That's All Folks!

Jet2004-07-11

終わりの始まり
事故に巻き込まれて気を失い、病院で目を覚まして「ここはいったいどこですか?」──そんなのはよく聞く話だ。しかし別に気を失っていなくたって、自分のいる病院がどこかなんて皆目見当がつかない。なにせ、救急車の中ってのは外が全く見えないのだから。
8月からは平日に休みをとるってのはほとんど不可能になるな──仕事のスケジュールを睨みつけながらそう考えた僕は、ホワイトボードに休暇の印をつけてそそくさと奥多摩へ出かけた。空いている平日を選んで、じっくりサスペンションをいじり倒そうと思ったからだ。
前回のセッティングでフロントの伸び側減衰を弱めてコーナーに突っ込みやすくなったものの、奥の方でわずかに踏ん張りが足りない。ならばフロントを戻すのでなく、リアを少し堅くしてやればいいのではないか。そもそもずっと前から気になっていた、リアのイニシャルを少し抜く、というのも試してみよう──。しかしそんな僕の“セッティング”計画は、家を出て一時間で不要なものになった。
青梅を過ぎて片側一車線になり、だんだん緑深くなる青梅街道。前をゆるゆると走る2台の一般車をパスした僕は、そのせいで出過ぎた速度を落としながら次の右コーナーを抜ける。目の前に拡がる緩やかな登り勾配の直線。速度を保とうとスロットルを握る手に力を込めようとしたその時、50mほど先の左手から、白いトラックが首を突き出した。
──動きが速すぎる。トラックは見る見るうちに姿を現し、こちら側へ首を向ける。フルブレーキングしながら、すでに頭が“避けきれない”と判断している。僕は、ロック覚悟で直進するよりも、空いている対向車線に回避することを選び、黄線をまたぐ方向へステアリングを切る。しかし信じられないことに、トラックはそのまま右折を続け、長い車体で僕の目の前を完全に塞いでしまった。僕と600RRは、そのままトラックの右前部に正面から激突した。
最初に接触したのは頭と左肩だ。ヘルメットの頂点から、帽体全体に衝撃がパルスのように伝わるのがわかる。肩へのショックはツナギの肩パットが受け止めた。わかったのはそこまでで、次の瞬間強い衝撃とともに僕はアスファルトに横たわっていた。


Rider OK
えー、これは本当にぶつかったんだな──数秒後、現実感を取り戻した僕は、ゆっくりと上体を起こした。最初に頭の中を閃光のように走ったのは「よかった。この装備で本当によかった」という言葉だった。頭からつま先までレーシング装備、プロテクターの塊であるおかげで、目立った外傷がないのが一瞬で判断できたからだ。
それがわかると、頭の中に次の指令が鳴り響いた。「コースの外へ出ろ!」(笑)──僕はよろよろと起き上がると、ガードレールをまたいで歩道へ転がりこみ、そこでへたり込んだ。顔を上げると、早くも付近の住民がわらわらと集まり、トラックの乗員が青い顔をして後続の車を誘導している。「大丈夫か?」声をかけてくる人がいる。僕は軽く手を上げると、ぐったりとしたようにうつむいた。そう、大丈夫──自分でも驚くほど大丈夫なのだ。しかし少しだけ、少しだけ時間が必要だ。
朝の8時にしては、ずいぶん人がいるな──僕はそんなことを思いながら、まず手足に震えがないか確認する。怪我ではなく、精神の動揺を知るためだ。舌が膨らんだ感触がないか確かめる。問題ない。どうやらパニックには陥っていないようだ。
股関節から強い痛みが立ち上がってくる。おそらくタンクに強打したためだ。SIDIのハードブーツに守られた足首は問題ない。両手の指に鋭く傷む場所があるが、動きに問題ない。これもカーボンプロテクターのあるレーシンググローブでなかったら、トラックとの間に挟んで骨折くらいはしていただろう。
そこで改めてガードレールの向こうに目をやった僕は愕然とした。まるでグラウンド・ゼロだ。横たわったCBRの周りに、無数の部品やコードやカウルの破片が半径数メートルにわたって散らばっている。この現場だけ見たら、死亡事故だと思われてもおかしくないだろう。
人身事故を起こして動揺し、無意味に周囲の破片を回収しているドライバーを目にしたことがあるが、自分も立ち上がって後片付や事故処理に参加したいという強い衝動にかられる。「お前は何もするな」──強い意志でそれを押しとどめ、股関節の痛みに身を任せてぐったりしてみる。駆けつけた警官に携帯電話の番号を告げ、救急救命の資格があるという一般人の男性に体の具合を説明しているうちに、救急車が到着した。救急隊員がレーシングブーツの脱がせにくさとツナギの背中の“こぶ”に驚きながら、僕をストレッチャーに乗せる。哀れなCBRの方をなるべく見ないようにして、僕はその場から運び去られた。

