跳べないウサギ

シングル・ナンバーの雄姿
かつて──そう、それはもう太古の昔のことのように思える──マシンのフロントカウルに輝くゼッケンは、そのライダーの前年度ランキングを表していた。しかし時代は流れ、先陣争いを繰り広げる'03ランキングトップの二人、セテ・ジベルナウヴァレンティーノ・ロッシは、両方とも自分の好きな2桁の数字をためらうことなく纏っている。
そんな中、レース中盤に満を持してロッシの前に割って入った一桁のゼッケンは、まるで格上のライダーが切り込んできたかのような錯覚を起こさせる──それは“#4”アレックス・バロス*1
'97年シーズンと同じく、自らのキャリアで最も若い番号をマシンにペイントしたこの前年度ランキング7位のブラジル人は、まだまだ秘めた可能性があると感じさせながら観客を引っぱることのできる数少ないベテランライダーだ。2002年シーズンの終盤にRC211Vを授かった彼の4戦2勝という成績は、このライダーの“成長”にまだまだ期待すべきところがあることを印象づけていた。
第4戦ムジェロ以降セカンドローの常連となりつつあるバロスは、スタート後順位を2つ上げて4位でコントロールラインを通過すると、すぐに伊達男カルロス・チェカをパス。久しぶりにレプソル・ホンダのカラーリングが先頭集団を飾ることになる。
その先で、後のことにはお構いなくレースを引っぱっているのはいつもながらのジベルナウとロッシだ。しかしシーズン中最も長い6キロ超のコースに複雑なレイアウトを仕込んだアッセンでは、観客が心配しているほど簡単には独走状態にはならない。うねったコースを広く見渡すカメラアングルもあって、後続のライダーたちが延々とムカデの体節のように連なりながらコーナーを切り返しているのが見える。
やがて少しづつ、先頭を走る3人と第2集団の差が開き始める。嫌な予感が胸中を走る──セカンドグループの先頭にチェカがいるからだ。彼はいつもこのあたりで「トップにも追いつけないが順位も落とさない」という中途半端な走りで後続集団に“栓をして”しまい、早々にトップ争いを限定してしまうことがあるのだ。
しかし波に乗るマルコ・メランドリによって、そのチェカが、そして新型タイヤに苦しむマックス・ビアッジが次々とキャッチされ、表彰台の後方に沈んでいく。その前方で危なげなくロッシの尻に喰らいつき続けるバロスは、葬式のようなHRCピットの雰囲気を背中に背負いながら、ホンダワークスに数戦ぶりの表彰台──そしてあるいは、もっと上──をもたらす可能性を目指してスロットルを開け続けた。


そしてグラベル
はたしてその可能性は現実になった──ただし、わずか30秒たらずの間だけ。9周目の後半、バロスはロッシを立ち上がりでパスして2位に浮上。そしてすぐ、最終コーナーのシケインへ進入を利用してロッシがポジションを奪い返す──しかし、シケインの立ち上がりでラインをずらしたバロスはすぐさまV5のパワーを路面にたたきつけ、ロッシをストレートで置き去りにした。
“すべてのコーナーが繋がっている”といわれる高速サーキット、アッセン。明らかに優るエンジンパワーを生かしてうまくリズムを築けば、ロッシを抑えての2位は堅いかもしれない──そういう期待が胸をよぎった矢先、バロスはコースから消えた
横倒しになったバロス車が1コーナーをグラベルへと直進していく唖然とするような上空のビジョンから、正面へのプレイバックへ画面が切り替わる。バロスはリアをロックさせ、長い長いブラックマークを残して画面外へ跳んでいく。'02年のザクセンを思い出す、レースピークでのあっけない退場。可能性は可能性に過ぎないという脆さをつきつけられる。「私のアッセンは終わった」──僕の横では、バロスの熱烈なファンである妻がよよと崩れ落ちている。
シフトミスか、それともトラクションコントロールなどのメカニカル・トラブルか──。「何が起こったのかわからないうちに転んでいた」と前戦カタルーニャと同じような感想を漏らしていたバロスは、やがてシフトダウンのミスに原因があったことを明かしている。
それがライダーの操作によるものなのか、予期せぬトラブルに起因するのかはわからない。しかし、最高排気量クラスで200戦も戦ってきたこの33歳のライダーがまだ奥底に秘めていると言われる「可能性」を僕たちが目にするのは、まだ先の話になってしまったのは確かなのだ。

