妄想(長文注意)

昼の二時だというのに、その通りには人影がなかった。密集して建つ家々のどこかの窓から、かすかにテレビの音が漏れ聞こえてくる。アレックスは路肩に停めた車から降り、窓を開け放したままドアを閉めた。鍵はかけなかった。住居のあるモナコに置いてある特注のフェラーリならともかく、久しぶりの故郷で足代わりに使っているこのくたびれたフィアットが特に目立つとも思えなかった。
靴が細かく砕けたガラスを踏み、じゃりっという音を立てる。「ゾーナ・ノルテ」と呼ばれる、住宅と工場が密集したこのリオデジャネイロ北部の地区は、近年の景気後退とインフレで見るたびに寂れていくのがわかる。ちょっと見回しただけでも、明らかにうち捨てられたとわかる荒れ放題の住居が一、二軒、すぐ目に入ってきた。
「アレッシャンドレ!」
背後から声がした。幼なじみのチッタがハンカチで汗を拭きながら近づいてくる。もう4月、夏も終わりだというのに黄色いポロシャツのわきの下にはじっとりと汗がしみ出していた。
「すぐここがわかったか?」抱擁を終えると、チッタは何度もハンカチを折り返しては額に当て、まぶしそうにあたりを見回した。
「もちろんさ。1マイル先からお前の匂いで分かるよ」アレックスは答えた。自分をわざわざフルネームで呼ぶこのインテルラゴス時代からの古い友人の前で、遠慮はいらない。チッタはふん、と鼻を鳴らすとアレックスの高価なサマージャケットの襟をわざとらしくあらため、先に立って歩き出した。
「で、その少年はどこにいるんだ」アレックスは後を追いながら尋ねた。
「家にいる」チッタは言った。「運が良ければな」
「僕が行くと連絡はしてあるのか?」アレックスは聞いた。
「電話はないんだ」チッタは言い、伸び放題の植え込みに半ば入り口を覆われた路地にすっと入っていった。


路地は予想に反してどこまでも続いているかのように長かった。道で遊んでいた子供たちが、足早に進む二人を手を止めてじっと見つめている。あたりにはかすかに食用油の匂いが漂っていた。
「先週のヘレスは見たのか」足を緩めることなく、肩越しに振り向いてチッタが言った。
「TVでね」アレックスは言った。
「パルクフェルメで一悶着あっただろ」チッタが言った。「また例の二人さ」
「いや、最後まで見ていないんだ」アレックスは答えた。
昨シーズンにイヤというほど見せられた定石通りのレース運びでヴァレンティーノ・ロッシがチェッカーを受けると同時に、テレビは消してしまった。
「そいつは勿体なかったな、01年のカタルニア以来の騒ぎをカメラの前でやるところだったんだ。今回はイタリア人同士じゃないけどな」
「それは見てみたかった気もするな」アレックスはクスリと笑った。すでにいろいろなことが懐かしく思える。
──激動の2005年を締めくくるバレンシアGPの後、総合6位でシーズンを終えたアレックス・バロスパドックに記者を集め、長きに亘るグランプリ生活に終止符を打つことを発表した。複数のメーカーサテライトチームから来シーズンのオファーを受けていたし、巨額の契約金を持ってワールド・スーパーバイクへの参戦を打診しにきたイギリスのチームもあった。しかしアレックスはある計画を秘め「今後はモーターバイク・レースの発展に寄与していきたい」と答えて静かにパドックを去った。
「落ち着かないか」チッタが聞いた。
「正直言えば、落ち着かないよ」アレックスは素直に答えた。「20年GPにいたんだ」
あまりにも長くいた場所と時間から離れて居間のソファで開幕戦を見ているというのは、アレックスにとっても傍に寄り添う妻と子供たちにとっても、まるで別世界に迷い込んでしまったかのような不思議な体験だった。
「わかるよ。でも俺達にはやることがある」チッタは言うと、ある門の前で足を止めた。「ここだよ」

アレックスはその建物をのぞき込んだ。古い小さな工場で、ドアのない小さな入り口がぽっかりと口を開けている。周囲の草の伸び方からすると長い間使われていないらしいが、建物の周りですっかり赤錆ている工作機械に混じって、所々新しめの機器があるのも目についた。
「マッティ!」チッタは工場の暗がりのなかに遠慮せずに入って叫んだ。「マッティ!いるのか」
アレックスは何かにつまずきそうになった。下を見ると、クラックの入った古いクランクケースが転がっている。目を上げると、工場の暗がりの中にはあちこちにモーターサイクルのパーツが積まれているのが見えてきた。フレーム、バッテリー、キャブレターのファンネル、ぼろぼろのタイヤ……。
「いないのかもしれん」一通り建物の中を見回したチッタが、再びハンカチで汗を拭きながらつぶやいた。「いつもこの時間ならいるんだが……明日来ることにするか?」
アレックスはそれには答えず、見慣れたシルエットを見つけてまっすぐ工場の奥まで歩いていった。そこには、埃一つないフェアリングに包まれたカジバが一台、フロントとリアのタイヤを外されて懸架されていた。
「──古いけど、エンジンは元気だよ」
頭上から声がした。
とっさにアレックスが見上げると、天井付近の鉄骨の梁から浅黒い顔がこちらを見つめていた。「マッティ!いたのか」チッタが駆け寄ってくる。
マッティと呼ばれた少年は手にしていたハロゲン球を口にくわえると、天井から下がったワイヤーからするすると降りてきた。黒ずんだ作業グローブをはずしてそばの棚にほうり投げる。
「ごめんなさい、電球を換えてたんだ」
アレックスは少年を見つめた。歯並びのいい、人懐こい顏。身長は自分より少し低い。四肢はすらりとしているががっしりしていて、半ズボンから突き出た両足には強靱さとしなやかさが共存しているのが見て取れた。
「アレックス、これがマッティ──マルチネス・アーメイダ」チッタが紹介した。「マッティ、この人がアレッシャンドレ・バロスさんだ。世界グランプリの──」
マッティがさえぎり、指の長い手を差し出した「知ってるよ。ブラジルのヒーローだ」

ヒーローか──アレックスは握手しながら苦笑した。世界GPのベテランとはいえ、自分のブラジルでの知名度はそれほど高くない。むしろ近年では景気低迷でモーターサイクルレース人口はめっきり減り、スポンサーもほとんど姿を消しつつあった。
「今年は走らないんでしょ?」マッティは言った。「僕にライディングを教えてよ」
「マッティ!」
「いいんだ、チッタ」アレックスは言うと、壁の部品棚に並べられた数個のトロフィーに気づき、近づいて銘板を眺めた。
インテルラゴスを走るのか?」アレックスはマッティに言った。
「うん、125ccと、たまに250ccにも出るよ」
ネルソン・ピケでも勝ったのかい?」国内選手権の優勝トロフィーを見てアレックスは言った。
「うん、もう改修で走れなくなっちゃったけどね」アレックスはうなずいた。自分の頃はジャカレパグアと呼んだあのサーキットは、市の方針で半分に縮小されてしまった。
彼は、それぞれのトロフィーのそばに置かれた小さなプレートに気がついた。そこには、マッティが勝ったそれぞれのレースで、すべてサーキット・レコードを更新していることを示す証明書だった。チッタの方を見ると、彼はアレックスを見つめて満足そうにうなずいていた。
「それで、マッティ──」アレックスはピット二つ分ほどの広さの工場を見回して言った。「レースの資金はどうやって用意してるんだい?」
「お金?自分で出してるよ」マッティは足下に落ちていた工具を拾い上げ、あちこちへこんだスナップ・オンのチェストの中に放り込んだ。のぞき見ると、中に入っている工具はスナップ・オンのものではなかった。「町のお店で働いてるんだ」
「でもそれでは十分じゃないだろう?チームは?」
「ないよ。レースの時は兄貴の自動車工場のともだちが来てくれる」
「お父さんやお母さんは……」
マッティの肩が少しこわばった。彼は壁の釘にかけようとしていたレンチを作業台がわりの鉄板の上にほうり投げ、大きな音ががらんとした工場にひびいた。
「──パパイもママイも、レースには来ないよ」
アレックスはそれ以上聞くのを止めた。
「でも、誰かがサポートしてくれてるね」アレックスは壁際に山のように積まれたぼろぼろの使用済みタイヤを掌で叩いた。「こんなにたくさんのタイヤをレースで使えたんだから」
「ううん」マッティは言った。「それ、これから使うんだ」


