希望の轍

実力じゃない
ロッシが天に向けて指し出した一本の指に目がくぎ付けになる。目まぐるしい番狂わせを重ねた熱いレースが、トップを走行するこの天才ライダーの“神の仕草”によってあっけなく決着をつけられてしまうかに思われた──後ろではセテ・ジベルナウがやれやれというように頭を振っている。2000年の第4戦スペインGP、後ろにつけるカルロス・チェカによって尻に火をつけられていたケニー・ロバーツJr.が、自分の“意志”でウェット宣言してまんまと優勝をさらおうとした場面が頭をよぎる*1

しかしながら、僕も実況のアナウンサーも、2003年に加えられたルール変更を思い出すのにしばらくかかったようだ*2。レースはまだ成立せず、赤旗中断後2ヒート制が適用された。NHK BS1の編集放映では間の中断があっさり端折られ、各ライダーのタイヤ選択に思いを巡らせる間もないまま2ヒート目がスタートする。
「まずい!」僕は不謹慎にもそう思ってしまった。うまいスタートを決め、トップに躍り出るフォルチュナ・ゴロワーズ・テック3の一台。アナウンサーはヴァレンティーノ・ロッシだと叫んでいる。人間の目は見たいものを見る。そう、まさか誰もそこに阿部典史がいるとは想像しなかったのだ──。
まずい、と思ったのはこのままノリックが“優勝”してしまうことへの不安だった。いくら運もレースのうちとはいえ、ここでノリックは優勝すべきでない、僕の頭はそういう危惧で満たされた。これは本当の実力じゃない。ここで勝ったとて、世界中のGPファンに、そしてグリッドに居並ぶ競合ライダーに一目置かせることはできない。それは少なくとも、僕が見たいと思っている彼の復活劇じゃないのだ。
YZR-M1をだんだん自分のものにし、いくつかのレースで復調の兆しをリザルトに刻み(予選だけじゃなくね)、そしてある時激しい戦いの末に強豪を下し、高らかに復活を告げる──そんな日まで、彼の勝利は取っておくべきだ。勝つことがライダーにとっていかに重要かということをさておいても、僕はそう思ってしまう。今、玉田誠がまさに昇り始めているその階段を、彼もふたたび経るべきなのだ。


ドッグファイト
レース1は、ほとんどの日本人ファンにとって「玉田のレース」だったに違いない。順当にはじまったかのように見えたスタートから2秒ほど後、かつてを思わせる勢いで先頭集団に飛び込んできたロリス・カピロッシのデスモセディチは、2周もすると狂言回しとしての役割を終えてするすると舞台袖に下がっていった。後に残ったのは、玉田、マルコ・メランドリニッキー・ヘイデンといったルーキー勢が、いつもの常連集団に棘のように食い込んでいる様だった。
ストレートエンドでのブレーキング競争で何度もロッシとビアッジを射程圏にとらえていた玉田は、5周目でついに首位を奪ったままコントロールラインを通過、その後8周にわたってロッシ、そして遅れてきたヒーローとばかりに上位に登場したジベルナウを抑え込みつづけた。
見ている方は、期待と不安で息が詰まりそうだ。まさかこのまま行くとは思えない、と心のどこかが過度な期待を戒める。きっと無理をしているのだ──。しかし、その思いに反して玉田の走りは危なげがない。コーナーの進入や立ち上がりでマシンに無理をかけている風もなく、トップに立ってもプレッシャーでラインを乱すことがない。
それどころかロッシのラインを読み、させるか、とばかりにうまくブロックして丁々発止のやりあいを続けている。ロッシが得意とする前半のコーナーでは譲っても、2〜3コーナー後には再び抜き返す。ゆるい連続コーナーが多く、コース幅も広いムジェロならではのスペクタクルだ。
玉田は楽しんでいる──。そう思うと、一気に勝利への期待が拡がる。ジベルナウやビアッジのRCVとどれくらい仕様が異なるのかわからないが、後ろを突っついているのが(ロッシ車とはいえ)M1であるのなら、マシンポテンシャルであっさり競り負けるとも思えない。ただ一つ、彼がかつてこんなポジションを得た経験のないブリヂストンユーザーであることを除けば──。
周知のように、彼のレースは13周目、人々が思わせぶりにスロー再生された中野の派手なハイサイドに心を痛めているうちに、ブリヂストンの技術力の限界とともに終了した。バーストしたのかコンパウンド剥離か、心なしかぺしゃんと潰れたタイヤとともにコース脇にたたずんでタンクを悔しげに叩く玉田に、誰もが「これでタイヤがミシュランだったら……」と思ったに違いない。

