純粋培養の限界

黄金の道
もしあなたに小さな息子がいたと想像してみよう。幸いにして心身壮健、モーターサイクルに興味を持っているようなので、ここはひとつ未来のGPライダーになるやもしれぬと期待して教育を施してみることにする。あなたは、彼が進むべき黄金ルートとしてどのようなものを思い描くだろうか?
5歳くらいからポケバイ、あるいは12歳位からミニバイク。日本ライフ社や雑誌社の主催レースで鍛練を積みながら、多くのGPライダーを輩出した秋ヶ瀬や桶川のレースで名を馳せ、やがてどこかのショップチームにスカウトされ地方選を荒らし回る。高武RSCやSP忠男といった名門から全日本へ出場すれば、もうワークスへの切符は半分手に入れたも同然かもしれない。そしていずれかのクラスでチャンピオンになって耳目を集め、いよいよGPヘ──。
またあなたが彼の経験を少し強化したければ、オンロードのグリップ走行だけでなく近年のGPにおけるスライドコントロールの重要性に着目し、ダートトラック・レースから始めさせる、というのも一つの手だろう。ケニー・ロバーツフレディ・スペンサー、最近ではニッキー・ヘイデンなど、ダート譲りのスライドコントロールを武器とするライダーは多い*1。国内選手権にエントリーさせる代わりに、AMAへダート留学、なんてのも一つの考え方だノリックがその一つの先駆者だ)
いずれにせよ全日本ロードレースのチャンピオンからWGPへ、というのは確かに王道だが*2、果たしてその先でそのまま世界のトップライダーまで昇りつめることができるだろうか?と考えると一抹の不安を感じざるを得ない。もちろん本人の資質の問題が一番だが、GPでは国内の選手権で身につけるだけではまだ欠けているいくつかの能力が要求される可能性があるからだ。


グッド・コンディションのデメリット
それは「初めてのコースレイアウト」に素早く順応し、「異なる路面コンディション」に合わせて直感的に乗り方を変えていける適応性である。スポンサーを見つけることが年々厳しくなり、かつ各メーカーともマシンを研究発展させる有効なデータをライダーに求め続ける今のMotoGPでは、参戦一年目だから全く成績を残せませんでした、ではあっという間にシートを失ってしまう。'03シーズンの清成龍一にあと一年与えてくれれば、と思ったファンも多いだろうが、ヘイデンや玉田誠のようにシーズン後半には一戦や二戦目立った戦績を残さなければGPライダー生命は極めて危ういものとなる。
「コースレイアウト」についてはいくぶんかは記憶の問題であるようにも思えるが玉田誠は予選前夜にPS2のゲーム“MotoGP3”でコースを頭にたたき込んでいたらしい)「路面コンディション」に関してはそう簡単に順応できるものではないだろう。250ccクラスで高橋裕紀が三位の表彰台を獲得した'02年の日本グランプリを観戦していた僕が、その路面に張り付くような深いバンク角に驚いていたら、ある人が「典型的な“全日本乗り”だ」という感想を漏らしていたのを思い出す。
よく整備され、高いμを保っている国内のサーキットで経験を積んだ日本人ライダーは、いきおい路面とタイヤのグリップ力を信頼して走るようになる。マシンを深く倒し込み、タイヤのグリップ力の限界まで使いながらコーナーを抜けていくのだ。しかし、日本のサーキットほどアスファルトの質も良くなく、バンピーで路面の傷んだ海外のサーキットを同じ感覚でいきなり走ったらどうなるか──。
えてして良コンディションに恵まれて育ちがよく、純粋培養ゆえに環境が悪いと力を発揮できない、というのは日本のスポーツ選手と海外との比較を云々する時に必ず出てくる批判の定型句だが(もちろん選手のメンタリティは別だ)、GPライダーやファンにとっても海外のサーキットのバッド・コンディションは看過できない問題だろう。では、日本人ライダーがそれを修業して身につける場はあるのだろうか?