アレックスはその場で息を飲んだ。「──これから履くだって?」
「そう」マッティは周囲を片付ながら、ちらりとアレックスを見上げて言った。「新品を買うのなんか無理だからさ。レースの後、地元のチームやバイクショップのところに行って、使い終わったタイヤをもらうんだ」
「これでレースを走るっていうのか?」アレックスは目の前に積まれたタイヤを見つめた。ほとんどがサーキットの過酷な加減速で表面は爛れきり、コンパウンドはほとんど残っていない。中にはトレッドが剥離しかけているものまである。普通こんなタイヤで走ったら、1ラップももたないだろう。
「え?結構使えるんだよ」マッティは手を止めて駆け寄ってくると、目を輝かせて古タイヤを指さした。
「この人は右コーナーでラインを奥に取りすぎるクセがあるから、右はちょっと注意しないとかな。でも左はまだまだ使えるんだ。こっちのタイヤはレースの中ごろまでなら右のヘアピンとかでグリップを稼げるよ。そこが終わっちゃったら、もうちょっと左寄りの、このあたりで加速すれば問題ないから。ラインをちょっと広めに取らなきゃ行けないけど──」
マッティは学者のように顎に手をやりながら、楽しそうに積まれたタイヤを次々と指さしていった。
「わかる?マーブル模様みたいなものなんだ。一見すっかり減っているラインでも、まだトラクションに耐えられる部分があるの。それをうまく組み合わせて使うんだ」
マッティはそばにあった電動ドリルを取り、タイヤに押しつけて言った。「これなんてさ、めっけもん!まだまだ減ってないから、こいつでもう一回溝を掘ればほとんど新品のレインタイヤだよ」
アレックスはわずかに後ずさりすると、深呼吸した。「一つ聞いていいかい」自分がたいへんな出来事にぶつかっているのがわかり始めていた。
「君はあのトロフィーを──サーキットレコードを出した時も、こういうタイヤで走ってたのか?」
「もちろんだよ」マッティは屈託なく答えた。「言ってるでしょ。お金ないって」

アレックスとチッタは工場の外に出た。日差しがまるで機銃掃射のように二人を差した。
「アレッシャンドレ──」
「わかってる」アレックスはつぶやいた。チッタのハンカチを借りて、汗をぬぐいたかった。
タイヤ──そう、すべてはタイヤなのだ。タイヤがグリップするから進み、タイヤがグリップを失うから転倒する。エンジン、サスペンション、ブレーキ──モーターサイクル・レースの要因には様々なものがあるが、それらを最終的に取りまとめてマシンのコントロールを左右するのは結局タイヤなのである。
もしタイヤがレースの最初から終わりまでまったく変化せず、走り始めと同じだけのグリップをライダーに提供し続けたら、そのライダーはおそらく無敵になる。そして、それと似たようなことができるライダーをアレックスは知っていた。
──ヴァレンティーノ・ロッシ。この五冠の帝王は、06シーズンもレーストラックに君臨するのは間違いないと言われていた。他のライダーがMotoGPマシンの強大なパワーでタイヤを消耗させて失速する中、レースの進行に合わせて自由にタイヤの“減らし方”を切り替え、最適なグリップを保ち続けることができるあの天才イタリア人──彼を倒すには、同じくタイヤのグリップを自由にコントロールできる超人的な感性の持ち主が必要なのだ。そしてそれこそが、成熟しつつある4ストローク時代のレーシングライダーに必須の能力となっていくはずだと、アレックスは考えていた。
「チッタ、ありがとう」固くチッタの肩を抱いて、アレックスは言った。「僕が探していたのは、彼だ」
「かき回してやろうぜ、来シーズンは」チッタは言った。「大変なのはこれからだ」
「ああ」アレックスの頭は目まぐるしく動き出していた。去年の9月、ホンダから06年の契約解除を言い渡されて以来、関係者の間を奔走しながら暖めてきたあのプラン──“チーム・バロス”。
いま、そのエンジンに火が入った、とアレックスは確信した。
「行こう」アレックスは携帯電話を取り出すと、強い陽光の下で液晶に目を凝らした。そこには、数ヶ月に亘って交渉を続けたスポンサー担当者の、長い長いリストが表示されていた。アレックスがまず押したのは、石油会社レプソルの短縮番号だった──。*1

【お詫び】妄想全開長文、大変失礼しました(笑)。しかし先日のカタルーニャGPのロッシの“Terxtbook Victory”(筋書き通りの勝利)を見たりすると、あらためてこんなライダーでもなければもうロッシを倒せない……とかガックリきたりして。バロスが来期シートを失うというのは、涙ながらの妄想ですが。
さてさて、立て続けの大プレゼン、自宅の引越し、仕事場のM&A(!)と公私超バタバタの中、気がつけば一ヶ月以上放置かよ!というわけでなんとか再開です。すいませんでした。
ちゃっかりバイクには乗ってますが、ちょっとこの期間に面白い体験もしてきたので、追ってそのことも書こうと思います。

*1:一応念のために…。このエントリーに書いてあることはすべてフィクションで、実際の個人や団体、地名とは何の関係もありませんです。

 GはガッチリのG

Jet2005-05-08

先日の転倒で、使っていたSIDIのライディングブーツ「Vertebra2」のくるぶしのスライダー*1がベースごと吹っ飛んでしまった。SIDIのブーツはプロテクター類のほとんどがビス止めで交換できるようになっているのだが、プラスティックの下地部分に埋め込んであるねじ山の金属ごともぎとられてしまったのだ。単純なスリップダウンとはいえ、瞬間的な衝撃は相当なものがあるのだろうと思うとぞっとする。
ともかく、これでは交換用のパーツを買っても付けられない。ベース部分の修復を試みたが難しく、SIDIに問い合わせたところリペアは行っていないとのこと。もう4年使ってそれなりにくたびれているとはいえボディの合成皮革部分はまだまだ元気なので勿体ないが、プロテクターを失ったままというのも気分が良くない。僕はこれを機にブーツを新調しようと、某大型用品店にやってきた。
以前から目をつけていたのはXPDの「XP-3」だ。有機的なデザインが特徴のSPIDIの派生ブランドで、前モデルであるXP-1が出た時など「こんなすごいデザインのブーツ、よほど上手い人が履くのだろうなあ」とレーシング装備初心者の僕は思っていたほどだ(笑)。
ところが、試着してみるとこのXP-3、心もとないのだ。なんだかすごく不安というか、パンツを履かずにズボンを履いたような落ち着かなさがある。──理由はXPDではなく、僕自身にあるとすぐわかった。僕が“ガチガチ”のVertebra2に慣れすぎていて、動きのよすぎるソフトな履き心地のブーツに慣れていないのだ!
SIDIは、レーシングブーツの中でも強固なプロテクションをうたっているメーカーだ。脊椎の構造をモチーフにしたという「ベルテブラ・システム」によってふくらはぎ、アキレス腱、かかとのすべてをがっちりガードしながら、それぞれのプロテクターが分離して動くために自由度を妨げない。実際、Vertebra2と同じ実売2万円台のレーシングブーツでここまで広範囲に脚の後面をハードパーツでガードしているものはない。
──という売りではあるが、まあ実際はこのVertebra2、足首にギプスがはまっているようなものだ──ただし慣れるまではだけれど。僕も最初のうちはまともに歩けないわ、ステップの感触はつかめないわ、ギアはどこにあるかわからないわ(それは冗談だが)で、ブーツを履くのが憂鬱だった時期もある。
しかし、履き続けて革もこなれ操作にも慣れてしまえば、逆にこのカチッとした感触が安心感となる。ハードなブーツ越しの感触も、熱や突起物を気にせず「ゴッ」と足を車体に押し付けてホールドすることが可能なので思いきったアクションができるなど、メリットに変わっていった。
そんなSIDIに慣れた後で、くるぶしをハードプロテクターですっぽり覆っていない種類のブーツを履くと、なんとも落ち着かないのだ。そのプロテクションのせいで怪我一つなかったのかもしれないとなれば、なおさらである。