ひとりぼっちの反省会
ひんやりと空調の効いた救急車の中は、あまりにも快適でそのまま寝込んでしまいそうだ。僕が前週に奥多摩で目撃したバイク3台の複合事故の被害者も運んだのだという隊員の人と道中話をしながら、僕の頭は別のことを考え続けていた。──なぜ?なぜ事故を?
途中まではあった“回避しよう”という意志がブレーキを甘くした可能性はあるか?いや、ブレーキはフロントロックしない範囲でできる限り使った(実際現場には長いブラックマークが残されていた)。スピードは?制限速度ではなかったが、驚くほど出ているわけではなかった(実際警察の調書には50Km/hと記録された)。最高気温35度が予想される日で、暑さで判断が遅れたか?しかし朝はそれほど暑くはなかった。問題は視野か?危険予測の意識か?
バイクはテクニックの乗り物だけに、自分を責める意識ばかりが先に立つ。あとで警察で調書を作って初めて、自分が“被害者”なのだと知るのだが、目の前で平身低頭する“加害者”の人に怒る気持ちにもなれず(過失割合は別だが)、どう対応していいかわからない。
股関節の打撲と首を多少ひねった以外は、体のあちこちの筋肉が痛むだけ、という不死鳥伝説のような結果を得てそのまま病院を出た僕は(あとで右膝も痛めていたことに気づいたのだが)、迎えに来てくれた家族と友人を引き連れて現場へと向かった。CBRの車体を引き取ってくれていた人が、僕が「似ている別人」ではなく本人だと知って腰を抜かさんばかりに驚く(とても数時間後に2本の足で歩いて現れるとは思っていなかったらしい)
思わず声を上げるほど、CBRのフロントは完全に粉砕されていた。カウルやメーターステーは跡形もなく、わずかに片方のヘッドライトのカプラーが垂れ下がっている。ホイールは無残にねじれ、トップブリッジもひしゃげている。ホンダ車中もっとも太いφ45mmのフロントフォークさえ歪んでしまっていた。キーシリンダーにささったままの鍵を抜くと、あらぬ方向にねじ曲がっている。フロントタイヤのトレッド面についた黄線の塗料が、あの瞬間の記憶をふっと呼び覚ました──。

思い出は過去のもの
返すも返すも、ありがたいのはあのレーシング装備だ。「平日の朝の8時に、ツナギ着たフル装備のライダーをはねた相手こそ強運なのよ」と妻が言う。確かに、ツナギも、グローブも、ブーツも、どれか一つが欠けていても僕は今これを病院のベッドで書くことになっていただろう。僕はあの朝、あまりの暑さにツナギをやめ、RSタイチのメッシュのライディングジャケットとパンツで行くかどうかかなり悩んだのだ。もし僕に運がついていたとすれば、予想気温にめげずツナギを選んだあの決断こそそれだったのだろう。
ディーラーに運び込まれた600RRは、検査の結果フレームに7mmの寸法誤差が発見され、修理見積もりは100万円を越えた──いわゆる全損だ。もちろん、これから出る保険交渉の結果によって、保障はほとんど相手方がすることになるだろう。しかし、まるで昨日まで隣にいた家族を突然亡くしてしまったかのように、僕には自分の600RRを失った実感が湧かない。
ここ数週間、僕は“乗れて”いるつもりだった。600RRと付き合うのが本当に楽しく、手足のように操るという目標に着実に近づいている気がしていた。コンパクトに姿勢を固め、バイクと一体になってコーナリングしていく600RRならではのあの感触を味わえる週末が待ち遠しくて、下げた掌が思わずスロットルをひねる真似をしていることもあった(笑)。12ヶ月点検でキャリパーピストンを掃除してもらい、社外品にリプレイスしたのかと思うほど効くようになったブレーキを試したくて仕方がなかった。ほどなく終わるだろうOEMのD208を、ミシュランのPilot Powerに交換するのを今から楽しみにしていた。
ごめんな──ディーラーの車庫の片隅で無残な姿でたたずむ600RRに謝りながら、僕はこの一年、ホンダの最新の中排気量スーパースポーツが自分に与えてくれた歓びを思い返していた。同時に、僕はこれを機会にこの600RRによって失われたあるものを取り戻す決意をしていた。それは、近いうちにすぐここで書くことになると思う。