マイナス46

Jet2005-10-25

アナタノムネン、ハラシマス──二年前、亡き加藤大治郎のゼッケンをまとって神懸かり的なシーズンを過ごしたセテ・ジベルナウは、今度は9月初旬の負傷以来欠場を続けているトロイ・ベイリスの意趣を受け継いだつもりなのだろうか?
XPDブーツのチタン製トゥスライダーを真新しい路面にこすりつけ、派手な火花をまき散らしながらコーナーに飛び込んでいくセテ・ジベルナウを見ていると、そんな皮肉めいた感想が頭をよぎる。
トルコGP前半、2ndグリッドからすばやくホールショットを奪ったマルコ・メランドリを追撃する32歳のスペイン人は、その悲惨な2005シーズンに一輪の花を咲かせようと、懸命に若き250ccチャンピオンに食らいつき続ける。依然としてBMWアワードではトップに位置し続けるこの“予選番長”が、今度こそトップでチェッカーを受けてその真価を証明してみせるときが来るのだろうか?そんな想像も胸を去来する。
PowerBookをつないだリビングのテレビで画面を周回するトップライダー達にくぎづけになっているうち、妻がいそいそとクローゼットから#15のキャップをもち出してきて、それを被りながら観戦を始めた──どうやら今回は本気でこのカタルニア人に期待しているらしい。
“左回りの男”ニッキー・ヘイデンと、後方からじわりじわりと順位を上げてきたロッシを背後に従え、2台の“ザ・モビスターズ”がレースをリードする。イエローのアクセントを強調した新しいカラーリングが、イスタンブールの乾いた空気に似つかわしくない輝線となって、見るものの目を射る。ホンダ勢の中で事実上ベストの実力を持つこの青いスポンサーカラーが来シーズンにはレーストラックから消えてしまうのかと思うと、一抹の寂しさを感じざるを得ないのは確かだ。
はっきりとメランドリの尻をつつき続けていたジベルナウは4周目、3連続左コーナーの終端、ターン9でついにメランドリをパスする。少しずつギャップを拡げながら逃げを打つかのように見えたジベルナウに、カタールの二の舞いだけはごめんだぞ、とハラハラせずにはいられない。
異国情緒溢れるアーチ型のファサードをもつパドックの前を、ライダー達が最高速で駆け抜ける。意地の悪いタイトなターン1から急激な左の下り、そのまま高速の登り右ターン、そして再び下りに転じる前のレフト・ハンダー、ターン4──そこまでやってきたわれらがジベルナウは、気の散った犬のように急に進路を変え、グラベルトラップへと飛び込んでいった。
観客の口から漏れるのは悲痛な絶叫か、ため息か──この瞬間6位まで順位を落としたジベルナウは、コースに戻って必死の追撃を開始する。だが、トップグループとの悲しいほどの差と、そして彼がこのギャップを覆すことはない──彼はロッシではないのだ──ことは、もはや誰の目にも明らかだった。
気がつくと、妻が帽子を部屋の隅に放り投げていた。


レース展開だけみれば、それほど刺激に満ちた一戦というわけではない。しかし、マルコ・メランドリがトップでチェッカーを受けた後に残ったのは、例えようのないすがすがしい満足感だった。
互いに53秒台で周回を続けるロッシとメランドリ。ロッシは9〜10周目、あるいは17周目といった中盤のうちに何度か追い込みをかけるが、その差はわずかに縮まりこそすれ、いつものようにロッシがやすやすとオーバーテイクの機会をつかむ雰囲気はない。特に前半セクションでは、あきらかにメランドリが速い。
──調子が悪いわけではない。ロッシはメランドリに追いつけないのだ。
そう考えた途端、胸に熱いものが走る。これは、長いロッシ支配の時代がその衰亡期めがけてターンするきっかけなのだろうか?
ロッシが他のライダーの後塵を拝することがこれまでになかったわけではない(“今日のセテは速かったね”)。しかし、このイスタンブールでの戦いは、どこかこれまでと違うように思える。
今シーズン、これまで7回のフロントローと5回の表彰台を獲得してきたマルコ・メランドリが“確変”の時期を迎えているのは間違いない。同じようにニッキー・ヘイデンも4回の表彰台と1回の勝利をものにしているものの、日本GPでロッシを押さえつけた揚句にミスを犯させ、その後の負傷にも関わらずひどい戦績に堕ちることなく、カタールではロッシとアグレッシブな接戦を披露したこのイタリア人ライダーには別の“勢い”がある。その格が今シーズン後半でワンランク上がり始めていることは、誰の目にも明らかだろう。
「今日の表彰台に乗った3人は、MotoGPの未来の姿さ。来シーズンはエキサイティングな年になるよ」とロッシ自身もコメントしている*1。そこには、ジベルナウマックス・ビアッジといった“ベテラン”ではなく、未知数のポテンシャルをもつ若いライダーとバトルができるようになったうれしみがにじんでいるようにも感じられる。

ロッシがやはり来シーズンも王冠を手にし、伝説を確固たるものにしてレーストラックを離れるにせよ、ヘイデンやメランドリといった若手に僅差で破れ、幕引きを誰の目にも明らかな世代交代に置き換えて姿を消すにせよ、2002年のMotoGPクラス開設以来その代名詞となってきたこのチャンピオンの時代は、やがて終わるだろう(それが07年のフェラーリ転向であるにせよ、ないにせよ)。
『Cycle Sounds』誌12月号では、マイケル・スコットがその連載記事「GP PADDOCK」の中で、ロッシ去りし後のGPシーンについて具体的な想像を呼びかけている。
思い浮かべて欲しい。グリッドにはもう、カメラに向かって愛想を振りまく背の高いイタリア人の姿はないのだ。あらゆるサーキットのスタンドやフィールドから、そこを埋め尽くす黄色いカラーが忽然と消えるのだ。ウィニングランの最中にトラックになだれ込む陽気なファンクラブは、その活動の場を別のところに移してしまい、ピットロードから出るときに立ち上がったり、マシンにまたがる前にステップを握る仕草もやがて、それを知る者の間での符丁に過ぎなくなる──それはもう、なんだかMotoGPではないかのような違和感すら覚えるではないか。
しかし、そんな時代は確実に来るのだ。しかも、ほどなく。
それが二輪グランプリをよりエキサイティングで面白いものにするのか、マイケル・スコットの指摘するように「ロッシ以外の“二番格のライダー”によるチャンピオン争い」のような失意に満ちたものになってしまうのか、それはわからない。
しかし、そろそろ僕たちはその時代──“マイナス46の時代”──を迎える準備をしなくてはならない。それはひょっとしたら寂しいことかもしれないな──トルコGPの表彰台で歓喜に踊るヤングライダー達を見ながら、意外にもそんなことを感じずにはいられないのである。