売り場を見るところ、現在のレーシングブーツのトレンドには二種類あるようだ。実売二万円台までのミドルクラスは、ツーリングブーツよりも一歩上のプロテクションをうたいながら、そのせいでスポイルされがちな「動きの自由度」を確保したものとなっている。Alpinestarsの「S-MX3」はくるぶしをガードしつつ足首全体にシャーリングを施し、Oxtarの「SSパフォーマンス」StylMartinの「プラチナム」なども足首部分のプロテクションはくるぶしのスライダー程度にとどめ、動きやすさを優先している。
そこから一歩進んで三万円〜四万円台まで目を移すと、一気にプロテクションはハードなものと化し、足とのフィッティングも一ヶ所だけでなく二ヶ所、三ヶ所で締めつけるようになってくる。S-MX3と対照的なAlpinestarsの「S-MX Plus」はインナーブーツを靴ひもでフィットさせてからアウターをロックする形で、XPDの最上級「XP5-R」も同じだ。殺人ナイフのようなプロテクターデザインが印象的だった前モデル「Vertebra Race」の後継モデルであるSIDIの「Vertigo Corsa」などは足の甲をナイロンワイヤーで締め、またふくらはぎなど各部のフィッティングをダイヤルでじりじりと合わせる機構などがごてごてついていて、ユニークだが外見はもはやガンダムである。
そして、それらの各上級モデルに共通しているのはどうやら「横方向のねじれに対して足首を完全に固定する」ということのようだ。S-MX PlusもVertigo Corsaも、ふくらはぎ部から踵までを膝下キプスの様に一直線に固定し、一切左右に振れないようになっている。またXPDの上級モデルも、両者ほどでないにせよふくらはぎから足首にかけてのプロテクターはつながる形になっている。かなり不自由そうに見えるが、これが最新の安全理論というやつなのだろう。
もちろん、ソフトもハードも一長一短だし、プロテクションをとるか動きを取るかではそれぞれに支持者がいる。周りの話を聞いているとかつての2ストレプリカ乗りには今でもソフト派が多いようだし、つじつかさ氏などは名著『ベストライディングの探求』の中で、靴底がカチカチのプラスティックブーツではなく、「鉛筆を踏んだ時にそれが六角鉛筆か丸形かがわかるような」ソールのブーツを履け、と断じている*2。その一方で現在のGPシーンを見ると、やはり転倒時のことを考えてかハード派が多いように見える。
──動きやすさか、プロテクションか。僕は売り場で散々悩んだ。XP-3やS-MX3は確かにカッコいいが、ぐりぐり回る足首がやはり僕のようなプロテクションに安心を求めるタイプには逆に不安だ(笑)。かといって同じSIDIを買うのはちょっとつまらない。ところが、いざ聞いてみると最終的にXPDもAlpinestarsもサイズが品切れというではないか!僕はがっくり肩を落し、売り場を後にした。
と、そんな僕を背後から店員が呼び止めた。「お客さん、実は個人的には僕はこれが一番お勧めなんです」──振り返った僕に彼がそう言って出してきたのは、GAERNEの「G-RS」だったのである。

がっ、がえるね──僕の顔は高橋留美子風にひきつった。もちろんGAERNEは知っている。オフロードブーツを出自に持つ、歴史あるブーツメーカーだ。すぐに玉田誠の足に燦然と輝く「G」のマークが頭に去来するし、古くはワイン・ガードナーを思い起こす。WSBKでは例えばクリス・バーミューレンも使っていたはずだ。
しかし、その外見たるや──もはやハードを通り越してスキーブーツなのだ。さきに他社の上級ブーツが“ふくらはぎから踵まで一直線”のプロテクションと例えたが、ガエルネは文字通り足の両脇が上から下までプラスティックでつながっているのだ。そして極めつけはごついメタルホックでガチリと止められたふくらはぎだ。見ているだけで足の骨折が完治しそうなプロテクションぶりなのである。
さらにお世辞にもスマートとはいえないインパクトの強いデザインもあって、このG-RSは全く選択肢に入れていなかったのだが、「だまされたと思って履いてみてくれ」という店員に誘われて足を通すことにする。
普通と違って後部にあるファスナーをおろし、独立したインナーの“ベロ”を引っ張ってするりと足を入れる。すると横にファスナーがある場合と違い、足の位置がすぐにぴたりと決まる。そして例の強力なメタルホックの長さを調節して、「バチン」「バチン」とアウターシェルを止める。そして立ち上がる──。
と、想像していたような圧迫感が皆無なのだ。それもそのはず、きつそうに見えたアウターは実は内側のブーツ本体からは独立したような形。いわば“フローティング”していて、スキーブーツのようにダイレクトに足を締めつけているわけではない。さらにくるぶしの内側に入っているジェルがフィット感を増している。
さらに驚いたのは、あれほどがっちり守られている足首が“自由に動く”ことだ。前述のプロテクターが足の両脇から浮いた形でソールとつながっているため、その内部で足首はフリーにになっており、くいくいと自由に動くのだ。もちろん横方向にはねじれないが、プロテクションを他に譲った分足首には全面的にシャーリングが施されているため、むしろ全体が合成皮革で覆われた場合よりも動きやすく感じる。
──うーむ、さすがによくできている。S-MX Plusなどのガチガチ系高級ブーツもおそらくこんな感じなのだろうが、GAERNEはこのクラス中ではもっとも安価だ。さらに、日本国内向け製品は日本人用の寸法で作られ、リペアもSIDIと違い日本国内に専用の工場を持っていてちゃんと請けてくれるという。合成皮革さえダメにならなければずっと履けるというわけだ。
転倒時の安全性、GPのイメージ、周りであまり見かけないという珍しさ、サポート──総合的に考えればハードプロテクションブーツの中ではもっともリーズナブルだという店員の話も手伝って、僕はしばし逡巡するとこのG-RSを注文してしまったのである(結局これも在庫切れだったのだ…)。
一つ残念なことがあるとすれば、これだと「ブーツのファスナーを開けっぱなしにして歩く」ことが事実上できないということだろう。ツナギの上半身を脱いで背中にたらして袖を腰でしばり、ブーツのファスナーを開けてカパカパさせたまま歩くライダーはかつての夏の峠の風物詩だった(笑)。しかしツナギの背中には巨大なこぶができ、ブーツもこんな雪靴状態の現在ではそんな風にベテランを気取るのもままならない(笑)。ああ、どんどん時間は流れていくのだなあ。*3

*1:これは衝撃からくるぶしの骨を守るガードだと思っていたが、転倒時にこの部分がグリップすると予想外の怪我を呼ぶために滑らせて守るというパーツらしい。

*2:この本が書かれた89年当時から比べれば、ハードブーツも相当な進化を遂げているし、ソールもかなりよく感触の伝わるものになっているだろう。なかでもAlpinestarsのソールは逸品で、GPレーサーの中にはSIDIのブーツを履きながらソールだけAlpinestarsのものに換えている選手もいると聞いた。僕もS-MX3を試してみたが、ハードブーツでありながらステップに刻まれたローレットの感触までわかりそうなもので、かなり後ろ髪を引かれた。

