汝、至高を知れ

ほんにあなたは屁のような
いよいよデリバリーの秒読みに入った(と噂の)新型CBR1000RR。バイク雑誌各紙でもツインリンクもてぎでのプレス試乗会をもとにしたレポートが次々と掲載され始め、その華やかなレビューに胸が躍る。
しかしながら、いくつかの記事に目を通した人ならすぐわかるように、このCBR1000RR、はっきり言って褒められてない。いや、試乗したレビュアーは皆一様にその高性能を手放しで称賛しているのだが、どこか後ろを向いて本音をつぶやきたがっているような、スッキリしない評価の仕方が目立つのである。
理由は皆同じ。スムーズすぎて速さの実感がない、操っている満足感に欠ける、というものだ。
さまざまな著書や雑誌での率直なレビューでおなじみのつじつかさ氏は、自身のサイト「SALIDA」の中で、

確かに高性能なのだが、このCBR1000RRに乗っているときには、速いバイクを操っているという感覚がじつに希薄だ。速いものには乗っているねぇ、と理屈では分かるのだが、それがまるで新幹線の座席に座っているような、そういう気分である。レースでのポテンシャルはさておき、公道を走らせるスポーツバイクとしての価値はどうなのか。
SALIDA de Tsuji Tsukasa(CBRについては『バイク速効情報』内)
http://www.aerodevice.net/salida/

とまとめている。
『Riding Sports』誌4月号での八代俊二氏のレビューでも、インパクトというか、ライダーが突き動かされるような衝動にかられることがないのも事実」「アドレナリンが吹き出すような刺激が感じられない」とかなり辛口に斬られている。その他の雑誌でも似たような論調が目立ち、例外は「速い=カッコいい」というシンプルな価値観を持つ『オートバイ』誌や、『BiG MACHINE』誌のあくまで冷徹に挙動を分析する新垣敏之氏のレポートくらいだった。


失われたV4の影
高回転までフラットに回るエンジンと、エキサイティングさやアグレッシブさのない操作性。それでいて、世界最高クラスの“速さ”──。こう考えてみればどうということはない、これって、ホンダのお家芸なのである。
ここまできて、ある一台のマシンを想い出す人は多いだろう。VF750F。ホンダのV4世界戦略の最初の着地点として作られたスポーツバイクで、「走りのV4、ストリートのインライン4」というスローガンの下、CB750Fの対極に位置づけられていたマシンだ。
84ps、ゼロヨン11.6秒と当時の1000ccマシンに匹敵するパワーを持ち、アルミ角断面フレームをホンダとして初めて量産車に採用。フロント16インチ、アンチノーズダイブ機構、アルミコムスターホイール、そして市販車初のバックトルクリミッターと先端技術をこれでもかと詰め込み、徹底的なエアロダイナミクスに基づいてラジエーターも二分割されるなど、当時のプレスから“異次元マシン”として惜しみない称賛を受けた。
もしその気があれば、ネットなどでVF750Fを検索してその姿を目にすることをお勧めする。当時としては画期的な赤と黒で大胆に塗りわけられたイメージモデルのグラフィックは、ため息が出るほど美しい。
しかし、これがまた売れなかった*1。“量産車レーサー”の名の通り、フレディ・スペンサーデイトナスーパーバイクでデビューウィンを飾るなど実績も伴っていたはずだが、その後も16機種ものバリエーション展開を行ったVFシリーズは4年ほどで市場から消えていくことになる。
このときの評価がまさに今のCBR1000RRと同じ、「エキサイティングさの欠如」だったのだ。中速から高速域までシフトアップなしにスロットル一つでパワーをひねり出せるシルキーなV4エンジンは、ワインディングでのアグレッシブな走りを求めるユーザー層には受けが悪かった。また、「ぶぉ〜」というV4独特の排気音は直4の高周波系のように官能的ではなく、また16インチのクイックなハンドリングも「ナナハン」という当時のあこがれのビッグバイクの持つものとしては落ち着きがないと受け止められたようだ。ユニットプロリンクやHESDなど、同じように自慢のハイメカを詰め込んだ揚句「面白くない」と言われる1000RRに、このVFの面影が少しばかり重なる*2

至高のマスプロダクト
しかし一人のホンダ好きとして、僕はこのCBR1000RRの方向性に惜しみない称賛を送りたい気分なのである。僕の目にはその「エキサイティングでない」感じこそ、余計な演出や虚飾をいっさい排し、ライダーにピュアな性能のみが突きつけられている証拠と思えるからである。
ストライダーの鎌田学氏は、1000RRの開発にあたって「どこか突出して際立たせる、たとえば中速にトルクの谷を残したままにして、そこを乗り越えたときのパワー感を演出したりは簡単にできる。しかし、それはやりたくなかった」と語っている*3
余計な演出でごまかさない。ノー・ギミック。速さという概念が、形をとってそこにあるのだ。
かつて面白みがないと敬遠されたVFシリーズも、山岳地帯を越え各国を旅するための「性能」を純粋に求めるヨーロッパのユーザーには支持されたという。ジェントルな排気音も、モーターサイクルが行き着く「静粛性」というひとつの性能として評価された。目の前に必要な機能・性能が具現化しているかどうかという視点で見れば、VFは究極のハイパフォーマンスマシンだったのだ。
同じように、CBR1000RRもサーキットで勝利を収めるために「どこまでも扱いやすい172ps」という性能テーマを純粋に追い求めた至高のレーシングマシンだ。まずレーサーとして開発し、納得がいったところでそれに保安部品をつける。そんな信じられないプロセスで開発されたこの市販車に、ライダーとしての純粋なロマンを感じるのは僕だけだろうか。
現代のモーターサイクルの性能にあって、しょせんパワーを扱いきれるかどうかなど夢の議論だ。我々一般ライダーは、公道での味つけや面白みを云々する前に、まずこのマシンの前にじっと向き合ってみてはどうだろう。本当の「至高のマスプロダクト」とはどういうものかを身をもって知るチャンスが、手を伸ばせば届くところに転がっているのに気づくはずだ。
もちろん、懐具合は別だろうけれど…。

*1:とはいえ当時の資料を見ると販売計画が15,000台…。フラッグシップレプリカでさえ目標1000台程度の今の状況からしてみると、当時いかにスポーツバイクが“ブーム”だったかがわかる

*2:もちろんCBR1000RRは今のMotoGPでのホンダの実績とRCVレプリカという点においてVFとは全く違うし、1000RRは間違いなく高いセールスを記録するだろう

*3:『RIDERS CLUB』誌4月号