ビッグ・バン

Jet2004-08-04

古書典籍
僕の仕事場にはかつてホンダの広報関連の仕事をしていたという人がいて、時折ホンダにまつわる80年代前後のグッズや貴重な印刷物をひょいとくれることがある。
フレディ・スペンサー(社内では“スペちゃん”と呼ばれていたらしい)が自身のライディングを解説する古いビデオや、HRCの会社案内(!)、さらに予約者特典だったのではないかと思われるRC30(VFR750R)*1の40ページ以上に及ぶ詳細な解説ブックレットをもらったときは感涙ものだった(ページの最後には様々なコーナリングスピードでの排気音を聴けるドーナツ盤までついているのだ!…聴けないけど)
そして今日僕が仕事場に着くと、また机の上に2冊の古ぼけた雑誌が置いてあった──見れば、1992年の『RIDERS CLUB』誌だ!一冊は6/5号(当時は隔週刊だった)。NR特集で、表紙ではツイードのスーツに身を包んだ片山敬済が、最初期型の0Xにまたがってモデルばりに微笑んでいる。
そしてもう一冊は、11/20号。ページを繰ればぴかぴかのTZR250RSPやバンディット400(ああ、当時はこいつにずいぶん憧れたっけ)の広告、来るべき40ps規制を前に将来を案じながら乗り比べる各社の2スト250ccレプリカの試乗記事と、時代を感じさせることしきり。さらには当時ROCヤマハからGPに参戦して一年目だった新垣敏之*2の希望に満ちたインタビューまで載っている──嗚呼、十年一昔(十年以上だけど)
そして特集はと見ると、シーズンオフらしくNSR500──’92年シーズンに負傷によりランキング2位に終わったミック・ドゥーハンのマシン──のストリップ。そして、その解説記事にはなんだか奇妙に見覚えのある文字が踊る。そう、’92年は今と全く同じ──“同爆”エンジンが大流行し、各社が揃って爆発間隔を調整したマシンを投入してきた年だったのだ。


トルクという幻想
なぜ一度過ぎたように見える進化の過程が繰り返されるのだろう?’92シーズンに熱病のようにパドックを覆った“同爆(ビッグ・バン)”エンジンは、今シーズン開幕戦のヴァレンティーノ・ロッシの劇的な勝利以来(実際にはもっと前かららしいが)、ふたたび各メーカーのマシン開発の合言葉のようになってしまった。
スズキはカタルニアGPから点火順序を変更したエンジンを投入し、プロトンもすでに同爆タイプを導入していると聞く。また、ホンダがドイツGPから投入したアレックス・バロスのRCVが排気系を変更しているのも、点火順序と関係がある可能性は高い。
本来ならば均等間隔で爆発させる各シリンダーを、同時に(実際にはわずかずつずらして)爆発させる不等間隔・同爆のエンジンは、巨大なパワーを抱える4ストローク990ccエンジンを“まるで一つ上のギアを使っているかのように”扱いやすくし、それでいてよりトルクフルな加速を生み出すのだという。
面白いのは、この「不等間隔爆発の方がトラクションを感じる」というライダーの感覚が実際の計測値では実証できず、まだ機械工学的に体系化できていないということだ。やれ大きな脈動に秘密があるとか、長い爆発感覚の間に無駄な挙動が吸収されるのだとか、それがABS的に働くのだとかいろいろな話は聞くが(さらにホンダが’89年に最初に“等間隔”の同爆を導入した時は、トラクションの合間のタイヤ冷却効果を狙っていたとか)、いまだに理論化はされていないらしいのだ。
アーブ・カネモトはこれを「何かが、トルクがあるように思わせる。これは幻想なのだが、実際に起こっている」と表現している*3。レースを観戦するのにエンジニアリングばかり持ち出しても面白くないが、これはエレクトロニクス全盛の時代にあって、モーターサイクルは結局人間が操るものだというどこかアナログな安心感をもたらす出来事である。

Patna rhei
‘92NSRは、バランサー付一軸クランクというホンダ独自のV4エンジン設計(他メーカーはすべてバランサーを持たない二軸クランク)によって同爆がもたらすエンジンへの負荷をいちはやく解決し、ワイン・ガードナーやルーキーのアレックス・クリビーレにも表彰台をもたらした完成度の高いマシンだった。RC誌の試乗記にも、唐突な加速がなくホイールスピンもほとんどない絶妙なパワー特性への驚きがつづられている。
しかしその後は、洗練されすぎたNSRによってクリビーレにすら背後を脅かされることに嫌気が差したドゥーハンが’97年に “同爆”エンジンを捨て、翌年には無鉛ガソリンが義務化されて5%ほどパワーが低下したこともあって、すべてのライダーがそれに倣うことになり、“同爆”の時代は終わる。
少なくとも2ストローク時代においては、低い回転域が強くなっている分ピークパワーに欠けエンジンブレーキもキツくなる同爆エンジンよりも、コントロールは難しいが限界は高い等爆エンジンが最終的に優位となったことは、’97年、’98年のドゥーハンが実証して見せた通りだ。
今シーズンのMotoGPマシンは、「扱いやすさ」の時代に入っているといえる。パワーデリバリーを扱いやすいものにし、持ち前のハンドリングを活かしきれる特性になったロッシのYZR-M1が優れた戦績を残し、その反対にシャーシの設計思想で大パワーを路面にうまく伝えてきたRC211Vを脅かしている。そのRCVですら、新型の“フォー・エギゾースト”マシンはパワーの出方を抑えているとの噂もある。
このトレンドは、(奇しくもロッシがヤマハに対して要求しているように)やがてトップスピードを補うモアパワーが求められ、徐々にパワー重視のバランスに傾いていくことで自然に消滅するのだろうか?それとも90年代のガソリンやタイヤの変化のように、’07年に予定されている排気量ダウンがそれを終わらせる大変化となるのだろうか?

先述のRC誌で、ホンダの開発者は「乗りやすい、扱いやすい、ライダーの能力を100%引き出せるマシン」が’92NSRの開発コンセプトだと述べている。4ストローク時代の今から見れば、当時の2ストロークが“扱いやすい”マシンだったとはお世辞にも言えないと思うのだが、いつの時代も「マシンの性能はライダーなくしてはバランスをとれない」というのは必定のテーマなのだろう。
理論化できない“同爆”の流行は、マシンという「ハードウェア」とライダーという「ソフトウェア」との間をつなぐインターフェイスの問題である。最新技術が何もかも自在に制御可能にしていくように見える中で、結局「感覚」というものがライダーとマシンとの間の最後の闇として残されているというのは、きわめて興味深い話ではないだろうか*4

*1:ホンダが87年に1000台だけ市販した、耐久レーサーRVF750ほぼそのままの限定車。当時の販売価格は148万円。

*2:92年〜95年までROCヤマハからプライベーターとして参戦したGPライダー。最高位は95年日本GPの8位。現在は『BIG MACHINE』誌のメインテスターなどをつとめるほか、全日本などに積極的に参戦。今年の第2戦筑波ではモトバムからほぼノーマルのCBR1000RRで参戦し決勝6位に食い込んだほか、鈴鹿8耐にも出場している。

*3:『Cycle Sounds』誌8月号「勝利を生むリズム〜MotoGPマシンの点火時期」

*4:ついでに言えば、前回の同爆流行の92年は、ヤマハウェイン・レイニーによって世界タイトルを獲得した最後の年である。再び同爆の年、そして再びヤマハの年、となるのだろうか。