*3:今回は入手前のため、上の画像はGAERNEの輸入元であるJAPEXのサイトから引用しました。

 病膏肓

Jet2005-04-26

土曜日、午前6時。昨シーズンの終わり以来4ヶ月ぶりとなる伊豆。一時間ほど前に夜が明けたばかりの辺りの空気は、まだ何も混じりけがなく澄みきっている。僕は料金所で500円を渡すと、CBRのスロットルをひと開けして箱根ターンパイクを駆け上がった。
シーズンが始まってから毎週走り回っていた奥多摩に一旦別れを告げ、僕は久しぶりに伊豆に足を伸ばした。同じ峠に何週間も連続で通えば少し飽きが来るのも当然だが、タイトな奥多摩とは対照的な広いワインディングが恋しくなったのと、今年は自分なりにもっと伊豆に通い、“世界屈指の名ワインディング”とも称されるこの場所の魅力をできるだけ開拓してみようという目標をもっているせいでもある。
箱根ターンパイクは、狭い峠道に慣れた身には信じられないほどの高速コースだ。いつもながら走り方を確立できず苦労する。“井の中の蛙”的に同じ峠を走り回っているツケなのだが、この「道幅から来る速度域の違い」に対応できないという未熟さのせいで、僕は後で痛い目を見ることになる。
大観山パーキングを過ぎ、別料金となる十国線を通って熱海峠へ。ここからが今日のメインディッシュ、伊豆スカイラインだ。さすがにこの時間ではバイクも車も皆無に近い。朝練かくあるべし(笑)。4時出発、5時半着。伊豆スカイラインから西伊豆スカイラインへ回り、9時過ぎには帰路につき、昼にはようやくブランチなどを食べている家族の元に涼しい顔で合流するという、理想的な妻子持ちライダーのプランというわけだ(笑)。
理想的な曲率と見通しの広さを持つ伊豆スカイラインは、まさにライテクの教科書に出てくるようなラインの試せる好コース。いつもよりきつめのブレーキングを試し、その荷重をそのまま倒し込みに結びつけることに集中する。貸し切り状態の安心感もあってペースも気持ち良く上がり、すいすいとコーナーをクリアしつづける。
最近の練習の目標は、“ステップワーク”だ。GPなどを見ていると、ライダーがコーナーの進入や立ち上がりでせわしなくステップを踏みかえて、少しもじっとしていないのがわかる。そんな光景を意識しながら、単にステップに加重するのではなく、つま先、土踏まず、踵──足のあらゆる個所を使い、ステップも根本から先端まで踏み分ける。すると、バイクは驚くほどその挙動を変え、コーナーの種類によって自在に曲がり方を調節することができるのだ。
今日は体調もよく、かつてないほど“乗れて”いる。コーナーをクリアする一連の動きが流れるようにつながり、路面のバンプで車体が振られてもまったく焦らず対処できる。メーターに目を落とせば、かつての「宇川組」と同じくらいのコーナリングスピードが出せているじゃないか!僕はまったく気分よく冷川までを走りきり、そこでUターンすると亀石PAまでの間を数往復して楽しんでから、いよいよ西伊豆スカイラインへと向った。


とはいえ、僕は走りながらある問題がずっと背後について回っているのを感じていた。どうも自分は1000RRの“旋回を止めている”ようなのだ。理由ははっきりしている。僕がCBRの旋回力を信頼できず、怖がっているのだ。
レールに乗ったように安定してぐいぐい曲がっていくリーンは、1000RRの真骨頂だ。しかしタイトな奥多摩よりもずっと幅広くてコーナーのRも大きい伊豆スカイラインでは、いきおい旋回している時間が長く、かつ速度域も速くなる。奥多摩では倒し込んで強く旋回すると次の瞬間にはもう立ち上がりなのだが、ここではべたっとリーンしたままの時間がかなり長いのだ。
そのために、「本当にこのスピードで曲がれるのか?はらむのでは?」という疑念がどこかで心の奥に残り(そんなわけないのだが)、思いきってコーナーに飛び込めず、体をマシンにあずけきれない。結果としてわずかにリーンの角度を抑えてしまい、かえって旋回力が弱まるという悪循環だ。もっと悪いのは、その緊張感からついコーナーのアウト側を見てしまい、出口に目をやるのが遅くなるということだ。
この日のライディングの憶測に潜んでいたこの“問題”に、僕は手痛いしっぺ返しを食らうことになる。

冷川ICを降りて県道12号線に入ったときから、自分がおかしいのはわかっていた。早朝とはいえ車の往来もそれなりにある一般道のこと、すぐにクールダウンしなくてはならないのは当然なのに、それまでの興奮状態と速度感を調整できずにいるのだ。
体と意識が伊豆スカイラインの高揚を引きずって、なかなか元に戻らない。あきらかにオーバーペースなのをわかっていても、体がいうことを聞かないのだ。走りながら頭の中でずっと警鐘が鳴り続けている。“やめろ、落とせ、乗り方を変えろ”ともう一人の自分が必死に呼びかけている。
やがて僕は修善寺市街を抜け、県道18号線に入る。ここは遊園地「虹の郷」をかすめて西伊豆スカイラインを目指す、これまでとはうってかわってタイトな低速コーナーの続く峠道だ。少しクールダウンしはじめた心が、目の前のワインディングを見て再び燃え上がってしまう。
だが、未熟な僕は狭い18号線のコーナーにすぐに体を合わせられない。コーナーの進入速度が高すぎるまま、慌ててきつくCBRを倒し込む。しかし件の“体をあずけきれない状態”が意識に残り、マシンはアウトめがけてはらむ。視線はおびえてコーナーの外側を凝視し、マシンは当然曲がること拒否する──そんな危なっかしいコーナリングをしばらく続けた後、ツケはやってきた。
低速の登りの左コーナー。オーバーペースでの進入。リーン開始のポイントは想定より奥にとるしかない。僕は少し焦りながらブレーキングを開始した。
──そのとき、一つ先の右コーナーから、白い軽トラックが顔を出した。
そして愚かにも、僕は突然現れたその対向車を“見た”。あろうことか、視界の隅でではなく、視点をしっかりとそちらに向けて。
それがどんな結果を生むか──スポーツバイク乗りの諸氏ならもう目を覆うだろう。対向車を凝視したコンマ数秒の間、当然ながら体は固まる。イン側への荷重を失ったCBRは“直進”する。そして、その致命的なタイミングの遅れに焦った僕は、無意識にフロントブレーキを強めた。
何が起こったかわからないうちに、僕はイヤな破砕音とともに左側面から路面に叩きつけられていた。路面を滑る体がセンターラインを少し越えたところで止まった時、1mほど先に、急停車したさきの軽トラックの鼻先があった。

愚かで、あまりにも典型的なフロントロック──いや、“握りゴケ”。ドライバーに平謝りした後で(CBRが衝突したフロントバンパー隅の傷を不問にしてくれたのは感謝してもしきれない)トラックが走り去ると、僕はCBRを起こしてからジョン・ホプキンスよろしくツナギ姿のままコブシを振り回した。
──悔しい、悔しすぎる。原因も状況もわかっている自分のミスで転倒する悔しさは、かつて経験したことのないものだった。
状況に合わせてペースダウンできない自制心のなさ、バイクの挙動に関して鋭敏であれと心がけながら、急な変化に対応できないテクニックのなさ、そしてコーナーの出口以外に目をやるという、基本中の基本を忘れた未熟さ──。すべてが自分の愚かさが原因だ。
一歩間違えば……という一般道での危険も相まって、あらためてバイクの難しさを思い知らされる。しかも、それによって最高に調子がいいように見えたツーリングを開始早々にダメにしてしまったことも、悔恨の念に拍車をかけた。
幸い、体は左肩を強打していたくらいで、打ち身が一週間ほど残るだろうという程度。あらためてレーシング装備のありがたみが身にしみる。*1
CBRは対向車線まで滑っていった後で軽トラックに軽く“轢かれ”ていたが、クラッチレバーが中央の切り込み線から律義にぽっきりと折れた他は、操作系もエンジンも問題はない。僕はその短いクラッチレバーでマシンを操り、さんざん自分に悪態をつきながらUターンして帰途についた。*2

