Doctor, Doctor

もはや言葉もなく
ダイネーゼの脊椎パットを手に入れようと思い「そういえば誌上通販が…」と『Riders Club』誌のバックナンバーをめくっていたら、ふとある記事タイトルが目に飛び込んできて心をぐさりと刺した。「やはり本命はバレンティーノ」──英『Road Rider』誌の元編集長、ジュリアン・ライダー氏による2004シーズン予測だった*1
うげえ……と思いながら、このいくらか現実的ではあるが何の面白みもない予測が緒戦に至ってまさかの現実になってしまったことに、呆然とせずにはいられない。ヴァレンティーノ・ロッシの神懸かり的なヤマハ初勝利を、つい数時間前に目にしたばかりだったからだ。
待ちわびた南アフリカGPの経過をもはや詳細に書くまでもあるまい。レースはPPからスタートしたロッシと、それを追うマックス・ビアッジという積年のライバル同士の熱い戦い“だけ”を中心に進行したといっても過言ではない。互いに32秒台を連発する驚異的なペースに他のライダーは誰もついていくことができず、カメラはトップグループに並走するマラソン中継車のように、彼らだけを懸命に映し続ける。スタートで出遅れた中野の苦闘、ひっそりと退場したケニー・ロバーツ、ダンティン勢の仲睦まじいリタイア、阿部典史アレックス・バロスの追い上げなどはすべて舞台袖の村人役のごとくトップ2人の背景に溶け込んでしまい、ブラウン管の前の僕たちに示されることはほとんどなかった。
時に不安定にリアを流しながらも(そして“もしロッシのタイヤが終わったら面白くなるぞ”と多くのファンに感じさせながら)ついに破綻することなくレースディスタンスを走破したロッシの“同爆”YZR-M1は、まるでノリック以下“定位置”に落ち着いたヤマハ勢のそれとは別メーカーのマシンであるかのようにパワフルだった。むしろハードブレーキングでマシンをぶるぶると震わせ、立ち上がりではことあるごとにフロントを浮かせるビアッジのRC211Vの方が不安定なマシンに見えたほどだ。


二人三脚の本領発揮
ロッシの“神業”もさることながら、彼が魅力的な最高峰マシンとしての存在感を薄めつつあったYZR-M1をここまで駆ることができたのは、チーフメカニック、ジェリー・バージェスの力も絶大であったに違いない。さきのライダー氏も書いているように、この2人ははあの“失敗作”2000年型NSR500を御し切り、ナストロアズーロ・ホンダにランキング2位をもたらした黄金のコンビだからだ。
ドゥーハン去りし後、エースライダーに繰り上がったアレックス・クリビーレの「もっとパワーを出せ」という不明なる一言によって見事なホイールスピン・マシンと化した00型NSR500を操るに足るものに仕上げたのだから、この2人が「あと一息」だったM1をうまくセッティングしてみせたことが勝利の主因の一部である、と憶測しても完全な的外れではないだろう。
しかもジェリー・バージェスは、ライダーの注文にあわせてすぐにパーツやジオメトリに変更を加えるよりも、マシンに合わせてライダーの乗り方を変えていくことを優先するという。RCV時代のパワースライドをあっさり引っ込めたロッシのライディングからしても、今回もそうしたメカ/ライダー一体の“M1を速く走らせるぞプロジェクト”が奏功しているに違いない。
レース後、タイヤバリアにマシンを停めてくずおれ、さらに「よく走ってくれた」とばかりM1に抱きつくロッシの姿は、今シーズンの名場面集の冒頭にファイルされることは間違いない(しかもこれは、自分のモーターサイクルに愛情を注ぐ多くの一般ライダーの心を打つシーンだっただろう。僕もさすがにここにはじんときた)。そして奇しくも思い出されるのは、500ccクラス参戦1年目、第11戦リオGPでドライレース初勝利*2を飾ったロッシが、同じように00型NSR500をねぎらい、抱擁したシーンだ。
暴れ馬の00型NSR500と、完成度でRCVに引けを取る04型YZR-M1。このどちらをもねじ伏せて勝利をもぎ取ったロッシ。登場当初、RC211Vを「つまらない。NSRのほうが面白い」と公言していた彼からすれば、こうした勝ち方は最も充実したものであり、かつM1をチャンピオンマシンにまで持ち上げるのは実に挑戦しがいのあるテーマであるに違いない。つまり、ロッシはレプソルホンダにいる時より明らかにバイタリティに満ち、“燃えている”のだろう。レースを楽しみ始めた天才。これ以上に怖いものがあろうか。

真のMotoGP元年
今回のレースで「これは面白くなってきたぞ!」と喜んでいるファンはそう多くはないと思う。GPファンの嘆息の多くは、ロッシが「マシンにその力の一部を依存していた」のではないことがはっきり見えてしまったことが原因だ。見方を変えれば、これから僕たちは誰がどんな優れたマシンを手にしたか、ではなく、ライダー本人の実力や才能をシビアに見つめざるをえなくなる。凡百のライダーがRC211Vを手にしたとしても、ロッシを破ることは簡単ではないとわかってしまったからだ。
レース終了後、僕は思わず冗談で「ホンダ、もうV12を開発しろ!」と叫んでしまった。しかしそうは言いながら、僕はもうメーカーが出してくるマシンの性能をレースの尺度にできない、という考え方をロッシが僕たちに植え付けてしまったことを感じずにはいられなかった。それは裏を返せば、4ストロークマシンを必死で作り、レーストラックに送り出すメーカー同士の技術力や開発力、またタイヤチョイスひとつが明暗を分けていた「渾沌の時代」は終わりに近づいている、ということでもある。04年は本当の意味でライダー同士が実力を競い合う、4ストロークMotoGP元年となるのかもしれない。

*1:『Riders Club』誌2004年4月号「Back Marker〜別のラインで走るMotoGP」。ちなみにエイ出版社によるダイネーゼの脊椎パット通販は契約が切れたのかしばらく前に終了しているようだ。

*2:初優勝は第9戦イギリスGP