが…。

*2:URLにカタカナが含まれているせいかうまくリンクせず。googleで「レッドブル」で検索して、wikipediaの内容を見てほしい。

*3:ウォッカ・ブルが700円なのに対し、RedBullをストレートでもらうと1000円とられるので、一応注意。

*4:レッドブルAMA時代からのホプキンスの個人スポンサーでもある

 続・渡されたバトン

もうずいぶん経ってしまったのだが、id:suikanさんより今度はBook Batonなるものが回ってきた(ところによっては“Reading Baton”と称しているところもあり、また質問項目も複数パターンあるらしい)。先日の「Musical Baton」の読書版なのだが、こと本に至っては単純に趣味で済ませられないほどの思い入れも多く、さすがに選ぶのに大変な苦労が……。とはいえ頂いたバトン、遅ればせながら回答させていただきます。

  • 持っている本の冊数

    面倒なので途中から適当に数えたが、約2500冊ほどでした。(漫画・雑誌は除く)


  • 今読みかけの本

    『海軍』獅子文六 中央公論新社
    真珠湾攻撃において特殊潜航艇で湾内に潜入、戦死した9人の“軍神”のうちの一人、横山正治をモデルとした実録青春小説。物語は、主人公が生まれてから海軍兵学校に入学して候補生となるまでの前半部と、途中、主人公と同じく海軍入りを熱望するも身体の不利で適わず、絶望した親友隆夫が故郷鹿児島を出奔し、流浪の末東京で一流の海軍画家となって成功していく“隆夫編”とでも言うべき後半部に大別できる。
    昭和17年に連載されたという物語そのものが、緒戦にして英霊となった九勇士とその海軍精神への驚嘆と賛美によって動機づけられているせいか、主人公谷真人は「温和しくにこやかな外面の下にも強い意志を秘めた」イヤみのない人物として描かれ、護国のためにと志した道をひた走る。それに対し、真人が軍務についてから戦死の報が入るまで、“資料の少ない”後年の仕手を引き受ける挫折者・隆夫のストーリーは、等身大の苦悩と彷徨に彩られ、物語ががぜん色彩を帯びてくるのが面白い。
    太平洋戦争の功罪はともかく、当時の青少年層を支配する「空気感」をしみじみと追体験することのできる作品である。


  • 最後に買った本

    衝動買いしないためにもう最近ほとんど本屋に行かないので(笑)、直近に決済されたAmazonのショッピングカートをのぞいてみる。

    硫黄島星条旗ジェイムズ・ブラッドリー 文芸春秋
    『死のクレバス〜アンデス氷壁の遭難』J・シンプソン 岩波書店
    『歌舞伎町案内人』李小牧 角川書店
    『サブリミナル・マインド〜潜在的人間観のゆくえ』下条信輔 中央公論社
    ダブルプレーロバート・B・パーカー/菊池光訳 早川書房
    『人間臨終図巻1』山田風太郎 徳間書店
    『捏造と盗作〜米ジャーナリズムに何を学ぶか』高浜賛 潮出版社
    『天使と悪魔 上/下』ダン・ブラウン 角川書店


  • 特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊

    『レイチェル・ウォレスを探せ』ロバート・B・パーカー/菊池光訳 早川書房
    一時期、頭痛薬の半分が優しさでできているが如く、僕の半分はパーカーのスペンサー・シリーズで構成されていた。部屋にボストン市街区の地図を貼り、「ロリング・ロック・エクストラ・ペイル」を輸入酒屋で探し回り、電子レンジを買わず台所にオーヴンを据え付け、毎朝公園を10Kmもジョギングした。ついには「俺スーザン」を探し求めていくつか痛い目を見た揚句、落ち着いて今に至る。
    スペンサーといえば『初秋』の人気が高いが、結局性別がどうあれ行動でしか解決できない問題は行動だけが解決するのだ、という容赦ない結論を女権論者に叩きつけるこの作品が僕はもっとも好きである。