僕は帰るとすぐに、いきつけのショップにCBRを放り込んだ。クラッチレバーはじめ、破砕したミドルカウルや曲がったギアのリンクロッドは交換だが、削れた左アンダーカウルとアッパーカウルは自分への戒め(と、歴史)としてそのままにする。すべて修理すると10万ジャスト程度。直せない額ではないが、なぜかこの転倒を“なかったこと”にする気にはなれなかったのだ。
峠で左側面がずたずたになったCBRを引き起こした時、不思議なことに僕の頭には“大切なバイクが傷物に”という意識が全くなかった。とにかく脳裏は「マシンがまだ動く」こと、そして「必要な部品だけ交換し、すぐにでもまた走りに行く」こと、そしてなによりこのCBRを「乗りこなしてやれず申し訳ない」という気持ちでいっぱいだった。
削れたカウルは格好いいものじゃないが、こいつは飾り物じゃない。道具──最高の道具なのだ。走れること、乗りこなすこと、こいつで“上手く”なること──それが何よりも僕にとって大切なのだ。
やれやれ、そんな風に思うなんて、いよいよ病膏肓というヤツか、と僕は自分にあきれていた。こいつは100万以上する、一般人からしたら信じられないほど高価なバイクなんだぜ?そんな感覚になるなんて、どっかイッちゃってるよなあ──そう思いながら帰宅して、妻に転倒を報告する。
しかし痛々しく傷ついたマシンを見て戻ってきた妻は、残念がるでもなく「ホンダのバイクがボロボロになるのは(GPで)見慣れてるからなんとも思わないわ」と豪気に笑っていたのだった*3

*1:SIDIのブーツに包まれた左足は、左ステップのヒールガードが内側に折れ曲がって使い物にならなくなるほどマシンと路面の間に挟まれたのに、なんの影響もないのだ。

*2:“想定通りに”折れたクラッチレバーは、あれはあれでまともに操作できるのが驚きだった。帰り際の伊豆スカイラインで、悔し紛れにそれなりに攻めることができたくらいだ。本当に純正というのはよく考えられているものである。

*3:まあ家族に心配をかけるのはライダーとして一番の問題で、反省すること限りなしである。それを避けるためにも、心身両面で上達したいと心から思う。

 25ポイントの値段

もはやコントロールタワーは、レースを止められない──“コースのあちこちで振られる白旗は警告ではなく、オフィシャルがレースを中断するという判断を放棄した“降参”の合図だ”──こんなニュアンスの一齣マンガが乗ったのは、Crash.netだ。
それもそのはず、レインコンディションを宣言し、タイヤどころか信じがたいことにマシンの交換まで許可する(燃料規定はどうなってるんだろう?)というこの新レギュレーションを初適用すべく高らかに振られたホワイト・フラッグは、レーストラック上のあらゆるライダー──WCMのフランコ・バッタイーニを除く──によって終始無視され続けたのだから。
ところどころ雨の篠つく難しいコンディションとなった先日のポルトガルGP。およそレースというものにおいて「トップを走る損をする」などという状況はあまり考えられないが、第一戦スペインGPの雪辱を胸にトップを駆け続けるチャンピオン候補セテ・ジベルナウは、はからずもその身をもって後続のライダーに危険を知らせ、グラベルへ沈んでいくことになる。
雨は、レースが7周を過ぎた頃からライダーのシールドや僕たちがかじりつくテレビカメラのレンズを濡らし始めた。2年ぶりにまともな活躍を見せようとしているポールシッターのアレックス・バロスが、ポルトガルは彼の父親の母国だ”という内容を壊れたトーキー人形のように繰り返すアナウンサーの実況を背景に、つかずはなれずでジベルナウを追う。
後方では、ヴァレンティーノ・ロッシマックス・ビアッジが競り合いを繰り広げる。ロッシVSジベルナウという新時代の対立構図も悪くはないが、この二人のぶつかり合いは積年の大怨、年季が違う(笑)。しばらく見ることのなかった旧敵同士の対決に画面が引き締まり、見ている方も力が入る。
しかし、“呪い”としか言えない謎のチャタリングに悩まされ続けるビアッジは結局ロッシを抜くことができず、先行するロッシもバロスとの差を詰めることのできないまま、トップとの間は絶望的に開いていく。そして17周目の冒頭──モビスター・ホンダのエースライダーが1コーナーでスリップダウンし、あっさりとコースを去った。


レース中、レイン用のセカンドマシンを用意するピットクルーの姿がカメラに繰り返し映し出されていたにもかかわらず、ライダーたちは誰もピットインしようとはしなかった。
それはもちろんコースの区間によって雨量が──そもそも降っているかさえも──異なる不安定なコンディションのせいだが、このレギュレーションの初適用によって、今後ライダーはアクセルとブレーキ、クラッチを操作する以外にも重要な仕事を自分でこなさなくてはならないことが明らかになった。
いつピットインするのか?そもそもこの雨は続くのか(レインタイヤを履いてドライ路面を走ることになるのは、その逆と同じくらい悲惨だろう)?どこがどれくらい濡れているのか──?ライダーに知りえない材料は多く、それでも彼らは千里眼的に全体状況について決断しなくてはならない。しかし当然ながら、ライダーがマシンの上からコース全体のコンディションを知り、対処することは不可能だろう。いきおいそこには“賭け”のような要素が生じてくることになる。
セテ・ジベルナウ自身も後のインタビューで「マーシャルが振る白旗だけがコースのコンディションを知る手がかりだった。旗が振られていれば減速し、なければ加速した」と言っている。好機をとらえて優勝を飾ったアレックス・バロスも、ある記者に「実はセテが転倒したので1コーナーが危ないとわかって減速した」と打ち明けたという。

ライダーがコースコンディションを知り、少しでも確実に対処するためにはどうすればいいのだろう?EUROSPORT*1の解説者トニー・ムーディは、crash.netのコラム「Moody Blues」の中で極めて明快な提案をしている──無線をつければいい、というのだ。サーキット全体はカバーできないにしても、ピットが無線で路面の状況を詳しくライダーに伝えることができれば、少なくとも物言わぬマーシャルの白旗よりは役に立つ、というわけだ。
なんだいつの間に、という気がするが、現在のFIMの規定ではライダーとピット上の一人(チーフメカニック)の間に限り、無線交信が許可されている。確かに、プロトンKRに関する記事の中で同チームが無線交信を導入しているという内容を見かけた記憶があるが*2、あまり普及しているという話は聞かない。
ワークス含め、大手のチームがこれを使用しない最大の理由はコストだという。ムーディ氏によれば、ライダーとの無線交信に必要なセット一式の値段は100,000ユーロ(約1,400万円)。彼はこの投資で25ポイントとランキング暫定2位を確保できるのならば、セテ・ジベルナウはポケットマネーからでもそれを払ったに違いない、という。
確かに、四輪やF1の世界ではピットとの無線交信は常識だ。聞けばM・シューマッハーなどはレース中でもタイヤやマシンの挙動を逐一細かく報告してくるのだという。F1の戦略的なピットインでも(それが面白いかどうかは別として)この無線による緊密なコミュニケーションが大きな役割を果たしているのだろうから、GPの世界でもそれが役に立たないという理由はない。
またこれまで、RC211Vのよく知られた「3段階切り替えボタン」*3に代表されるような「エレクトロニクス制御をライダー側が切り替える」仕組みが「間違った使い方」によってトラブルを引き起こすという例もいくつか耳にしたことがある。無線を使えば、そうした問題もピットからの的確な指示によって解決できるだろう。
しかし導入を阻むもう一つの問題は、やはりモーターサイクルというものの特性に関係している。多くのライダーが、走行中に無線交信によって注意をそらされるのを好まないというのだ。確かに、全身を激しく使ってコントロールする二輪の特性上、飛び込んできた音声に気を取られてほんの一瞬反応が遅れただけで、致命的なアクシデントを生みかねない。四輪も全身の筋肉と集中力を要することに変わりはないが、「車でドライブしながら考え事はできるが、バイクに乗っているとなぜか同じようにはできない」というのと似たようなものなのかもしれない。
受信はピットクルー全員に許されているというが、あまりありがたくない想像もできる。GPライダーと僕のような一般ライダーを同じく扱うのも問題だが、峠などを“攻めて”いるとコーナー前の激しいブレーキングや素早い切り返しで「うっ」とかうめき声が出ることはよくある。レース中、シーンとした各ピットのスピーカーやヘッドセットからライダーの「ウッ……ウッ……ンッ……」とかって声だけが延々と漏れ続けていたら、それはそれで怖いのではなかろうか(笑)。
いずれにせよ、ムーディ氏の言うようにグレシーニのチームこそこうした技術の導入にはふさわしいというのは一理ある話だ。何といっても、通信技術の会社がスポンサーなのだから。

