“ホンダイズム”の裏側

裏切りの発想
僕は、それまでのつかんだ成功や前例を無視して、「全く異なることをやってやろう」と考える企業が大好きだ。
たとえばApple。一世を風靡したモニタ一体型iMacがモデルチェンジする時、誰もが様々なシェイプを予想して愉しんだが、その一方で“自分たちが思いつく程度のことはやってこないだろう”という自虐的な期待もあった。結果現れた“首振り”iMacは、やはり大勢が考えていたようなそれまでのiMacを生半可にいじり回したデザインではなく、全く異なるベクトルをもつデザインで大きなインパクトをもたらした*1
ホンダも似たような底力がある。MotoGPマシン開発にあたり、“今までと違う事をやろう”とV型5気筒を選択し、結果現れたプロトタイプRCVはどんな市販車にも似ていない、いやどの既存のバイクよりも格好よかった。当時まだホンダ党でなかった僕は(笑)、「こんなカッコいいGPマシンが速いものか!格好だけさ!」とやっかみ半分に雑誌記事を眺めていたのを憶えている。
しかし結果として言わずもがなの連勝街道。極端なコンパクト化とオフロード車のような前輪荷重、そしてフローティングサスといったRC211Vのキーワードはバイク設計のトレンドそのものに強い影響を及ぼしつつある。どうしてこうした発想(とそれを結果に結びつけること)が可能なのか、ほとんどの人が首をひねっているに違いない。僕もその一人だ。


HRCの結果主義
自由で新しい発想を求め、やりたいと思った事はやらせてくれる(そのかわりやらなくてはならない!)というのは、ホンダの社風としてよく一般にも漏れ聞こえてくる話だ。しかしそれは、自由闊達な個人主義というよりは、チームや会社が掲げた目標に寄与するために、一人ひとりが確実な成果の達成を求められる、という厳しい側面を持っているように見える。
一人が重い責任の元で実現した「1gの軽量化」が、集まった全体としてマシンの乾燥重量を数Kg引き下げる。そうしたやり方は、「全体がゴールに到達しない限り個人の歓びもない」という点で恐ろしく否個人的で、全体思想的だ。端から見れば、『1984年』もかくやの統制社会のように移ることもままあるだろう。
レースを行なうHRCもまた、とかくカイシャ的・組織的と言われ、レースウィークのピットを覗いた人は一様にその重苦しい雰囲気に驚くと聞く。“誰も笑わない”と言われ、嘘か誠か、玉田誠はサテライトを離れてワークスに移りたいか、ときかれて「イヤですよあんなこわい雰囲気のところ」と答えたとか。03年の鈴鹿8耐で全車リタイアが決定した時のHRCピットの葬式のような空気は、そうした厳格な結果主義をちらりと感じさせるものだった。
しかしホンダだってHRCだって人間が構成するものであるから、皆が自主的にそうしたストイックな雰囲気を作っているわけではないだろう。それらを統率する強権的な“カミナリ親父”、たとえば本田宗一郎氏だったり、80年代のレース総監督尾熊洋一氏が必要だ。ホンダの人間だって、「怒られるのが怖いから」という動機で動いたりもするはずだ。

予定されたリタイア?
そんなHRCの人間臭さを感じさせるエピソードを読んだ。『Cycle Sounds』誌2月号に、1978年8月のシルバーストーンGPでNR500がデビューレースを飾った時のライダーの一人であるミック・グラント(もう一人は片山敬済の回想が載っている。カム・ギヤやバルブの材質が18000回転を支えるに必要な強度に足りず、オイル経路にも不安を抱えたままのこの初レースは、二台とも予選最後尾からのスタート。そして押しがけに手間取ったグラント車はスタート直後勢い余ってウィリーし、その影響でブリーザーからオイルを吹いて第一コーナーで転倒、残る片山車も数周で電気計トラブルのためピットインし、ホンダのGP復帰レースはあっけなく幕を閉じる事になる。
…というのが僕が今まで知っていた話なのだが、ミック・グラントはCS誌であっさりと明かしている。「このレースでは勝てないのがわかっていたし、最後尾を走る姿を見せたくなかったから、ガソリンは二、三周分しか入っていなかったんだ」──つまり、NR500ははなから数周でピットイン、リタイアする予定だったのだ。そして“見せたくなかった”のは誰にかというと、当然の事ながら彼の人、はるばるイギリスまでやってきてピットで観戦していた本田宗一郎に、である。
富樫ヨーコ『ホンダ二輪戦士たちの戦い(上)〜異次元マシンNR500』ISBN:4062564300、当時のNRのトップ*2である入交昭一郎が「最初から優勝や入賞が出来るとは思っていなかったが、とりあえず完走してほしいと思っていた」と記されている。しかしながらその4ストロークサウンドがレーストラックに響き渡ることはほとんどなかった。チーム全員、無念のリタイアに落胆…の図が目に浮かぶ。
でも、な〜んだ、である。天下のホンダNRも、“オヤジさん怖し”でそんなごまかしをすることがあったんだなあ、と思うと感慨深い。ひょっとしたら片山敬済の“電気系”のトラブルも、予定されたものだったのかもしれない。とはいえ、この話を聞くと「彼らも人間なんだなあ」と思ってちょっと安心するような気分である。でも、当時ホンダを応援するつもりでイギリスGPを見てたら、この話どう感じるんだろう、と思うけれど。

*1:実際には、ジョナサン・アイブがスティーブ・ジョブズに新型のデザインを初めて見せた時は、誰もが納得するような正常進化モデルだったという。ジョブズはそれをみてアイブを散歩に連れ出し、庭に咲くヒマワリに例えて目指すデザインを説いたという。あくまで例えであったのに(“そう、例えばこのヒマワリのように自由に”)、それをまんまデザインに取り入れた首振りiMacが出てきた時はジョブズも少しびっくりしたとか…

*2:NRはバイクの名前であると同時に、“New Racing”という意味で冠されたホンダGPプロジェクトチームの名前でもあった