25ポイントの値段

もはやコントロールタワーは、レースを止められない──“コースのあちこちで振られる白旗は警告ではなく、オフィシャルがレースを中断するという判断を放棄した“降参”の合図だ”──こんなニュアンスの一齣マンガが乗ったのは、Crash.netだ。
それもそのはず、レインコンディションを宣言し、タイヤどころか信じがたいことにマシンの交換まで許可する(燃料規定はどうなってるんだろう?)というこの新レギュレーションを初適用すべく高らかに振られたホワイト・フラッグは、レーストラック上のあらゆるライダー──WCMのフランコ・バッタイーニを除く──によって終始無視され続けたのだから。
ところどころ雨の篠つく難しいコンディションとなった先日のポルトガルGP。およそレースというものにおいて「トップを走る損をする」などという状況はあまり考えられないが、第一戦スペインGPの雪辱を胸にトップを駆け続けるチャンピオン候補セテ・ジベルナウは、はからずもその身をもって後続のライダーに危険を知らせ、グラベルへ沈んでいくことになる。
雨は、レースが7周を過ぎた頃からライダーのシールドや僕たちがかじりつくテレビカメラのレンズを濡らし始めた。2年ぶりにまともな活躍を見せようとしているポールシッターのアレックス・バロスが、ポルトガルは彼の父親の母国だ”という内容を壊れたトーキー人形のように繰り返すアナウンサーの実況を背景に、つかずはなれずでジベルナウを追う。
後方では、ヴァレンティーノ・ロッシマックス・ビアッジが競り合いを繰り広げる。ロッシVSジベルナウという新時代の対立構図も悪くはないが、この二人のぶつかり合いは積年の大怨、年季が違う(笑)。しばらく見ることのなかった旧敵同士の対決に画面が引き締まり、見ている方も力が入る。
しかし、“呪い”としか言えない謎のチャタリングに悩まされ続けるビアッジは結局ロッシを抜くことができず、先行するロッシもバロスとの差を詰めることのできないまま、トップとの間は絶望的に開いていく。そして17周目の冒頭──モビスター・ホンダのエースライダーが1コーナーでスリップダウンし、あっさりとコースを去った。


レース中、レイン用のセカンドマシンを用意するピットクルーの姿がカメラに繰り返し映し出されていたにもかかわらず、ライダーたちは誰もピットインしようとはしなかった。
それはもちろんコースの区間によって雨量が──そもそも降っているかさえも──異なる不安定なコンディションのせいだが、このレギュレーションの初適用によって、今後ライダーはアクセルとブレーキ、クラッチを操作する以外にも重要な仕事を自分でこなさなくてはならないことが明らかになった。
いつピットインするのか?そもそもこの雨は続くのか(レインタイヤを履いてドライ路面を走ることになるのは、その逆と同じくらい悲惨だろう)?どこがどれくらい濡れているのか──?ライダーに知りえない材料は多く、それでも彼らは千里眼的に全体状況について決断しなくてはならない。しかし当然ながら、ライダーがマシンの上からコース全体のコンディションを知り、対処することは不可能だろう。いきおいそこには“賭け”のような要素が生じてくることになる。
セテ・ジベルナウ自身も後のインタビューで「マーシャルが振る白旗だけがコースのコンディションを知る手がかりだった。旗が振られていれば減速し、なければ加速した」と言っている。好機をとらえて優勝を飾ったアレックス・バロスも、ある記者に「実はセテが転倒したので1コーナーが危ないとわかって減速した」と打ち明けたという。