    『スフィア〜球体〜』マイクル・クライトン 早川書房
    クライトンのスリラーの真骨頂は、文中に挿入される「図表」にある。ただしそれは、推理小説における犯行現場の間取り図のような「視覚的手助け」ではない。「ビジュアル」という小説の節度を超えた情報を与えながら、読者がそこから何も掴み取れないことを意地悪く嗤う作者の身勝手ないたずらだ*1。また、それに騙され酔うのがクライトンを愉しむ作法でもある。
    本作では海底から発見された「謎の物体」がモニターに写し出す意味不明な文字列が読者に突きつけられ、主人公の心理学者がそれを読み解いていく。後年の『ジュラシック・パーク』の生息分布図や『エアフレーム』における乗客名簿なんかより、「図表」の解釈ミスが暴力に直結するこの作品が最もスリルがあると僕は考えている。

    『熊を放つ』ジョン・アーヴィング村上春樹訳 中央公論社
    アーヴィングの最高作は何かという話となれば、僕は間違いなく『ガープの世界』を挙げるが(妻は『ホテル・ニューハンプシャー』だと主張する)、このまとまりに欠けるが詩情にあふれる処女長編は忘れ難い。主人公ジギーが駆る700ccのロイヤル・エンフィールドに憧れ、バイク雑誌でまだそれが市販している(350ccの“ブリット”だが)と知った時に感じた目まいは、今でもはっきりと覚えている。もちろん僕は翌日そのディーラーへすっ飛んでいき、自分のGSX400Sを売り払ってエンフィールドを手に入れた。大型免許への移行と共に手放してしまったが、今でも買い直したいバイクがあるとすれば、あれだけである。

    『パール街の少年たち』フレンツ・モルナール/宇野利泰訳 偕成社
    文学全集やいわゆる名作を買ってくれたのは父親だったが、母が僕に与えてくれたのはこのモルナールや、ケストナーの『エーミールと少年たち』、サトウハチローの「ジロリンタン」シリーズなど、一風変わった少年成長譚が多かった。僕はいわゆる「プレップ・スクール物」というジャンルにめっぽう弱くすぐ涙腺が緩むのだが、その根源はこうした作品が下地にあるような気がする。このブダペストの下町を舞台とした少年たちの群像劇には、人生のビターな側面がすべて詰まっている。この中の逸話に触発されて、僕はある時期一念発起して苦手な算数を徹底して勉強し、成績を上げた記憶がある。

    『闇の中のオレンジ』天沢退二郎 ブッキング(最近復刊したらしい)
    ふとこの本から顔を上げた時、僕の周りのすべてが崩壊していた。世界と自分を結びつけるものが何一つなかく、僕はゆがんだトンネルの中にいて、上下も左右もわからなかった。気づくと本を持っている手もなく、見下ろしても足がなかった。木が何本も僕の周りに生え、やがて森になった。ただすべてが流れ往き、意識と呼べるものだけがかろうじて僕の原型を維持していた。母親が僕を呼ぶのが聞こえ、僕は必死でその声にすがりつき、瓶の口に入り込んでしまった頭を引き抜くように、どうにかこうにか本を閉じた。世界が戻り、二階の窓から差し込む夕日が部屋中をまっ赤に染めていた。
    ──それは小学生の僕が初めて体験した、恐ろしいほどの「存在の喪失」だった*2。以来恐ろしくて僕は二度とこの本を開いていない。そして今でも、実家の僕の部屋の本棚の一番下で、この本はじっと眠っている。


  • バトンを渡す5人

    さてと見回すと目ぼしい方にはすでにBook Batonが渡っていたり。だいたい二度目ともなれば投げるパターンも決まってきてしまうでしょう。一番内容を聞いてみたかったid:kanabowさんもすでに回答済み、となれば、Musical Batonがすごい勢いで回っていたこともあり、バトン・トラフィック(?)を抑えるためにも、僕も「Batonを落とす」ことにします。さてさて、またこの亜種ができるのかな……?

*1:このセンスは、クライトンの85年の監督作品『未来警察』(Runaway)の冒頭、ロボットカメラが送ってくる断片的な映像がもたらすスリルによって見事に映像として昇華している。作品そのものはとんでもないB級だが…。