(おまけ)
無線交信が可能になったら──。
ポール・デニング(スズキのチームメカニック)がマイクを取る。
「ケニー、どんどん順位が落ちてるぞ」
『畜生、ストレートでパワーが全然足りないんだよGSV(こいつ)は!』
「確かに、ストレートでラップごとに車速が落ちてます」メカニックが言う。
「ケニー、トラクションを切り替えてみるんだ」
『とっくにやってるさ!新型でちったあマシになったかと思ったのに、何も変わってやしねえ!』
ポールに何か耳打ちするピットスタッフ。うなずくポール。
「ケニー、よく聞け。スクリーンの右横に小さなボタンがあるのがわかるか」
『なに?これか?“S”って書いてあるヤツか?』
「そうだ、それだ。次にメインストレートへ出たら、それを3秒間押すんだ」
『こりゃ何だ?』
「いいから押せ」
『なんっだってんだ、まったく』カチッ…。
ゴオオオォォォォォ
『お!え?ってちょっと…待っ、熱っ熱っおわおうわああああああぁぁぁすげえええええええ……』
遠ざかるケニーの声。大歓声。
──何が起こったんだろう(笑)。*4

*1:欧州最大のスポーツ放送局。

*2:他にもプロトンKRに関しては青木宣篤の公式サイトの記事で、GPSを利用した走行ラインの計測システムなどが紹介されていた。本当に実用化したのか知らないが、このあたりにチームの性格が見て取れる。

*3:RCVの左ハンドルの付け根に並んでいる1〜3の番号が振られたスイッチ。状況に応じてトラクションを切り替えるのだと解説されている。

*4:念のため言っておきますが、僕は隠れスズキ党です(笑)。

 Water in the Glass

“コップの水をこぼすのはいったい誰だ?”──いよいよ開幕した2005年MotoGP開幕戦、スペインGPを観ながら僕の頭に去来していたのはそんなセリフだった。
序盤数周目にして40秒台中盤に達そうかという先頭集団──セテ・ジベルナウヴァレンティーノ・ロッシニッキー・ヘイデン、そしてマルコ・メランドリ──のラップタイムは、5番手という驚くべきポジションで疾走し続ける中野真矢の活躍をもかき消すかのように、後方のライダーたちから表彰台の可能性をみるみる奪っていく。
──最初から速いものが、速いのだ。そんな当たり前の光景が目の前に広がる。マシンの仕上がり、肉体のコンディション、ラップタイム、グリッドポジション──すべてを隙なく揃えてファースト・グリッドを獲得していたライダーたちが、その力を余すところなくコースに叩きつけて周回を重ねていく。どこかに瑕疵を抱えたままの劣後のライダーたちは、いかに“闘争心”を抱こうとも悲しいかなそこに達することはできない。
10周目、トップグループと第2集団との差はすでに11秒にかかろうとしていた。ポイント圏外の位置から切々と追い上げるマックス・ビアッジや、中盤にくらいつく玉田誠、また台風の目かと思われたジョン・ホプキンスが驚くべき追い上げを見せてくれるのではないかという期待は、あっけなく潰えていく。


様々な乗り方を許容しつつ、油断すると潔く“破綻”した2ストローク500ccのマシンと違って、4ストローク990ccのMotoGP時代では、ライダーとマシンコントロールの間にはかえって高次のバランスが要求されているような気がしてならない。あえて言えば、マシンと人間の間に「正解」のようなものがあるとでもいうべきだろうか。
水をライダーとマシンとの関係とすれば、MotoGPマシンは水をこぼさず走った方が確実に速いタイプに見える。なりふり構わずしぶきを飛ばしながら走ることもできるが、それは必ず「非効率」となって結果に跳ね返り、現在のレーストラックではそのわずかな数値上のロスが完全に雌雄を決する。
水がもっともこぼれない、効率のいい「一致点」は、2ストローク時代のように細くはないが、そのかわり厳格だ。そこから少しでもずれていると、結果は驚くほど異なっていく。その「一致点」を冷静に見つけ出せた者が、4ストローク時代の覇者にもっとも近い場所にいるように見えるのである。
だから「ライバルはいない」と常に公言し「自分を超えることだけが目標だ」と言い放ってシーズンオフ中にひたすらマシンとのマッチングとラップタイムを追い求めてきたセテ・ジベルナウのようなライダーが先陣を切っているのは、しごくまっとうな光景に見えた。求道的なまでに自分を追い込む32歳の素養あるスペイン人は、ひたすらマシンとコースと自分のみを視野に入れ、走り続ける。これまで数ヶ月追い求めてきたマシンとの「一致点」をいかにはずれずに走りきるかということの先にこそ、勝利がある。ジベルナウの姿はそんなふうに映った。

レース中、最初にコップの水をこぼしたのはニッキー・ヘイデンだった。5周目でロッシに抜かれたもののきっちりと表彰台圏内をキープしてきた若きアメリカ人は、19週目の最終区間でフロントをプッシュしすぎ、グラベルに消えた。上位二人に追いつこうとする彼の“闘志”は(これまでの2年間と同じように)マシンとの一致点とずれてしまい、なんとか再始動したワークスホンダのRCVはその役目を全うすることなく翌周コースから去った。
後方では中野、バロス、ベイリス、玉田らのヒートが繰り広げられ、ビアッジが悲壮な追い上げをして第2集団に食い入ろうとする。そして20周を過ぎたところで出現したバックマーカー──ピット通過ペナルティ含め二度もコースを離れながらしぶとくチェッカーをうけることになるルーベン・チャウス、そしてエリソン、バッタイーニ──らが、レースが終わりに近づいていることを告げる。
ロッシとジベルナウの差はコンマ5秒から8秒。誰もが、残り2〜3周で“魔の時間”──これまでのロッシの走りが“様子見”だったことを思い知らされる時──が来ることを予感していたに違いない。リアタイヤを暴れさせ、マシンを少しでも早く立てようと大柄なラインを取り続けるロッシとM1には、まだ水をこぼさないだけの余力があるのか?──答えはもちろん、イエスだろう。
果たせるかな、ロッシは25周目でセテをかわす。「ああ、またか──」絶望しながらも、コンマ3秒から4秒の差にまだ希望をつなぐ。
そして最終ラップ──ヘアピンでのロッシがフロントを暴れさせ、その隙をジベルナウが突く。04シーズンのザクセン以来の迫力を持つマッチレースに、興奮も最高潮だ。
白熱は続いた。アンヘル・ニエトコーナーを挟む高速セクションで、再びロッシが、そしてジベルナウが順位を入れ替える。“水は?コップの水は?”僕は思わずにはいられない。ここまでくれば、どちらがどちらを凌駕するということではない。どちらかが水をこぼす時──それはすなわち、取り返しのつかないミスを犯すときなのだ。