ライダーがコースコンディションを知り、少しでも確実に対処するためにはどうすればいいのだろう?EUROSPORT*1の解説者トニー・ムーディは、crash.netのコラム「Moody Blues」の中で極めて明快な提案をしている──無線をつければいい、というのだ。サーキット全体はカバーできないにしても、ピットが無線で路面の状況を詳しくライダーに伝えることができれば、少なくとも物言わぬマーシャルの白旗よりは役に立つ、というわけだ。
なんだいつの間に、という気がするが、現在のFIMの規定ではライダーとピット上の一人(チーフメカニック)の間に限り、無線交信が許可されている。確かに、プロトンKRに関する記事の中で同チームが無線交信を導入しているという内容を見かけた記憶があるが*2、あまり普及しているという話は聞かない。
ワークス含め、大手のチームがこれを使用しない最大の理由はコストだという。ムーディ氏によれば、ライダーとの無線交信に必要なセット一式の値段は100,000ユーロ(約1,400万円)。彼はこの投資で25ポイントとランキング暫定2位を確保できるのならば、セテ・ジベルナウはポケットマネーからでもそれを払ったに違いない、という。
確かに、四輪やF1の世界ではピットとの無線交信は常識だ。聞けばM・シューマッハーなどはレース中でもタイヤやマシンの挙動を逐一細かく報告してくるのだという。F1の戦略的なピットインでも(それが面白いかどうかは別として)この無線による緊密なコミュニケーションが大きな役割を果たしているのだろうから、GPの世界でもそれが役に立たないという理由はない。
またこれまで、RC211Vのよく知られた「3段階切り替えボタン」*3に代表されるような「エレクトロニクス制御をライダー側が切り替える」仕組みが「間違った使い方」によってトラブルを引き起こすという例もいくつか耳にしたことがある。無線を使えば、そうした問題もピットからの的確な指示によって解決できるだろう。
しかし導入を阻むもう一つの問題は、やはりモーターサイクルというものの特性に関係している。多くのライダーが、走行中に無線交信によって注意をそらされるのを好まないというのだ。確かに、全身を激しく使ってコントロールする二輪の特性上、飛び込んできた音声に気を取られてほんの一瞬反応が遅れただけで、致命的なアクシデントを生みかねない。四輪も全身の筋肉と集中力を要することに変わりはないが、「車でドライブしながら考え事はできるが、バイクに乗っているとなぜか同じようにはできない」というのと似たようなものなのかもしれない。
受信はピットクルー全員に許されているというが、あまりありがたくない想像もできる。GPライダーと僕のような一般ライダーを同じく扱うのも問題だが、峠などを“攻めて”いるとコーナー前の激しいブレーキングや素早い切り返しで「うっ」とかうめき声が出ることはよくある。レース中、シーンとした各ピットのスピーカーやヘッドセットからライダーの「ウッ……ウッ……ンッ……」とかって声だけが延々と漏れ続けていたら、それはそれで怖いのではなかろうか(笑)。
いずれにせよ、ムーディ氏の言うようにグレシーニのチームこそこうした技術の導入にはふさわしいというのは一理ある話だ。何といっても、通信技術の会社がスポンサーなのだから。

(おまけ)
無線交信が可能になったら──。
ポール・デニング(スズキのチームメカニック)がマイクを取る。
「ケニー、どんどん順位が落ちてるぞ」
『畜生、ストレートでパワーが全然足りないんだよGSV(こいつ)は!』
「確かに、ストレートでラップごとに車速が落ちてます」メカニックが言う。
「ケニー、トラクションを切り替えてみるんだ」
『とっくにやってるさ!新型でちったあマシになったかと思ったのに、何も変わってやしねえ!』
ポールに何か耳打ちするピットスタッフ。うなずくポール。
「ケニー、よく聞け。スクリーンの右横に小さなボタンがあるのがわかるか」
『なに?これか?“S”って書いてあるヤツか?』
「そうだ、それだ。次にメインストレートへ出たら、それを3秒間押すんだ」
『こりゃ何だ?』
「いいから押せ」
『なんっだってんだ、まったく』カチッ…。
ゴオオオォォォォォ
『お!え?ってちょっと…待っ、熱っ熱っおわおうわああああああぁぁぁすげえええええええ……』
遠ざかるケニーの声。大歓声。
──何が起こったんだろう(笑)。*4

*1:欧州最大のスポーツ放送局。

*2:他にもプロトンKRに関しては青木宣篤の公式サイトの記事で、GPSを利用した走行ラインの計測システムなどが紹介されていた。本当に実用化したのか知らないが、このあたりにチームの性格が見て取れる。

*3:RCVの左ハンドルの付け根に並んでいる1〜3の番号が振られたスイッチ。状況に応じてトラクションを切り替えるのだと解説されている。

*4:念のため言っておきますが、僕は隠れスズキ党です(笑)。