日本人チャンピオンへの道
2ヒート目、一周もしないうちに阿部が後退した後、まるでウォームアップラップのようなスローペースの中で次々と入れ替わりにトップに立ったのは奇特な面々──ダンティン・ドゥカティルーベン・チャウスアプリリアのシェーン・バーン、そして破調著しいトロイ・ベイリス──だった。なかなか映ることのないグラフィックが画面をよぎり、さながらGPマシン博覧会のようだ(失礼)。1周目で首位に立った雨の巧者バロスもずるずると後退していった。1ヒート目では7位から4位まで着実に順位を上げてきていただけに、あのまま中断しなかったら、と思うと少し残念である。
しかしやはりレースを制したのは、経験豊かな“勇者たち”だった。破れかぶれの集団走行に乱されず、路面コンディションが好転するや一気に表彰台獲得に動いたロッシ、ジベルナウの老練ぶりには、まさに“格が違う”としか言いようがない。ポイント・スタンディング的にはジベルナウにはくっついていたいビアッジも、遅ればせながら3位に滑り込む。
結果だけ見れば“なんてことない”レースになってしまったが、結果よりも過程の方が面白いレースだったといえるだろう。こうしたバトルを見ていると、いかに'03シーズンまでのロッシ+RC211V主導の争いが単調だったか改めて感じてしまう。
同じ日本人ファンとしては、今回証明された玉田のライダーとしてのポテンシャルが、すぐ今期のチャンピオン争いにつながるわけではないのが残念だ。今回の中野のクラッシュの原因であるとも伝え聞くブリヂストンタイヤの性能が、この後1レースや2レースで劇的に改善されるとは思えないからだ*3
玉田が勝利をつかむにはまだ時間がかかるかもしれないが、来期GPのシート勢力図が、このレースでわずかにせよ動いたのは確かだろう。聞くところによれば、ライダーとチームの契約はシーズン開始後も2ヶ月に一度くらいづつ更改の確認がなされ、この時期には既に来期を見据えた動きが始まっているのだという。水面下で、各チームやスポンサーが“マコト・タマダ”の名をあらためて頭に刻み込んだに違いない*4
日本から、こいつならチャンピオンを狙えると世界中が名実ともに認めるライダーが再び生まれる──そんな希望がちらりと見えたレースだった。おおげさだが、今回は僕はそう思いたいような気がするのである。

*1:結果としてレース成立には1周足りず、レースは中断して2ヒート目に突入。結果としてはロバーツJr.はやはり優勝だったのだが(当時はタイム加算制だったしね)。

*2:旧ルールでは中断の時点でレースの2/3が終わっていればその時点でレース成立、2ヒート制の場合には両ヒートのタイム合算で結果が決まる。現在は中断したら前のヒートは無効となり、その時点のグリッドから再スタートして残り周回を消化し、2ヒート目の結果で順位が決まる。

*3:ブリヂストンはシーズン前のセパンテストでも1月に玉田が、2月にロバーツがバーストしたと伝えられている。コーナリング性能やグリップ力ではなくハイスピードでの耐久性という、素人考えでは非常に基本的なところの改善が課題というのは、なんだかとても大きな壁にぶつかっているようにも思えるのだが……。

*4:ホンダの応援を受ける形でブリヂストンが走らせている玉田は、タイヤ開発のために意志疎通の容易な日本人が必要であるという意図が多く働いてはいるだろう。しかし、彼に有力チームからの引き合いが来た時の契約はどうなっているのだろう?青木宣篤のようにタイヤメーカーとの結びつきを中心にチーム選択が動くのか、それともより自由な契約オプションを獲得するのか──。玉田が今回のタイヤトラブルのことも多く語らないのは、ブリジストンとの契約もあるんだろうなあ……。