Catching, Catching.
バロスが去ったことで、マルコ・メランドリはまたもや3位表彰台をプレゼントされたかのように見えた。しかし、ジベルナウとロッシから6秒近く離れた後方では、ビアッジが最後の力を振り絞ってメランドリに襲いかかる。さらにその後ろでは、16番というみじめなグリッドからスタートしたもうひとりのHRCニッキー・ヘイデンが次々と前車を屠っては、せっせと先頭を目指していた。
コーリン・エドワーズロリス・カピロッシルーベン・チャウス、そしてチェカらを抜き去ったヘイデンに、終盤ペースアップしたエドワーズが絡み、突然4位争いがヒートアップする。その前方ではビアッジがメランドリを抑え込み、ついに表彰台の末尾についたかに見える。
しかし、激しい順位の入れ替えが起きる中団を眺めながら、だんだん心がここにあらずになってくのがわかる。レース周回は数える程しか残っていない──そう、そろそろ“ロッシの時間”なのだ。
虎視眈々と後ろにつけ、レース終盤ギリギリでトップを奪取するロッシの“スッポン走法”は、もうしばらく表立って見られてはいない。しかもあれは、'03年までのRC211Vの圧倒的なマシンアドバンテージと、その特性に合わせたロッシのタイヤ保存術があるからこそできるはず。バランスにおいてM1がRCVより優位とはいえ、スロットルのひとひねりで前を行くジベルナウを抜くことができるのか。
残り時間が少なくなるにつけ、まるで最終ラウンドまで利き腕を封じているボクサーを見るかのように、緊張感が高まっていく。彼は何かやる。何かやるはずだ──。前戦とは変わって比較的安定したロッシとM1の挙動のどこかに“仕掛ける”予兆を読み取ろうと、見えもしないスモークシールドの奥の表情に目を凝らす。
ラスト2周、バロスの退場を皮切りにしたように59秒台に突入していたレースは、ついにジベルナウによって59秒5を切った。“このまま逃げ切れるのか!”と思った最終周のターン8───ハードブレーキングによってついにジベルナウの前に出たロッシは、そのまま次の右コーナーでするりとインを塞いだ。そして、そのリアタイヤとの接触でフロントフェンダーを吹き飛ばして一瞬スロットルを戻したジベルナウに、二度とチャンスは訪れなかったのである。

1分後の勝利を目前にした2位ほど悔しいものはないだろう。ちょぼちょぼとシャンパンをこぼしただけで、誰にもしぶきを浴びせることなく憮然と表彰台を去ったジベルナウは、狂おしいほどに自分を責めているように見える(あるいはロッシの言うように、本当に最終ラップでの接触に対して怒りを感じていたのか)。しかし、いかに自分を責めようがあるいは外因を求めようが、レースは結果のスポーツだ。自分の力を証明するには、再びレースをするしかない。
それは、アレックス・バロスも、終盤力尽きたマックス・ビアッジにしても同じである。ジベルナウは言っている──「才能なら、今も生まれた時と変わらない」*2。それを100%引き出し、証明するために、彼らはまたレーストラックに立つ。そして、その一戦の重みは少しずつ増していく。
無邪気に連続表彰台を喜ぶメランドリの向こうで、30歳を通過した“可能性のある”ライダーたちの時計が、情に流されることなく淡々と時を刻みつづけている──。残るレースは、あと10戦。シーズンは、まだ幕間を迎えていない。

*1:キャメルの二人も一桁じゃんかよぅ、というのはさておいて(笑)。ペイントの色合いのカッコ良さって、やっぱりあるよなあ、と思うのである。

*2:『Cycle Sounds』誌8月号。なんかこのセリフ、すごく感動したんですけど。いいとこ育ちって違うなあ。