BSB、そのエキサイトメン
その一つの答えは、近年とみに注目を集め始め、今期のアプリリアのワークスライダーであるシェーン・バインも輩出したイギリスの国内選手権、BSBにあるかもしれない。『Cycle Sounds』誌5月号には、リズラ・スズキから引き続き参戦する加賀山就臣によるBSBの各コース解説が載っていてとても面白い。
僕自身、去年加賀山がフルエントリーを開始するまでこのローカル選手権にはさして注意を払っていなかった。ただ参戦直後の特集写真を見てビニールシートを張った迷路のようなコースの狭さに驚き、加賀山が第10戦キャドウェルパークで負傷した時も「あんなところでコケたら壁まっしぐらだ、無理もない」程度にしか思っていなかった。
しかし、あらためてCS誌の特集を見るとそれどころじゃないのに驚かされる。山あり谷あり、シケイン抜けたらブラインドなんてざらで、コース中に枝まで出ている。コース幅もミニバイクコースみたいなところもあれば4車線くらいなんてサーキットもあって多様、極め付けはかのキャドウェルパークで、なんと途中にジャンプスポットがあるとか!慣れたライダーはここで50cm以上浮きながら2〜3mも飛翔し、ここを上手くクリアできるかどうかで大きく差がつくというのだ。まるでマン島TTである。
うねっている路面で滑るタイヤをコントロールしながらスピードを競うタフなレースは、整備された平らな路面とは比べ物にならない豊富な経験値をもたらすだろう。そんな後で良質のレーストラックに帰ってきたら、これは無敵かもしれない。加賀山はBSB参戦中に出場した'03年の鈴鹿8耐では「こんな楽なサーキットはない」と感じたという。
事実、彼は予選初日に2分7秒69でいきなりトップタイムをマークしていた(残念ながら一周も走らないうちにヨシムラスズキは“魔の2周目”でリタイアになってしまったが)し、さらにその二ヶ月前にケニー・ロバーツJr.の代役で参戦したあの難コース・アッセンですら、特に難しいと思わず「気持ち良く走れた」というのだから驚きだ*3
こういうとんでもないレースで“揉まれた”経験が、やがて全日本でスムーズに出世してきた実績と同じかそれ以上に重要になってくると思えるのは僕だけだろうか。加賀山に続き、HRC岡田忠之を監督に清成龍一をライダーとしてフル参戦を開始するなど、ワークスがBSBへ焦点を移し始めている気配も伺える*4
MotoGPも運営するドルナ・スポーツが今年からBSBのプロモーション権利も取得したとかで、BSB人気は益々上昇する可能性がある。GPヘの登竜門としての全日本がちょっと息詰まる状況(スポンサーとか、古参ライダーの出戻りとか)になっているだけに、若い日本人ライダーのステップアップ先としても今後普通になっていくかもしれない。コースが複雑で面白く、MotoGPの予選二日目ラスト15分を意図的に演出するスーパー12(予備予選トップ12人による二次予選)など、見る側としても興味が湧いてくる。意外とこの選手権、注目株だ。
あとは一つだけ、みんな狭いコースで怪我しないでね、と祈るばかりである。

*1:RC211Vは、その開発当初から「エンジンパワーをすべて路面に伝え切ることは不可能で、マシンのスライドは必要条件。ではどうやってスライドコントロールを容易にするか」というコンセプトで設計されたという。故にマックス・ビアッジのように基本的に前輪重視でグリップ走行するタイプのライダーには多少風向きが変わりかけているのは、彼の'03シーズンの成績を見れば明らかだ。
一方プロトンKRに招かれたF1デザイナーのジョン・バーナードは、コーナー出口でスライドするマシンを見て「なんで滑らせるんだ。あんなことは絶対有り得ない。許せない」と言っていたそうで、今後、路面へのパワーデリバリーの考え方を変えたマシンを作ってくれるかもしれない。楽しみである

*2:これまでは“チャンピオンになれば誰かがGPへ行かせてくれるに違いない”という、あいまいな保証しかないルートではあったのだが、ホンダが今年からGP250でチャンピオンかそれに準ずる成績を獲得した22歳以下の選手をサポートしてWGPの250ccに送り込む「ホンダ・レーシングスカラーシップ」を創設したことで、GPの登竜門としての性格が明確になった。多くのライダーにとってこれは吉報であるに違いない。ホンダ車でその成績を収めることが条件なんだけどね…。
ニュースリリース
http://www.honda.co.jp/news/2004/e040203b.html

*3:予選では加賀山はジョン・ホプキンスや玉田誠カワサキ勢を抑えて15位。決勝では宇川徹のリアに接触してリタイアとなった

*4:なんでホンダワークスがBSBに、と思ったら、BSBはカムのリフト量や吸気量の制限などマシンの改造範囲がWSBよりも大きいそうだ。パワーとしては各国内選手権の中で一番出るらしい。物議をかもしながらも実施されたWSBのようなタイヤコントロールがないことももちろん大きな理由だろう