議論かまびすしい接触騒動の後、表彰台の上ですらひたすら内省し続けるジベルナウを見ながら、僕はレースの難しさについて考えていた。彼はベストを尽くしたに違いない。水をこぼさないやり方、自分にとってもっとも速い走り方で。そしてそれは間違いなく、このレースが終わるまではコース上の誰よりも速かった走り方だった。
そう、ジベルナウはそれに固執したのかもしれない。あくまで“タイムで”ロッシより速ければ、彼よりも早くチェッカーをうけられるはずだ。だから、彼は完全なレコードラインで最終コーナーに進入した。ロッシをブロックしてみようという発想はなく、彼がそこで予想外のラインをとることも考えなかった──あるいは、考えないようにしていた。彼はあくまで“そこに相手がいないかのように”最終コーナーを駆け抜けることを選んだのである。
ロッシのラインが果たして冷静なインの攻略といえるものだったのか、そしてジベルナウ接触しなかった場合、数秒後にどのようなラインとなってコーナーを抜ける腹積もりだったのか、それはわからない。しかしレースは人間劇であり、単なるタイムアタックではない。今回は、あくまで「敵は自分」としたジベルナウが「勝負というのは相手をやっつけること」というシンプルさから目を背けなかったロッシに破れた形なのかもしれない。
逆転した自国のエースの運命をまだ受け入れていないスペインの観客による強烈なブーイングにさらされながら、表彰台でかつてないほどすがすがしい笑顔を見せていたロッシ。彼は「レースってのは勝つもんだぜ」とでも言っているように見えた──。

 ラストチャンス

いよいよ開幕まで後一日と迫った2005年シーズンMotoGP。僕なりに来るべきシーズンを占うとすれば──おっと、そんなことがまったくもってばかばかしくなってしまったのが昨シーズンの(もっといえば緒戦南アフリカGPの)教訓だ(苦笑)。しかしながら頭から離れないのは、このシーズン、自らの“キャリア”を賭けて挑んでくるベテランライダーたちがいかに多いかということだ。
若く成長途中のライダーにとっては、ある意味ワールドチャンピオンは「通過点」であり、初めにくぐるべきゲートのようなものだ。なぜなら、それから何年にも亘って自分の“治世”が続き、「チャンピオンとして生きる」という第2の渡世が待っている可能性もあるからである(まさに今のヴァレンティーノ・ロッシのように)。
しかし、ベテランと言われる歳まで惜しくも王座に手が届かなかった練達のライダーたちに、シンプルに見てそのような可能性はあまりないだろう。経験が主立った武器になりつつある彼らにとって、ワールドチャンピオンは長きに亘った自らのレース人生を完成させるためにくぐる“最後のゲート”なのだ。
その筆頭は、もちろんワークスホンダの席を射止めた33歳のマックス・ビアッジだ。4年連続250cc王者の肩書きを持ちながら最高峰クラスを制覇できずにいる彼のチャンピオン獲得には、常に“悲願の”という枕詞がついて回る。またリオGPが中止が発表された3月初頭、自ら「これが僕の最後のGPになるかもしれなかったのに残念だ」というコメントを残した最大排気量クラスで最長のキャリア(14年)を持つアレックス・バロスにとっても、今年は意味深いシーズンになるだろう。
打倒ロッシの筆頭として語られるセテ・ジベルナウは32歳と少しばかり若いとはいえ、今年チャンピオンをとれなかったとなれば「常にランキング2位のライダー」などとアスリートとしてもっともありがたくない評判を頂戴してしまう可能性がある。かつてのモチベーションを失ったのではないかととりざたされることもある元チャンピオンケニー・ロバーツ(31)はともかくとして、もはや“スペインの杉様”化しつつあるカルロス・チェカ(32)、そしてさりげなくグリッド最高齢(36歳)のトロイ・ベイリスなど、キャリア的にはプッシャーゲーム*1の最下段にいると思われてもおかしくないライダーが多い。
実際、30代以上のライダーがグリッドの40%を占める(21人中9人)というのは、同じ世界最高峰クラスのF1(25%/20人中5人)と比べるとかなり奇妙な光景に見えるかもしれない。これは二輪と四輪の「選手層の厚さ」の問題なのか?それとも、二輪は四輪よりも経験が勝敗を決する確率が多いということなのだろうか?(後者の方がバイク乗りとしては嬉しい気がするが)


事実、数年のうちにMotoGPクラスの「新旧世代交代」が起こることは、物理的な問題として間違いない。(“精神的支柱”マクウィリアムスが去った今となっては)今いるベテランライダーたちが2年後、3年後もグリッドを埋めていると期待させる要素はあまりない。
しかし、その動きは思ったよりも緩慢だ。実力・意欲ともに最高排気量クラスへの準備が整ったライダーはいくらでもいるように見えながら、各チーム/メーカーはそうした若手の確変に期待したい一方で、ベテランに頼らざるを得ない事情を抱えているように見える。
その理由の一つはもちろん、スポンサーだ。近年とみにF1化しているといわれるMotoGPで、ライダーがもはや実力のみでシートをゲットすることが難しいことはよくとりざたされる。キャリアに富み、一定の人気を保ち、強力な個人スポンサーまで携えたベテランたちは、資金難にあえぐチームや、スポンサーの説得に頭を痛めるワークスチームにとっても極めて好都合な選択肢だろう。彼らに対して、いくつかの表彰台を獲得したものの、まだ評価が確定せず世界的な知名度も低い若手ライダーが太刀打ちするのは、それほど容易とは言えない。
'04シーズンにフォルチュナがメランドリよりチェカを選んだのもスペイン国内のチェカ人気のせいだというし、キャメルを獲得すると言われたスズキワークスが再び独力で戦うことになったのも、若いジョン・ホプキンスの放出を求められたからだと聞く。またレプソルやテレフォニカ・モビスター、マルボロといったメガスポンサーがチームのライダー選びに強い影響力と持っているというのはもはや公然の事実であるく*2。この点で、何の障害もなく今後MotoGPクラスに上がってくると思える若手ライダーは、テレフォニカに手厚い支援を受けるダニエル・ペドロサくらいだろう。
二つ目の理由は、MotoGPマシンの特殊性だ。現在のMotoGPクラスは、かつての250ccから500ccへのように2ストローク同士でステップアップより遥かに困難を伴うことは、ライダーたちのコメントや成績から垣間見ることができる(エリアスよ!エリアスよ!)。
そうしてステップアップしてきたライダーたちが苦戦する中で、各チームは4ストロークに乗り慣れたWSBKやBSBからスイッチするライダーに手っ取り早く可能性を求めた。しかしそれが考えているほどうまく行かなかったのはここ2年のリザルトが証明している。
幸い、2ストロークの専用レーシングマシンを使う250ccクラスは昨年前半にMSMA(モーターサイクルスポーツ製造業者協会)によって2006年以降も存続すること(つまりメーカーがマシンを供給し続けるということ)が決定された。しかし、それによって2ストローク出身ライダーたちの4ストロークへの順応性が早くなるわけではなく、それが故加藤大治郎やロッシを見てもわかるように大いに資質の問題であるという状況は変わらない。
いずれにせよ、今の状況が続く限り125cc・250ccからステップアップしてくる新人ライダーにスポンサーやチームが向ける目は、期待と不安どっちつかずの微妙なものになるに違いない。世界グランプリが完全に4ストロークの世界となり、かつてのように低排気量クラスから玉突き的に世代交代という状況になるのは、まだまだ遠い先の話だろう*3

MotoGPクラスが開設されて4年目。誰がロッシを破るのか?という疑問に加えて、そろそろ「次世代のスーパールーキーは誰だ?」という視点も増えてくるに違いない。第2のスペンサー(あるいはどうしても欲しいホンダ版平忠彦…?)を夢見てワークスホンダが根気よく育てるニッキー・ヘイデンか、スズキがその命運を賭すホプキンスか。はたまたRCVとのマッチングに期待が高まるメランドリか、“火の玉”シェーン・バーン、“股擦れ”チャウス、“ドン亀”エリアス(今はね)、そして実は隠れた“色男”ジェームズ・エリソンか。そしてもちろん世界的に打倒ロッシを期待されている玉田誠──。
己のキャリアとプライドをかけて今シーズンに臨んでくるビアッジやエドワーズらベテランが見せる熟達の走りと駆け引き、そしてそれに風穴を開けるように怖い物知らずで直情的な若き挑戦者たちの走り。どちらがより王座に近いのか──それは僕にはわからない。
しかし、僕は見たいのだ──「どけ、小僧!あんまりおイタが過ぎるとどうなるか見せてやる!」「どいてろ、オッサン!怖いのかよ!」そんなまるでマンガみたいな“ヘルメットの内側”が垣間見られる、熱い新旧対決のレースを。そして、そんな激しい争いに“巻き込まれ”、柄になくペースを崩してしまうロッシを。
そんなことを夢想しながら、目の前に迫った開幕を待つことにしよう。