*2:僕は後年になって、あの時自分は「本と世界の中間」に挟まれてしまったのだろうと考えた。

 ペンと線

Jet2005-06-24

私事で恐縮だが、マイサンが3歳児検診とやらに行ってきた。まあなんてことない定期検診なのだが、測定の順番などを待つ間、子供としては退屈だ。というわけで健康センターの職員がいろいろ相手をしてくれる。
そこである人に紙とペンを渡されてお絵書きをするように言われたマイサン、紙にひたすらぐるぐるうねった線をしたためる。「上手ね〜これは何かな〜」とひきつった顔でお追従を言う職員に彼が言うことに、「バイクがここを走るの!」。
──サ、サーキットかよ!これで将来本当にGPライダーにでもなった日にゃ「伝説」の出来上がりだ、と親バカきわまれりだが、家に帰ってもぐるぐるとその“サーキット”を描いた紙をうれしそうにひねり回すマイサンを見て、僕は長らく忘れていたあるものを押し入れから引っ張り出すことにした。
それは僕が子供の時に父親からもらって以来、大事にしまいこんであったある“紙のゲーム”だ。その名を「PEN-SEN GAME」と言う。


厚さ5mmほどの厚紙パックに数十枚も入ったその紙は、表面に方眼がきざまれ、その上にそれぞれ十数種類のサーキットのコース図が印刷されている。インテルラゴス、キャラミ、ハラマ、フランコルシャン、ホッケンハイム──今は懐かしき、往年の高速サーキットの数々だ。
さてこれをどうするかというと、この方眼紙の上に描かれたコース図を利用して見事に「レース」ができるのだ。
用意するのはボールペンと定規のみ。プレイヤーは最大三人、それぞれに色の違うペンを用意する。じゃんけんで順番を決め、まずスタートライン上と重なるグリッドの角に点を打つ。これが“自車”だ。
そして勝った人から順番に、グリッドに沿って線を引き、「自車」を進ませる。ただし、まず最初に進ませることができるのは1マス分。そして次のターンには2マス分、次は3マス分──というように一ターンに1マス分ずつ「加速」して線を引いていく(もちろん、同じ速度をキープして進んでもよい)。
また自車が次に位置できる場所は、まっすぐ進んだ延長線上の点Pと、そこを中心とした周囲のグリッド8点の中から自由に選ぶことができる。これによって左右に「ハンドルを切る」ことができ、進路を変えてコーナリングを行うというわけだ。
しかし、重要なのは「減速」も一度に1マス分しかできないことだ。迫り来るコーナーのキツさを読んで、徐々に3マス、2マス、と進むマス数を減らしていく。そして、タイトなコーナーでは1マス分ずつカクカクと曲がり、高速コーナーでは例えば3マスずつのスピードで、大きな軌跡を描いて回っていくというわけだ。
これが曲者で、調子に乗ってストレートでスピードを稼いだりすると、当然減速しきれなくなる。コーナーの入り口でまだ4マス分のスピードだったとすれば、次は少なくとも3マス分は自車を進めなければならない。すると、次に自車の位置できる点P+周囲8マスのどの点もコース外となる場合が出てきて、そうなれば“コースアウト”、「一回休み」である。
コースアウトしたプレイヤーは、その直前の自車の位置から「やり直し」となる。当然1マス分からスタートだ。いきおい前を行くプレイヤーとは差が開くことになる。
こうして、うまく次のコーナーの曲率を読み、一番効率のよい加減速の仕方を考えながらゴールを目指す。一見数学的にマス目を読んでいけばよさそうだが、どうしてなかなか、そんな風にはいかないものなのだ。

単純な理屈と素材でできたこのレースゲーム、僕は子供時代ずっぽりハマってやりこんだ。いまでもケースの中の紙には、友人と繰り広げた熱戦の“軌跡”がたくさん残っている。ドライバー/ライダーの名前とマシンを書く欄もきちんとあり、子供ならではのわけのわからないマシン名が書いてあったりして微笑ましい。
そのシンプルな奥深さに感動した僕は、「コース図を使い尽くしてはもったいない」と考え、ある時期にその用紙を封印してしまった(遊び方には“耐久レース”もあり、その場合はラップごとに一枚のコース図を消費していくことになる)。だから、今でもケースの中には未使用の紙がたっぷりと残っている。
マイサンにその中の一枚を与えると、大興奮してコース上にチョロバイを走らせたりして遊んでいる。CG全盛の世の中にあって、こうした紙とペンだけで夢中になれる遊びというのはとても貴重に感じるものだ。同じように方眼を利用して遊ぶ“水雷艇ゲーム”と似たようなものかもしれない。
「PEN-SEN GAME」という名前はペンを使って線を引くから名づけられたのか、今ネットで検索してみてもなんら引っ掛からないので分からない。そもそもクレジットには「1980 (C)Noir Creations」とあるものの、これが海外のものなのか、日本で開発されたものなのかも分からない(『Printed in Japan』とは書いてある)。
コピー機もろくにない子供時代には一枚一枚が貴重だったとはいえ、考えてみればこうしたコース図、今なら描画ソフトを使っていくらでも作れるだろう。今のWGPの各コースをプリントしたりして遊べば、大人でも十分興奮できること間違いない。
バイク談義もつきてきたライダー仲間の飲み会の後半など、この紙一枚取り出せば盛り上がることうけあいなのではないだろうか。

