この空のどこかに

通勤に使ったばっかりに…
火曜日、先日の「ロックオンR」に刺激をうけてどうしてもバイクを動かしたくて仕方なくなり、職場までバイクで行くことにした。ルートは面白くもない幹線道路がほとんどだし実際は電車で行ったほうが速いしでいつもは敬遠しているのだが、ここ10日ほどエンジンをかけていない罪滅ぼしもあり、CBR600RRのカバーを外し、ほこりを払う。
ろくなコーナー(というよりカーブ)もない道を延々30Km。されど久しぶりの戦闘的なポジションと胸躍る高回転のサウンドを愉しみながら、仕事場へ乗りつけていつもどおりロックをかける。
そして“いつもどおり”なのはここまでだった。
夜、仕事を終えてこっそりとライディングジャケットやオーバーパンツに着替え、意気揚々とビルを出た僕はいつものようにポケットを探り…そして気づいた。鍵がない。イモビライザーや各種ロックの鍵をまとめたリングはあるのだが、そこから外せるようになっているメインキーがどこにも見当たらない。
上から下まですべてのポケットをひっくり返す。ない。ヘルメットの中にグローブと一緒に放り込む癖があるので、手にしたヘルメットを内装まで剥がさんばかりに探る。ない。ビルの中に戻り、エレベーターホールでバックパックを隅々までひっくり返す。ない。
ビルの守衛さんに照れ笑いをしながら自席に戻り、あらためてすべての荷物と机周りを点検するが、もちろん鍵は見つからない。今日は作業が立て込んでずっと席に詰めっぱなしで、トイレに行く以外どこにも出ていないから、どこかで落としたとも思えない。ここまでくれば、バイクに乗る人ならば残された可能性が一つしかないことに気づくだろう。
……僕は、バイク本体にキーを差しっぱなしのまま放置したに違いないのだ。


誰が、そして何のために?
実は、経験がないわけではない。昔から僕はタンデムシートを開けるためにシートレール下部のリッドに鍵を差した後そのまま忘れてしまう、という癖があったのだ。昼休みに気づいて慌てて取りに行ったことすらある。今回も、タンデムシート下に収納されているU字ロックを取り出してカバーを閉めた後、鍵を回収し忘れたに決まっているのだ。
バイクの周囲を探し回っても、鍵なんか落ちていない。何者かがいたずらか、もっとあくどい意図をもって抜きとり、持ち去ったに違いないのだ。
僕の仕事場の周りは一見純粋なビジネス街に見えるが、実は一皮むけばお世辞にも治安がいいとは言えない風俗街。しかもここ数年、行き交う人々からどんどん日本語が聞かれなくなっていくという時代の最先端を行く街なのだ。個人のいたずらだけじゃなく、窃盗団のような集団の影すら胸を去来する。
他人のバイクの鍵を持って行っていったいどうしようというのか。…決まっている。盗むのだ。オーナーが困って一晩放置したところを夜中にエンジンをかけて乗り去るつもりなのか、それともナンバーを控えておいていずれ僕の家にトラックがやって来てドナドナされ、東南アジアへと旅立つのか…。
猜疑心が生まれ出すときりがない。とにかくバイクを持って帰ることが第一と、急いで電車に飛び乗ってスペアキーを取りに向かう。
純正のアラームイモビライザーをつけておいたことをこれほどありがたいと思ったことはない。メインキーがあっても、別体のリモコンでそちらを解除しないとエンジンが始動しないからだ。往復二時間半、戻ってきたときにもCBRは無事に夜の街に佇んでいた。

HISS交換か?
帰り道、この後の解決策をいろいろと考える。メインキーとは別のイモビライザーがあることを考えれば、このまま暮らしても問題ないようにも思える。しかし、万が一イモビをかけわすれたときには完全に無防備だ。キーに埋め込まれたチップ情報が一致しないとどうやっても点火しないホンダ自慢の盗難防止装置HISSも、そのチップ入りキーごと盗られていたら意味がない。それより何より、この空の下のどこかに僕のバイクの完全なキーセットを持っている人間がいるなんてなんとも不気味だし、許しがたい。
となると気になるのは件のHISSのことだ。普通のバイクならキーシリンダー三種類(マスターシリンダー、フューエルリッド、シートカバー)を交換することになるが、HISS搭載車の場合には鍵からの信号を受信するキーシリンダー上部のレシーバーユニットと、それを処理するための内蔵コンピュータも関係してくるはずだ。それらをすべて交換するとなれば、それはもう生易しい値段で済むとは思えない……。
後にネットで調べると、HISSキーの紛失では8万かかるという情報と、10万という話、そして最悪なのは20万円という談も転がっている。
ああ、このあまりにも高い授業料。実際どうでるのか、ショップで見積もりを取るまで生きた心地がしないのであった。