いや一応宣言しておいた方がいいだろうな。今年僕が一番応援するのはビアッジです。でもセテより本当に強いかと聞かれたら答えに詰まります(笑)。そして、ホッパーが一戦でも勝っちゃったらもうメロメロです。ニッキーにも確変して欲しいです。玉田の真の実力も見たいです。あーもうみんな頑張れ(←オイ)。

*1:コイン落とし。ゲーセンのメダルゲームで、段々になったトレイが動いてその上のコインを押し出していくヤツ。僕はあれの必勝法が「百枚単位でコインを買って一気に投入して“流れ”をつくり、最終的に黒字を得ること」だと知って以来、空しくてやらなくなった。あの一枚一枚入れて「あ〜」とか言ってる感覚がいいんじゃないか(笑)。

*2:このあたりも『Cycle Sounds』誌2月号のマイケル・スコットの記事で触れられている。なんでもレプソルは、セテをテレフォニカごとワークスに入れようとしたホンダに「全資金をテレフォニカが肩代わり」という条件を突きつけたらしい。

*3:MotoGPクラスへの登竜門として新たに600ccの市販ロードスポーツマシンをベースにしたレースを組み込むことも検討されたらしいが、市販車ベースという点が純粋なレーシングマシンとして250ccの代わりになりえない点と、何よりフラミニ・グループの運営するスーパースポーツ世界選手権と政治的に大いにバッティングするため、現実的ではないらしい。

 スピード狂のアメリカ人

Jet2005-03-11

まず酒を用意してほしい。ビール、日本酒、ウィスキー、焼酎……あなたが美味しく飲めるものならなんでもいい。もし下戸ならば仕方ないから、たばこのみであれば新品のパックを用意。それも無いなら浮世を忘れる高級チョコレートを傍らに置くといい──DVDをトレイに放り込むのは、それからだ。
そう、酒でも飲んでれば最高に楽しいバカ映画、それ以上でもそれ以下でもない。素面でまじめにコイツを観てはいけない*1スーパースポーツバイクが山と登場するので話題を集めた映画トルク [DVD]を鑑賞しての、それが僕の最大のアドバイスである(笑)。
カート・ラッセルをさらにB級臭くしたようなマーティン・ヘンダーソン演じる主人公は、麻薬取引に巻き込まれてトライアンフデイトナ955を駆るアイス・キューブ(!)やハーレーのビッグツイン軍団と丁々発止のスピード劇を繰り広げる。主人公のRSVミッレを始め、RC51、CBR929、YZF-R1にいたるまで、スーパースポーツがこれでもかとスタント走行を繰り広げる様は、スポーツバイク乗りにとっては充分愉しめるシークエンスだ(ラフロードでのスタントシーンで、カウルの下が全部オフロードのシャシーにすり替わっていたとしても)。
劇中のバイク乗りたちは、まあ分かりやすくギャングである。それぞれ縄張り(峠のことだ!)を持ち、そこを“荒らす”他のバイク乗りは容赦しない。銃をカチャカチャ言わせ、顔を合わせれば殴り合い、あげくに人殺しまでやってのける。スポーツバイク乗りといえどアメリカ国内での認識はヘルス・エンジェルスと変わらないのではないか、と思ってしまう。悪役となるハーレー軍団と主人公たちのSSチームの争いは、さしずめ『さらば青春の光 [DVD]*2のモッズとロッカーズのようだ。
彼らが集まるストリート・フェアのシーンでは、ナンパあり喧嘩ありの中でウィリー合戦やバーンアウトが繰り広げられて、完全なお祭り騒ぎだ。しかしその様は、マナーだ安全性だと妙に真面目な最近の国内バイクシーンに比べれば、どことなく自由──バイクに乗り出した頃に感じたあの自由──を思い出させてくれる。そう、80年代の夏の鈴鹿は、まさにこんな雰囲気だったのだろう(いや、暴力は別だけど)。


とはいえ、『ミシェル・バイヨン』を越えたと言って過言ではないバカモーター映画さ加減はともかくとしても、この映画はアメリカにおけるモーターサイクルシーンと、彼らのバイクに対する国民性を垣間見させてくれる。
彼らが“攻める”のは岩山だらけの中西部を縫う中高速ワインディング。CBR-RRなどより1100XXやGSX1300Rが似合いそうな風景だ。そこにしても周囲はランブリング・ウィード*3の転がる砂漠、路面はロサイル・サーキットもかくやというくらい砂だらけのように見える。
そこで彼らは、コーナリングテクニックなどそこのけでただひたすら「スピード」を追い求め、ケンカ走りを繰り広げる。アメリカでスポーツバイクが売れないのは当然、“峠”がないからだ──と聞いたことがあるが、なるほどこんな環境ではスピードクルーザーの方が気持ち良いかもしれない。
そう、環境のなせる業か、彼らにとってバイクの魅力はやはりスピードであり、いかに路面にパワーをたたきつけるか、なのだ。映画の終盤には10秒で300Km/hに達するという改造モンスターバイク「Y2K」まで登場して、荒唐無稽な飛ばしっぷりでクライマックスをかっさらう。かつてヤマハがV-MAXを開発したときに、アメリカの販社に「馬力はどれくらいにしとく?」と訊いたら「出せるだけ」と答えが返ってきたという逸話もうなずける。
それにしても、アメリカ人って……と僕は見終わって思う。パワー、迫力、ケンカ走り──こんな精神性なら、インディカー・レースや迫力のスライドが身上のAMAダートトラックが人気なわけだ。すると、どうしてもGPを走るアメリカン・ライダーに思いをはせずにはいられない。
ロバーツ、ヘイデン、ホプキンス、エドワーズ──彼らも、やはり心の奥にはこんなノリがあるのだろうか?たしかにヘイデンやホッパーの“ファイターっぷり”は見ていて面白いが、そいつで激動期の今のGPシーンを勝ち抜けるかといったら、それは微妙なのだろうなあ、と思ってしまうのである。

ともあれ、この映画、前述のようにゆる〜く愉しむのがお行儀である。ストーリーには期待しなくていいが(笑)、最近流行のコマの「中抜き」*4やデジタル処理による高速クローズアップ、マトリックスめいたスローモーションが充分目を楽しませてくれる。
監督のジョセフ・カーンは、MTV出身らしく思いきりハイコントラストな画面を作り出し、背後でずっと“裏拍”が刻まれているようにテンポよくスタイリッシュな編集がテンションを維持してくれる。もうすぐシーズンイン、あと少しの我慢の時をこんな映画で過ごしてみるのも悪くはない。
──そうそう、ヘルメットがHJCだらけだったなあ。アメリカでシェアNo.1*5というのは伊達でないらしい。

*1:もちろんそれは「こういう映画には映画なりの愉しみ方がある」という褒め言葉だ。

*2:The Whoのアルバム『四重人格』を元にした青春映画。デコレートされたヴェスパを駆るモッズの少年と、トライアンフやBSAを駆るロッカーズの対立を背景にした珠玉の「出口無し」映画である。

*3:西部劇などでころがっているぐしゃぐしゃっとした枯れ草。

*4:動きを素早く見せるためにアクションのコマの中間を抜くやり方を、僕は勝手にこう呼んでいる。たっぷり味わいたければ、ジョン・ウー監督の『ウインドトーカーズ [DVD]』なんて見ればいやというほど楽しめる。

*5:新進の韓国ヘルメットメーカー。『RIDERS CLUB』誌4月号によれば、米国内シェアはロード用モデルで45%、オフ用で56%。国内用品店でも結構見かけるようになってきた。何せ安い。