 渡されたバトン

味わい深いブログタイトルをもつid:kanabowさんからMusical Batonなるものが“回って”きた。音楽にまつわる自分の軽いプロフィールをネズミ講式に回していくというものらしいのだが、普段「ブログっぽい」使い方の少ないこのABモータース。ぜひこの機会に一口かませていただきます。

  • コンピュータに入ってる音楽ファイルの容量
    15.27GB

  • 今聞いている曲
    Wading In a Velvet Sea/Phish "Ghost"
    最近Phishばっかり。すべてのライブ/セッション録音がオリジナルアルバムあつかいされるこのジャムバンド、ハマったら一巻の終わりであると分かってはいるが──。

  • 最後に買った CD
    461 Ocean Boulevard/Eric Clapton
    もうこういう商売はいいかげんにしてくれと思いながらもいざ再発すると買わざるを得ないアルバムの一つ。ケチってライブ盤がボーナス・トラックになっているデラックス・エディションではなくSACD版を買ったのを少し後悔している(笑)。

  • よく聞く、または特別な思い入れのある 5 曲
    (よく聞く、となると枚挙にいとまが無いので「思い入れのある」というところに絞ってみました)

    Mountain Jam/Allman Brothers Band "Filmore Concert"
    もし自分がCrossroadに立って悪魔と契約をしたなら、僕は楽器の腕なんかよりも別のことを頼むだろう。1971年3月12日、ニューヨーク──フィルモア・イーストの前にチケットを持って立たせてくれ、と。この史上最高のライブを生で聴くことと引き換えにできるものは、人生にはあまりにも多い。

    A Hard Day's Night/The Beatles "A Hard Day's Night"
    初めてギターを買ってきて、そして最初に弾いたのはDsus4──この名曲の冒頭を飾るペダンティックな一発のコードだった。そしてその衝撃──同じ音が出た!──は、どんな教科書よりも僕に楽器の、そして演奏することの面白さを教えてくれたのだ。(もっとも後になってフォームが違うことを知ったのだが)

    Eternal Flame/The Bangles "Everything"
    学生時代のある夏の夜、受話器の向こうである女の子がこのバングルスのバラードをフルコーラス歌ってきかせてくれた。僕は涼むためにアパートの外に出て腰を下ろし、静かにそれを聴いていた。それは不思議なことに、僕たち二人にとっては愛情表現だったのだ。今なぜそんなことをしたのか尋ねても、妻は笑って答えてくれないだろう。

    Nobody Loves You When You're Down And Out/John Lennon "Anthology"
    ふと気づくと下を向いて歩いているような時、僕は必ずこの歌の歌詞を思い出す。“落ち込んで参ってる時なんて、誰も愛してはくれないよ”──悔しいかな、ジョン・レノンはたいてい正しいことを言う。シナトラに捧げられたというオーバーデコレーテッドな本バージョンより、「ジョン・レノン・アンソロジー」に収録されたこのデモバージョンの方がはるかにいい。

    Where the Streets Have No Name/U2 "Joshua Tree"
    雨の朝は憂鬱だ。特に雨の日の蛍光灯が放つにぶい明かりは、自分からすべての活力を奪っていく気がする。そんな雨模様と自分の気分をなんとかシンクロさせようと必ずかけていたのが、同じくアイルランドの曇った空を背景にしたこの曲だった。なぜ「すべての通りに名前がない」のか、この歌の悲壮な背景を学ぶのはずっと後になってのことだったが。

  • バトンを渡す 5 名
    こういう企画は結構「不幸の手紙」的に身勝手な気もするのでちょっと恐縮だが、せめてもの基準として「はてな」内に限定して選んだ方々にバトンをお渡しします。すでに回ってきていたら済みません。

    id:tatsuzukさん
    id:suikanさん
    id:comecomekammyさん
    id:grilloさん
    id:ioxinariさん